生き様と死に様

先日、父が天国へと還っていきました。
運良く、
私たち3人の子どもは感謝を伝え、
別れの言葉を贈り、
これから3人で助け合うことを約束し、
「安心してね!」と
声をかけることができました。

生前、父は苦学しながらも
一代で事業を興し、
私たちを育てたのみならず、
親戚の子供たちを自宅に下宿させ
勉強を見ていました。

私塾や公立の学校でも教鞭をとり、
型破りな教授法がなかなか受け入れられず
知る人ぞ知る、唯一無二の存在でした。


いつもユーモアを携え
難所を切り抜け
走り抜けた人生。

勉強も遊びも一生懸命。


3年前に病気が見つかってからは
一般的な治療を試みますが、
それでは仕事に支障があるからと
患部を触らない!
通常の生活を営むと決め、
最期は自宅で息を引き取りました。


最後の3日間は
兄、姉、私と共に過ごした時間でした。

ひとつの部屋で4人、
息子や娘たちが世間話するのを
残された聴力で聴き取っていたのではないでしょうか。

死の間際、
呼吸の間隔が次第に速くなり、
かと思うと少し楽になって1時間ほど、
全員が仮眠をとったのち
父の目が見開いていることに気づいた兄。

周りに集まって、
誰がともなく、
父に対して思いの丈を伝えはじめました。

みながひと通り挨拶を終え、
兄と私が場所を代わる際に
兄がかけたひと言ににっこりと笑顔を見せ、
予想外の出来事に湧き立つ私たちの前で
ひとつ、
息を吐くと拍動がぴたりと止みました。

最後に笑顔を遺して逝った父、
父らしいなぁ〜
笑かしてから逝くなんて!ズルい!
さすが!

一切の延命治療を拒み、
「自分で建てた家で最期を迎えたい。」

その願いを叶えることができたのは
間違いなく、
精神疾患で30年近く引きこもっている
兄の存在があってこそ。

母や父を看病し、看取る。
半端ない優しさと懐の広さ。
父、母譲り。

父の介護をする中で
失われた時間を取り戻すかのように
徐々に生活能力を身に付け、
訪問看護さんやケアマネさん、訪問医、
病院でお世話になった方々との関わりを通して
人の良さに触れ逞しくなっていく兄。
誰にでもできることではない事を
やってのけました✨✨


別れの日、
暦の上では大寒。
「大寒だけど雪はないね〜。」
と思っていたら、
葬儀の前日に大雪警報🚨
遠方に住む姉や私の家族が
無事に参列できるのかハラハラどきどき。


「ネクタイがないから買ってきて〜!」だの、
「駅まで迎えに来て〜!」だの、
ドタバタ、すったもんだ。

挙げ句の果てには、
お骨拾いの際に私が雪に備えて履いていた
母から30年前に贈られたスノーブーツの靴底が
ぱっくり剥がれて取り残され、
静寂から大爆笑の渦🥵

ここでも笑いの神様が悪戯してくる😹
父の仕業だなぁ!


人を助け、人に助けられた人生

今ごろ、
大好きなすぐ上の兄と再会してるかな。
もちろん、母とも🍀


※ 最後までお読みくださりありがとうございます。


帰路、
いつもの道がトラックの横転で封鎖され、
大周りして片道500キロ。おおよそ8時間。

兄をひとりにしたくない父の想いか?
兄がひとりになる心細さからか?
どれだけ引き留めようとしてんねん!な
道中でしたが、こうして無事帰宅🏠

「さぁ、これからどう生きようかな!」な
よつ葉です。

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