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精神分析に行ったら脳の挙動が安定した

怪獣歌会の2019年は、週1更新で12月を守る企画が走ります。
毎日更新は面白かった(去年のまとめ参照)けど、大変だった。それでも何かをやりたかったんだよね。
 一人大体1記事ぐらいにはなりますが、ぜひお付き合いください。RTとかいっぱい押してほしい。

こんにちは、企画トップバッターのとりいです。
今年は仮テーマで2019年に得た知見の話をしようということになってます。

みんな精神分析って受けたことありますか。
カウチに座って分析医の前で自由に思い浮かんだことを話すアレです。
告解の子供、カウンセリングの元祖みたいなやつですね。
私はアレ受けたんですよ。8月ぐらいに。

某所のボロアパートの暗すぎる廊下を歩いていくと、奥に分析室があって。
ピンポン押してドア開けると分析医の人がいるんですよ。案内されて座る。特にカルテとかはない。
分析医は私の斜め前に座って、小さな机を囲むような角度で、「じゃあ、思い浮かんだことを自由に話してください」とだけ言って黙り込んでしまう。

私は恐る恐る話し始めるわけですよ。ぽつぽつと最近の心配事を話す。「最近脳が散らかっている」「うまくものが考えられない」「何かを考えようとすると犬が止めに来る」話し終わる。黙る。分析医の方を見る。見た。そしたらなんて言い出したと思います?

なんにも言わないんですよ。ただ、振り子のように頷いている。それで、5分でも10分でも平気で黙っている。

私はこれにひどく驚いてしまった。焼きの回った本物の沈黙。人ってそんな黙る? そして気づいた。ここは私が喋る場所で、そして時間がくるまではずっと自分の番なのか。

人間は本物の沈黙を前にしたとき、どうなるのか。沈黙って怖いんですよ。静かだし、何か喋らないといけない気がするからね。普段の生活では沈黙を回避する方法はいくらでもあるので、そこまで意味をもつことはないのだけど。

けれどその沈黙は間違いなく私のための沈黙で、その上、私は一人ではなかった。分析医はいくらでも私の中身が言葉として出てくるまでを待っていたし、妙な促し方をして沈黙を破ることもなかった。

なので、私はそこで思う存分自白をしたのだった。

心配事を話したし、誰にも言えない欲望を話した。叶わなかった願いや離れていった人をまだ心残りに思っていることも、守らないといけないと思っている約束のことも。

分析医は私の話したことに対して本当に何も言わない(多分通っている場所が特殊なので全ての精神分析室がこうなわけではない。もう8回も行ってるのに、聞いた言葉は「ええ?」と「ああ……」ぐらいしかなくて、どちらも恐ろしく的確なタイミングで入るので恐ろしいのだが……。)ただ、分析医自身が話さないことでそこには確実に何かが生まれている。自分の言葉の内側から何か遠いところにたどり着けたとき、それは自分自身の力でそうできたと、自分にはそこにたどり着くための力があったのだと、ほんとうに納得することができたので。

具体的にはどんな話をしたのかというのを書ける範囲で書いてみる。

私は長年犬に悩まされてきた。
物を真面目に考えようとするといつも犬が出てきて止めに来てしまうのだ。私は犬のことが大好きなので犬が来ると大喜びで犬のことで頭がいっぱいになる。犬のことは愛している。けれども犬は私がものを考えるのを邪魔しているのではないだろうか?
けれどもよく考えてみると、私は一度ものを考えすぎて脳をぶち壊し、4年ほどぶっ飛ばした経験がある。となると、心配性で優しい犬は私の邪魔をしているのではなく、私を守ろうとしているんじゃないか。

でも、もういいんだよ。私はもう守られ続けるほど脆くはないし、そろそろ自分でちゃんと考えないといけないことはわかっている。じゃあ私はこの優しい犬を殺してしまわないといけないんだろうか。自分の生をやるためには。私は自分を守ってきた存在と離れてしまわなければならないのか。でもさ、そんなことしたらいくら幻想の犬だとしても、寂しがるんじゃないか? (それに、幻想は殺したって死なない)

私は人の集団と歩くときはほぼ必ず一番後ろを歩いている。犬について考えているとその理由をふと思い出した。私が小さかった頃、母は必ず私や妹の後ろを歩いていたのだ。その理由を訊くと「誰も迷子になったり危ないところに行ったりしないよう、ちゃんと見ているんだよ」と言った。今まで無意識であったが、私も人を後ろから見守ろうとしているのかもしれなかった。

とすると、犬は私の幻想の中の母の姿なのだろうか? しかし本物の母はとうに子離れして、心配はすれど下手に止めにくるということはしないのだった。となると、私はものを考えられないのを幻想の母のせいにしているだけなのではないか。離れられてないのはこっちじゃないか?

と、そこまで考えて気がついた。
幻想を現実に追いつかせればいいのだと。今やっているのと同じように。

幻想は自分自身を守ろうともがいているから歪むのであって、この幻想には私の周りの人を守ってくれと頼むことだってできる。止めに来てもらうのではなく、周りの人を守るために一緒に考えてもらおう、と。
そこまで喋ったとき、私は静かに感動していた。
私はたとえ幻想の中でさえ、誰も殺す必要はなかったのだ。

するとずっと静かだった分析医が口を開いた。
「はい、じゃあこれで終わりにしましょう」
時計を見ると喋り始めてちょうど45分が経っていた。

「精神分析は、セックスしないと決めた二人が、たがいに何を話すことが可能なのかを問うものである」
『親密性』レオ ベルサーニ 、アダム フィリップス

あの分析医は何も言わなかったけど、たしかにそこには私と分析医と、ことばにするという行為に捧げられる厳粛さがあった。自分の中の言葉が美しい光を放ったことを確認したとき、私はたしかに何かを肯定できた気すらしたのだった。

ちなみに私はそれから明らかに挙動が安定したらしい。分析にはまだ通っている。

さて、次回は川野さんの話です。
来週水曜もお楽しみに。
運が良ければ間に更新くるかもしれないので、お見逃しなきよう!


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