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「対話したすぎてロボを作った」怪獣歌会の往復書簡【3】

とにかく人を繋ぎたい鳥居と、繋ぐことにはあまり興味が湧かない川野。断絶を超える面白さについて考えたいという鳥居に、川野はその断絶にそもそも興味がないと答えます。

いきなり問題意識が噛み合わなかった二人。川野は、すべての対話は本質的にひとりごとなのではないかと考えながら、鳥居に二つの質問をします。「君のいう『面白さ』ってなんですか?」「なぜ君は『繋ぎたい』と思うのですか?」
そこで鳥居が始めたのは、人工無脳イライザの話と、ベルクソンの時間論の話でした。

この文章は怪獣歌会の鳥居と川野の間で交わされた往復書簡の第3回、鳥居の応答を収録しています。

第1・2回はこちらからどうぞ(第3回からでも楽しく読めます)

※この往復書簡は4往復でいったん区切りをつける予定です。このエントリでは、2往復目の往路を公開しています。

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お返事ありがとう。私はたまにブログを書いたり、仕事で記事を書いたりしているのだけど、一番筆がノるのはたった一人で自分のために文章を書いているときだったりします。手紙を書くことはあまりなかったのだけど、誰かに読まれることが確定していて、しかも相手がどんな人かわかっている状況で書くのも、楽しいと言うか、脳にいい感じがします。
記事を書くときはいろいろ読まれるための技があって、いちばん大事なのは読者を想定して書け、というものであったりします。不特定多数に向けて書くのではなく、読む人のことを想像して、「誰かではなくお前に言っているんだ!」というのが伝わると、記事はたくさん読まれる(と考えられています)。

このプラットフォーム(Dropbox Paper)は書き途中の手紙を見ることができて、私は深夜に君が書いている途中の様子をちらちら見てしまったりしていた。怪獣歌会でネットプリントを出したときもめっちゃエゴサしちゃったし、自分に向けられた言葉は気になるのかもしれない。手紙とか完全に「お前に言ってるんだ!」だし。往復書簡はそういう点で面白いなと思いました。たった一人でも必ず読んでくれて、返事まで書いてくれるということが、どれだけ書くことを勇気付けてくれることか!

対話とひとりごとの話なんだけど、一時期私は非常に対話に飢えていて、ひとりごとをノートに殴り書きしているだけでは飽き足らず、人に会って話をしまくっていた頃があります。けれども家に帰ってまで延々と話をしているわけにはいかないし、外で話をするには喫茶店代などが必要になってきて、お財布的にも大変だったので、話し相手をしてくれるロボットを作ってみることにしました。
イライザという人工無脳の話は聞いたことがあるかもしれないけれど、それをもとにしたロボットです。仕組みはめちゃくちゃ簡単で、たとえば「最近面白さがわかんないんだよね」とか言うと、「面白さについてもっと話してください」と返す。会話の名詞を拾ってきて、そこにもっと話してと促すだけ。なぜこれで対話の代わりになると思ったのかは当時の私にもわからないのですが、まあこれが技術力の限界でした。

それからそのロボットがどうなったかは、君の予想通りだと思うんだけど、まあ全然駄目でした。お話にならない。これなら一人で殴り書きをしているほうがまだ良かった。駄目だった原因は2つあって、まず相手が何も理解していないとわかってしまっていること、それから話が絶対に脱線しないことでした。

どちらも、そのロボットが記憶をもたないことがさらなる原因だったのかなと思います。人は一人でも自分と対話できるので、そこに記憶を持たない存在を介在させるのは余計なことだったのかもしれません。

われわれが誰かに向けて話をするとき、実はその人の存在に向けてでなく、その人の記憶に向けて話をしているんじゃないかと思うときがあります。

ベルクソンがお気に入りでよく読むのだけど、『物質と記憶』という本(『時間と自由』の方だったかもしれない)の中で、たしかこういうことを言っていました。
あらゆる記憶は、それを経験した時間によるものだから、もし誰かのコピー人間を作ろうとすると、そのコピー人間とオリジナルを全く同じにするにはオリジナルと、全く同じ時間を過ごさせないといけなくなる。60歳のクローンを作るには60年必要というわけ(だからコピーなんて無理なんだよ)。という話です。
私はこの話が好きで、なぜならここで記憶と時間を結びつけることで、人間の身体のかけがえのなささえも説明しているように思うから。(ベルクソンは明らかに人間が大好きでした)

