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社会は間違ってるし反出生主義者なんだけど

 山城周です。これが私の書く最後のアドベント記事だと思うと、寂しい……。

 と、書いてみて、会話の中で私が「いやだって寂しさがさ、」などと発言すると斉藤さんが「あ、感情の話ですか?じゃあ分かんねえや」って返してくることを思い出して笑う。
 思い出し笑いができるような現在が私にはとても幸せだ。この話はあとで繋がります。

 前回の鳥居の記事を読むまでビオスとゾーエーって概念自体知らなかったんですけど、「ふーん健常者の論理だな」って思いました。

 私は現在、放課後等デイサービスで働いています。

 まあ「障害児の学童」で良いですよ。
 職業倫理的に個々の事例について話せませんが、自閉症児が多いです。
 自閉症に限らず障害(ひとくくりに語れないけどさ)がある場合、ビオスなんて無理じゃん。
 それとは別に、タウンワークで求人記事を読むまで放課後等デイサービスというサービス自体知らなかったんですけど、なんかむかつくなって思ったことを覚えている。

 は?なんでこんな健常者中心社会を作っておいて、やることが少しでも障害児を健常者の社会で生きていけるように療育しよう、なわけ?健常者全員が勉強して社会を作り変えろやくそが。

 って思ったので。
 だから仕事中によく「私は何を教え込もうとしているんだろう……」って気持ちになります。ビオスってやつを教えてるんですか?

 ビオスといえば鳥居からの質問。

 今週土曜にはやましろさんの嘘が嫌いってエッセイが出るんだけど、やましろさん的にはここで言ってるヒトが人間のフリをするという嘘についてどう思うんだろう。信用を作り出す嘘もあれば、信用を裏切る嘘もあるから、そこは別物としてとらえるんだろうか。それとも嘘で世界が支えられてるみたいな話自体が嘘だと思うかも。

 まだエッセイは公開されてないけど、まあ、私は嘘が嫌いなんですね。
 鳥居の第一の質問の意味を捉えきれているか自信がないが、信用を作り出す嘘、って貨幣とかってことですよね。うーん、それって嘘なんですか?私の考える嘘の定義に当てはまらないです。嘘とは「事実と異なっていると認識できていることを事実かのように表明する」ことだと思っているんですけど。紙が貨幣として価値を持つことって、嘘かな?紙であることのみが事実?貨幣としての価値を持っていると信じていることも事実じゃない?
 うーん、それに、人が人間のフリをするっていうの、ってのも、嘘なんですか?人間がビオスのために人間のフリをすることは、別に嘘じゃないんじゃない?ビオスを前提にやりましょう、が合意できているなら。私はビオスとゾーエーにあんまり乗れなかったので、そもそもビオスを嘘とか判断する立場にいないと自分のことを思った。

 もうひとつ、やましろさんは人間とわかりあうのを(基本的には)諦めない人だと私は認識しているんですが、人間とわかりあえたとき、どんなものが見えますか?

 第二の質問に対しても、申し訳ないんだけど、私は人間が分かりあえると別に思ってないんですね……。人間は分かりあえないですよ。だって他人なんだから。他者の思念を完全に理解することは不可能です。

 放デイで働く前に私が懸念していたことは、以下の2つで、
 ・自分が差別意識を持っていて障害児怖い!とか思ったらどうしよう
 ・自分が子供好きになってナタリストになったらどうしよう
 だったんですけど、どちらも全然ありませんでした。
 まず障害児別に怖くありませんでした。めっちゃ面白いな!が先に来ます。児童たちの行動やその理由を理解できることも理解できないことも、全て私にとっては楽しいことです。興味深い対象として児童を見ています。そこに劣っているなとか奇怪だなみたいな感情は生まれないんですよね。人間のパターンをまた多く知れて嬉しいという感情の方がある。こういうこと言うとサイコパスみたいになっちゃいますけど……。
 あと私は基本的に子供嫌いなんですよ。正確に言うと生殖が嫌いなので、アンチナタリストなんですけど。日本語で言うと反出生主義者です。
 なので生殖をとりわけ想起させる子供という存在を見たり、児童と親(に見える組み合わせ)を見るのがとても苦手です。電車の中で怖くて泣いたりしています。
 産まれてこない方が基本的に全ての人間にとって幸せだと思っています。
 でも生まれちゃったなら人生やるしかない。仕事で接する個々の児童は気に入っています。しかし知らん子供見て可愛い〜って思ったりするようには今のところなってません。生殖もしたくありません。良かった良かった。

 職場の人が障害への差別意識を露呈してきたらどうしよう?も不安だったけど、ゼロではないにせよかなりマシです。だがセクシズムはやばい……。
 とはいえヘルパーの方々の発言の端々から出る「自分は健常者側だ」感にはとにかくびびっています。
 「注目行動」と呼ばれる児童の行動があります。自傷、他害、物を投げる、服を脱ぐ、異食など……。「健常者」からしたら「不思議」な行動の理由が「周囲から注目されたい」である場合、このように呼ばれます。
 でも注目行動すんのなんか当たり前じゃん?
 なぜなら「分かりあえてない」からだよ。
 自閉症児は言語コミュニケーションが難しい場合が多いです(個人差は大きくあります)。言語を理解していなかったり、間違えて覚えていたり、相手の言葉は理解できていても発語はしなかったり(内言語は発達している状態ということ)、「健常者」からしたら意味のない発語を繰り返したり。
 こうなってみると、如何に普段の自分が言語に頼ってコミュニケーションを試みてきたのかと、恥じます。
 私の恥は置いといて、注目行動をする本人の心理を想像すると、コミュニケーション通じてない!ってなったらもう、何かを伝えたいんだ!ってやるしかないじゃないですか。だから注目行動は当たり前なんですよ。
 だからヘルパーがそれを「やめさせるべき」的に振る舞うとき、私はびびります。
 いやコミュニケーションが成立しないのはどちらの非でもないじゃん。それなのに注目行動を「困ったこと」みたいに捉えるのは……ともやもやします。
 ああでも基本的には、注目行動が起きないように、見てるよというメッセージをヘルパー側が発信することを忘れないように、という職場の指針はあります。それでもヘルパーの発言の端々から「障害者は健常者には理解できないことをするものだ」という価値観を受け取るとき、私はつらいのです。わかりあえねー、と感じます。

