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父のスピードメーター

一人暮らしになり、1カ月ちょっと。車を運転していて、ふと気づいたことがある。車の平均走行速度がだいたい時速10~15キロ増しくらいになっているのである、奥さんや子どもが家にいたころと比べて。

あ、念のために注記しておくと、奥さんは出産のために里帰り中なのだ。妻と子に逃げられて、自暴自棄になっているわけではない。

いや、ひょっとしたら自暴自棄になっているのだろうか。一人で暮らしていると、明らかに自分の命や健康に対して、とても、とてもとても、無頓着になる。学生のときはいまのスピードのさらに10~15キロ増しくらいで走行していた(気がする)ので、自分の命どころか、他人の命に対してもかなり無頓着だったと言わざるをえない。クソだね。

こういうときに、家族の重みというものを自覚する。責任感というほどのものではないかもしれないけど、助手席に奥さんが座っているとき、後部座席に息子とその母が座っているとき、ぼくには見えないブレーキがかかっているのだ。

で、ふと思い出したことがある。

高校3年の受験生だったとき、父が愛知の知多半島に単身赴任していた。「受験勉強に集中するため」という名目で、冬休みのあいだ、父が住んでいた社宅で合宿することにした。
二人暮らしといっても、朝起きれば父はもう仕事に出ているし、夜も遅い。事実上の一人暮らしができて、けっこう楽しかった(その結果、センター試験前はほとんど1ミリも勉強しなかった)のを覚えている。

合宿初日、電車を乗り継いで、知多半島にある小さな駅に到着すると、父が駅まで車で迎えに来てくれていた。ものすごく照れくさい。

車はいつの間にか父が買ったでかいワゴン車だ。

助手席に乗り込み、車が発進した瞬間「あ」と声が出そうになった。
父の運転がものすごく乱暴だったからだ。

ぼくはその運転に対して何も言わなかったけれど、正直なところ、ちょっとした衝撃を受けていた。それまで「あたりまえ」だと思っていたあの安全運転は、あくまでも自分や弟や母への配慮の「結果」でしかなかったのだと思い知ったからだ。

おそらく単身赴任で一人暮らしが続いていた父は、その「配慮」をうっかり忘れていた。一人のときは、いつもそんな運転をしていたのだろう。

しかし、18歳のぼくはいつの間にか泣きそうになっているのに気づく。
泣きはしなかったけれど。うれしいような、くやしいような、不思議な感覚。

「現在における配慮の不在」によって、
「過去における配慮の持続」が
かえって強く認識されることがある。

父の肘には大きな古い傷跡がある。そこだけ皮膚の質感が違っているのが不思議で、幼いころのぼくはそこをいつも触っていた。なぜ怪我をしたのか聞いても、本人はあまり言いたがらなかったが、母が言うには、若いころにバイクで転んだのだとか。でもぼくは、バイクに乗っていたころの父を知らない。

そんな記憶が一気につながる。スピードメーターは上がったまま。

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