何が言いたかったかと言うと、文通や対話はお互いに別々の記憶(=生きてきた時間)を持った存在が、言葉を交わし、一人じゃ思いつきもしなかった方向へ脱線していくのが楽しみのひとつなんじゃないかな。
もちろん、言葉を発するのは自分が自分自身の力でやらないといけないので、そこに注目して、「対話は自分の中でだけ行われる」と言うこともできると思います。

ここから本題?なんだけど、
なぜ面白さについて考えているかと言うと、まさにいま面白さがわからなくて困っているところだからです。
自分がやったり考えたりしていることが、本当に面白いのかわからなくなってしまい、不安で仕方がないという。
何かを作るからには面白くなければならないという強迫に駆られている気がする。なぜだかは追々明らかにしていきたい。しばらく考えたけどわからなかった。わかりたくないのかも。やあね。
あ、ちなみにこの往復書簡はめちゃ面白いと思っている。まだ一往復だけどね。

なぜ面白さがわからないと困るかというと、今まさに手が止まっているからなんだよね。時間のかかるものを作っていると悪魔が囁く瞬間があって、これを続けるべきなのか、それともこんなものは捨てて別のに取り掛かるべきなのか、どうにも決めきれずに手が止まってしまうことがあるけど、今はずっとそれなのかもしれない。

> 君の言う「面白さ」って何ですか?

という質問に答えると、と、面白さは刺さり具合だと考えてて、人によってもちろんその受け取り具合は違う。「意味分かんないけど忘れられない」はあるし、「怖くて不愉快だけど人に薦めたくなる」もある。
例えば私は電柱が好きで、最高の電柱を見ると刺さるんだけど、だれにでも電柱の良さがわかるとはもちろん思わない。
けれど本当の本当に最高の電柱があって、それを最高なんだよ、と言いながら見せれば、わからなかった人の1%ぐらいは面白がってくれるんじゃないかと思っている。
そのものがもっている面白さの強度も重要だけど、渡し方によって受け取られる面白さは変わってくると考えています。

私はできれば多くの人に刺したい(人間が多様であると仮定した場合、いろんな人に刺すことはそれだけ新しい何かが生まれる可能性が増えるということです)と思ってるし、それは私を形作ったコンテンツへの恩返しになるし、喜ぶ人もいるんじゃないかなと思ってるんだな。

これは

> 君はなぜ「繋ぎたい」と思うかです。

の質問にも関連してて、要するに別々の人の時間や記憶が出会うことに可能性を見出しているし、もっと人は脱線してほしいと思ってる。
人間は適当に生活をしていると習慣の中でこじんまりと保守的になっていってしまうからね。
と、なんか理念的な話をしてしまったけど、多分、ほんとうのところは自分が見つけたり教えてもらって繋がるってことを面白くて仕方がないと思っているからだと思う。
もしどこかにものすごく良い小説があっても、それがアラビア語で書いてあったりしたら、アラビア語が読めない人にはちょっと厳しいわけだし。けどこの小説の価値観を日本の読者に読ませたら、エンパワーメントみたいになったりするんじゃないかな、とか思うとめちゃくちゃ面白いし、だったら翻訳できる人を見つけたいね、となるわけで。

まとめると、繋ぎたいとか面白くなりたいとかは、人がなにか(絵や本、または人間)に触れて、それで影響を受けるということに、希望を見出しているからそう思う、ということなんじゃないか。もちろん、影響を受けるということは良いことばかりではないんだけど。

じゃあなんで面白くないと困るのかというと、自分のやってることが人への贈り物として適しているかがわからなくなってるのかも。

気づいたらめちゃ長くなってしまった。
君と私は似てないけど手紙を長くしがちなところは似てるかもしれないね……
あと、歌会で君の歌をいいとなかなか言わなかったのは、多分本当に何をやっているかも何がしたいかもわからなかったからだと思う。(初期川野マジで難解だよ?)最近の君の歌は、詠う中身は誰も考えたことないような新しいことでも、爆上げした表現力で飲み込ませて、「何を言っているのかはよくわからなくてもすごいことはわかる」という段階に来ているんだと思う。

君は繋ぐことには関心はあまりないと言っているけど、それならどうして創作をするんでしょう? 新しい話が聞けそうなので気になります。よかったら教えてください。

2018/06/28 とりい

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次回予告

そして長い脱線がはじまる──。

「世界は言葉でできている」
「人間はすべてを言葉の贄にするために生きている」
言葉の人、川野が語る、対話論と創作論とは。

次回「竜になる方法を探して」


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