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【歌会録】強ひられて嫁したるごとし 女〈をみな〉としてこの世へいたる閾〈しきみ〉越えにし

強ひられて嫁したるごとし 女〈をみな〉としてこの世へいたる閾〈しきみ〉越えにし
※〈〉内はルビ

斉藤 えっ、つらい……。ちょっと待って……。えー、つらい。ちょっと待って、つらいよー(一同笑)えーと、まず、〈強ひられて嫁〉すことはつらい、じゃないですか。だから〈女としてこの世へいたる閾〉を越えたこともそれと同じようにつらい、ってことが分かるんですけど……。つらい、よねー。
山城 つらい、分かるしか言うことない感じになってますね(笑)もうちょっとあるでしょ何か。
斉藤 えーとまず、この歌の世界観としては、〈この世へいたる閾〉を越える前は性がなくて。けれどもそこを越えた瞬間から女になってこの世に生まれてしまう、つまり、女であるかそうでないかは〈女として〉の閾を越えたかどうかによる、そしてそれ以前には性はない、ということをまず読み取りました。でも、〈強ひられて嫁したるごとし〉だから、〈この世へいたる閾〉を越えるときに、自分の意志で好きな性別を選ぶかどうかという決定の権利はないのだろうと思いました。でもこの歌では、仮に男として〈この世へいたる閾〉を越えるとしても、〈強ひられて嫁したるごと〉き行いではないのかなと思ってしまった。強いられて嫁ぐってことは、五万年前から女に課せられてきたつらみじゃないですか。もちろんそれが女じゃない人にも課せられることはあるでしょうけど、でもやっぱり字が、字がつらいし……! 〈嫁〉ぐって字がつらいし……! なんか、つらいんですよ……! 
山城 斉藤さん、つらいしか言ってない。
斉藤 ちょっと整理したいので、先話してください。
山城 最初読んだときに、うわっつらい!って思って(笑)
斉藤 山城さんもつらいしか言ってないじゃないですか!(一同笑)
山城 面白いのは、〈女としてこの世へいたる〉ときはまだ〈強ひられて嫁〉すことはつらいという現実の世界には生きていないんだけど、そのときにすでに〈強ひられて嫁〉すという、未来におけるつらいものがすでに内包されている、みたいな、つらさがめっちゃ重ねられているところ。〈強ひられて嫁〉すことがつらいというのはこの世の世界観で、〈閾を越え〉る前はまだこの世には至っていないのに、この世の〈強ひられて嫁〉すっていう概念がすでに入ってきてるのは――
斉藤 え、すごいつらいんですけど……!
山城 だから、逃れることができないみたいな気持ちがつらい(爆笑)
斉藤 私は〈越えにし〉だから過去のことで、「今思えば」という感じで読みました。
山城 でもそっちで読んでも、そのつらさの例として出てくるのが主として女に課せられることであるのが、めっちゃつらさがオーバーレイヤーしていて。そのつらさのオーバーレイヤーはわざとだろうなと思ったので。
斉藤 でもやっぱりさ、〈女としてこの世へいたる閾〉越えた瞬間っていうのはさ、ほんとうはさ、つらさはないはずじゃん。それが何でこういう〈強ひられて嫁したるごとし〉ってことに帰せられてしまうかといえば、その後の〈女として〉の人生がつらいからじゃん……! で、今思えば、〈閾〉を越えた瞬間というのは〈強ひられて嫁〉すようなことだったんだなということだと思うんですよ。〈強ひられて嫁したる〉ことのつらさって、嫁したあとの生活のつらさって部分も大きいと思うんですけど、これも〈この世へいたる閾〉を越えた瞬間にすごいつらくなるってことはまずないしあるべきでもないと思うんですが、これはやっぱり〈女として〉何年か生きてきたあとで、今思えば、自分という存在には〈女としてこの世へいたる閾を越え〉た瞬間があり、それは今思えば〈強ひられて嫁したるごと〉きものであったなあ、ということだと思うんですよね。だから、その後の人生がそう言わしめたんだと思うと、ほんとうに、ほんとうにという感じなんですが……。
山城 〈強ひられて嫁したるごとし〉の時点ですでに「あっ、つらい」って思って(一同笑)
斉藤 早い(笑)
