見出し画像

肉化、あるいは、コールドスリープ

過去の自分からの手紙──。

君はいま目を覚まし、いつもの1日が始まったような気でいるだろう。
眠りに就いたのは数時間前のこと。これまで何度もそうしてきたように、ベッドから身体を起こす。さて、会社に行く準備でもするか、なんて。

でも、実際はそうじゃない。
君はそのことを知っているはずだ。君が眠りについたのは、気が遠くなるくらい大昔だってことをじきに思い出すはずだ。
ただ、それはあまりにも実感からかけ離れているだろうから、心理的なショックが相当大きいかもしれない。

だからぼくは、こうして君に手紙を書いている。
君も知ってのとおり、ぼく(君)はとても心配症だからね。

君が眠りに就くよりも少し前に、人類は未曾有の危機に直面し、これを避けるべくあの手この手を尽くしてきた。
しかしそれは首尾よくいかなかった。

そこで出てきたのがコールドスリープだ。
といっても、それはSF小説に登場するような冷蔵庫型の冬眠装置ではない。個人の全情報を電子的な形態で書き出し、それをBancoに格納する。
その後、肉体は(というか君、とされていたモノは)公的機関がしかるべき手続きを踏んで処理する。用済みの肉が街を歩いていると、いろいろと不手際の元になりかねないからね。

処理が完了した段階でその個人は「眠り」についたことになる。というよりも、書き出された情報は、単なる情報であるかぎりにおいては「FE(凍結済み存在者:Frozen Entity)」として扱われる。

危機が迫るにつれて「凍る」ことを選ぶ人間は増えていった。
いつか危機が去ったときに「解凍」すればいいというわけさ。やがて各国の政府も決断し、コールドスリープを義務化した。
もちろん、宗教的・文化的バックグラウンドが邪魔をして、どうしてもそれを選択できない共同体もあったが、それらは短期間のうちに滅んでいった。

かくして物理的な意味での人類は、ひとまず消滅した。
人っ子一人いない地球。
といっても、それを肉化させる技術も設計図も、Bancoには残存している。
だからいつだって人間を地球に存在させることはできる。

もちろん、ぼくたちが眠りについたのは、このつらい現世から目を背けるためではなかった。
この恐ろしい冬が終わりを告げて、新たな季節がやって来るのを待つために、コールドスリープを選んだのだ。

ただ、科学者たちはこの危機がとんでもなく長く続くことを知っていた。
数千年、数万年が経過すれば、この惨劇は終わっているかもしれない。
でもどちらかといえば、終わっていない公算が高い──それが彼らの見立てだった。

その結果、ぼくたちは何億年も眠ることになった。
翌日の仕事をすべて放棄した人類たちは、眠りたいだけ眠るのを許されたというわけだ。

目覚まし時計はセットする。翌日に仕事や学校があるからじゃない。
放っておくと永遠に目が覚めないから、針を合わせておくのだ。

そして目を覚ます。
当然、みなが一斉にというわけではない。
n億年、あるいはn十億年、あるいはn百億年に数人ずつ。
誰が目を覚ますかは、当然、Dog脳が決定しているが、それは人間からすればどうやっても無差別なものとしてしか映らない。

言うまでもなく、「目を覚ます」というのは一種のレトリックだ。現実には、単なる情報としてBancadaされていた個人のデータが、延長を有した肉として、時間の中を泳ぐ魂として、この世界に書き出される。

だから、君がこの手紙を読んでいるということは、たったいま、君が肉化されたのだということを意味する。

おめでとう!

その寝グセや腫れぼったい目、前日の激務のせいで張りつめたままの首や背中の筋肉、硬く勃起した股間のそれ、すべては数分前に権現したばかりなんだよ。
君の肉体から任意の1立方センチメートルをどこから抉り抜いたとしても、それは君が知っている「あの肉」とはまったく別の何かだ。
君が知っているどんな赤ん坊よりも、生まれたばかりの真新しい肉の塊、それが君だ。

さて、眠りについた全人類の中で、君が果たして何番目の覚醒者なのかについて、ぼくは知る術がない。

ひょっとしたらほとんどの人類は無事に覚醒し、すべての後処理を終えているかもしれない。
寝坊した君が部屋の外に踏み出すと、すっかり新たな文明が出来上がっていて、「ようやく起きたのか、遅いぞ」と言ってみんなが君を出迎えてくれる可能性もある。

はたまた君は、かなり早い段階で目を覚ましたばっかりに、これからたくさんの大仕事を抱えるハメになるかもしれない。
もちろん君の前向きな性格は知っているから、そうした復興支援に君はやりがいや楽しみを見出すだろうけどね。

あるいは、何億年を経過してなお、危機は去っていないかもしれない。
科学者たちの予測が大きく外れていた場合だ。となると、部屋の外には君より早く目覚めた先輩たちの死骸がゴロゴロと転がっている可能性もある。
残念ながら、コールドスリープという人類の一大選択そのものが、笑ってしまうようなひどい誤謬だったというわけさ。

あるいは!──そこが心配症のぼく(君)らしいところなのだけれど──君はいちばん最初に目覚めてしまったのかもしれない。
いまのところ、地球上で目覚めているのは君だけで、ほかのみんなは情報の海の中ですやすやと寝息を立てている。
「後輩たち」が目を覚ますのは、いまからn億年後…。

想像するだけでも、途方なく寂しい。
だから万が一を思って君にこうして手紙を書いているわけだ。

最後に! この手紙に書いたことがすべて嘘っぱちだという可能性にも思いを巡らせてほしい。ぼくがとんでもなく意地悪な性格だということも思い出しながらね。

過去の君をのふりをしているかもしれないぼくより


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?