 けど多分、鳥居が言ってるのは部分的な分かりあいのことだよね。対話が成功するみたいなこと。意思の疎通ができるってこと。お互いの意図を把握しあって、それを尊重しあうこと、がまあ部分的な分かりあいって感じかなあ。相手が「分かった」ということがこちらも「分かった」ときね。

 私にはそのとき愛が見えます。

 この答え自体は瞬時に出たんだけど、脳内で自分自身に対して「は?愛ってなんすか?」っていう煽り質問が出た。愛ってなんなんでしょうね。
 私は世界を信じる力を与えること、かなとぼんやり思っているけど。

 前述したように、自閉症児とコミュニケーションを取ることは、現時点での社会に生きる現時点での私には難しい場合もままあります。相手が何かを伝えたいことは分かっても、その「何か」が分からない。なのでたくさんのやり方でトライして、こちらの発信が通じたな、って感じるときもあって、それを私が伝えて、向こうも通じたなって感じたことが通じたよ、って感じを出す。
 わりと愛だな、って思います。
 今の社会で自閉症児たちが生き抜くのは難易度が高い。それが社会の側の問題だとしても、難易度を突き付けられるのは本人だ。否定の言葉をもらう機会も、健常児より断然に多いだろう。それで社会に絶望してしまう前に、いくらでも「分かりあい」に時間をかけて、君を見ているということを、愛しているということを伝えたいと、本当に思っています。

 虐待の話をします。
 最初の記事で述べたように自分は虐待家庭で育ってきたので、陳腐な表現だけど愛を知らない子供だったんですよ。世界を信じる力、を与えられてこなかった。私が生まれ育った家庭には父親って人がいて、それが加害者でした。
 加害者は自らの子らに対する躾と称して、実際には自分の感情が高ぶったときに気ままに身体的暴力を振るいましたし、配偶者(私の母親にあたる人です)への身体的/精神的/経済的暴力、行動の制限などを多く行いました。私はそれを見ていました。
 加害者の暴力のスイッチが入る瞬間がいつ来るか分からないので常に脅えていたし、やり返し方も暴力的なものしか知らなかった(大人になったら筋骨隆々な男になって殴り殺そうと夢想していた)。あのときの自分を肯定してくれる身近な人間が、私は悪くないのだということを教えてくれる人間が、もっといたら良かったのになあ、と今でもたまに思ってしまいます。
 中学までは地元の治安が悪く且つ狭いコミュニティで生きていたので、高校は物理的に遠いところに進学しました。大学は更にそうして、ついに実家からも脱出しました。しかしまあ、高校に進学したとき、大学に進学したとき、世界を信じている同級生のあまりの多さにくらくらしました。この人たちは「愛」を知っているんだ……と彼我の差に絶望しかけた。けどなんやかんやと病気やったりしながらも今は幸せだよいえーい家族ー親兄弟ーこれ見てる?ピース✌
 4人兄弟の末っ子だと述べると、兄弟が多いと助け合えるし虐待家庭でもマシな方みたいなコメントをもらうときがあるけど、逆なんですよ。兄弟間でも相互不信があったし、基本的に暴力と排除で構成された関係性でした。あと理由は不明なんだけど、3対1で私はずっとハブられてた。多分一番弱い人間を排除することで、私以外の3人は生き抜こうとしてたのかなあと想像しているけど。私もお返し(?)に兄弟の財布から金をパクったりしてました。それでまたいじめられるループです。
 加害者がやってきた相互不信を生む手口として今でもすげーなって思っているのは、気まぐれにお小遣いをくれるときがあるんですけど、それがあみだくじ方式で、金額に差があるんですよ。いくらくじとはいえ、小額をあてがわれた子はより多くの金をもらっていた子を恨んだと思います。ナチュラルに人間同士を暴力と不信に陥れるやり方は本当に加害者の才能がありすぎてすごい。

 そういえば最初の記事に対して指摘くるかなーと思ってたのに来なかったんだけど、私はメサイアコンプレックスなんですね。

 けっこう病理っぽく記述されてんな……。
 もちろん比較的病理なんだけどね。
 まあ、なので、教祖を検討した時期もありましたが、今は福祉の仕事をやったり、全ての人間を愛したりと、現実的な範囲でメサイアコンプレックスをやっています(????)

 この社会はまだ間違っているけど。
 産まれてこない方が基本的に全ての人間にとって幸せな程度には間違っているけど。
 でも社会は良くなるかもしれない、という楽観を捨てずに。
 フェミニズムをやります。
 やってないときもフェミニストだけど。
 あと短歌もやるかな。
 やってないときは歌人かな?分かんないね。
 分かんないことはまだまだ多い。
 おわり。

 おわらねーわバトンだわ。
 吉田さんは生殖のことどうしますか?こないだ会ったときに色々話したけど、やっぱ生殖はやめたほうがいい、でOK?勝手に「アンチナタリストの同志」として見ていますので、よろしく。

この文章は怪獣歌会アドベントカレンダー19日目の記事です

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