山城 でも〈ごとし〉だし、順当に考えて「ごとし」で言わないようなことを言ってくるかなーと思ったら、「あっ、全然そのままのことがつらいって言われてるじゃん!」っていう、オーバーレイヤーもオーバーレイヤー、ずらしが全然ない。
斉藤 重なりまくりですよね。
山城 でも〈閾〉ってやっぱり出生のことでいいのかなあ。
斉藤 自分はやっぱり〈閾〉は性別が決まった瞬間だと思うんだけど、それ言うとさあ、結局〈女として〉ってことをさあ、染色体がXXかXYかみたいな話に還元することになっちゃいません?
山城 染色体主義はあんまり良くないですよね。
鳥居 〈として〉って言ってるから、どっちの体で生まれてしまうかみたいな話なのかなと思ったけど。その、選ばされてしまうことが〈強ひられて〉ってことなんじゃないの。
斉藤 うーん、そうだよね。だからその、嘘の〈女〉でしょ、〈として〉だし。というかまず〈女〉とか嘘だから、まず!(一同笑)
川野 えっと、斉藤さんと山城さんで〈女として〉の読み方が若干違うのかなと思ったんですけど。斉藤さんは〈女として……いたる〉で、山城さんは〈女として……越えにし〉で読んでます? 斉藤さんは通ると女に生まれる閾があるという読みで、山城さんは、閾は共通だとして、通るときに女として通らされたって感じなのかな、そこは微妙に違うのかなって思って。
斉藤 私は〈いたる〉の方にかけて読みましたけど。
山城 うーん、私は〈越えにし〉の方で読んでたかもしれないですね。
斉藤 それは読みが違いますね、確かに。私は、未分化の、性のない状態として最初はみんな発生して、そのあとどの〈閾〉を通ったかによって女とかってことが恣意的に言われるっていう、そういう世界観で一貫して読んでいました。
鳥居 私もそっちかな。
川野 これも二〇一六年的読み方をすると、〈女として……越えにし〉って読むと、はじめから女だったかのような読み方をされる可能性がある、というか結構されるんじゃないかって思うんです。つまり、「女であること」のつらさっていうのが、ある人が本質的に女であり、女に本質的につきまとうつらさだって読めることがあるんじゃないかな。
斉藤 本質とかないから!(一同笑)やっぱり、〈女として〉のつらさが、女「である」ことによって生じると思われてるじゃないですか、でもそれは「女」という「地位に置かれる」ことによって生じるわけだから。〈女として……いたる〉と読んだ場合、本来無色の魂であれたはずの存在が「女」というシールを貼られこの世で苦しんでいる、と私は読んでしまうんだけど、確かにこれを全く何もない状態で読んだとして……まず、脈々と「女歌」の系譜があるわけじゃないですか。
山城 そう、これ結構「女歌」意識して読めますよね。
斉藤 それだとやっぱり、女「が」苦しんでるんだなって思うと思うんですよ。女「である」ことは自明のこととして見てる。でも私は、この歌を見たとき、「女」であることもできたし「女」でないこともできた魂が苦しんでると思うので、その差はすごい大きいと思うんですよね。だから確かに本質的に「女」である「女」が「女」であることを苦しみながら「女」みたいな比喩を使って「女」の歌を詠んだなーって思われる可能性がないかって言われたらないとは言えない気がするんですけど……。
山城 そんな悲しいことがあるんですかこの世に……。
斉藤 〈強ひられて嫁〉ぐことのつらさを詠ってる歌って今までにもある気がするんですけど、その文脈に引きつけようとする力が、初句二句でめちゃくちゃ働いてしまう気がして。その流れに呑み込まれてしまわないでほしい、この歌には。
山城 でも私は三句目以降で、結構抵抗したでしょ、って思ってるんですけど。
斉藤 いや、してると思う、すごいしてると思いますよ。てかもう、そうしか言えないじゃん、だって! やってると思いますよ、この人は!

解題:
強ひられて嫁したるごとし 女〈をみな〉としてこの世へいたる閾〈しきみ〉越えにし(川野芽生)

この歌会録は2017年1月に公開されたネットプリントQuaijiu Vol.1の再録です。


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