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存在論的ミルクレープ

やはり世界は多層的だった。

しかもそれらは、すべて全く同じ大きさで、かつ、時を共にしていた。1ミリもずれることなく、ぴたりと重なり合っている。重なっているが、ギリギリのところで触れ合っていない。存在論的ミルクレープ。クレープ生地は無という名の生クリームで隔てられる。だから各層の存在者たちは、別の層の存在者と擦れ違い続ける。原理的には決して出会わない。それが前時代における社会的通念だった。

だが当然のことながら、創造主は各世界層の表面に無をまんべんなく塗り付けることはしなかった。かくしてクレープ生地は相互に接触することになる。存在者はそこを通して層を行き来する、あるいは覗き見る。他界の窓。

ここでミルクレープの比喩は限界を迎える。というのも、各層は無数の点において無数の層と接触しているからだ。現実のクレープBはせいぜいその上下、つまりクレープAとクレープCとしか触れ合わない。しかし無限個の世界層はそれぞれ、ほぼ無限個の世界層と触れ合っている。

ほぼ、と言ったのには理由がある。つまり、現代においては、すべての世界層は必ず無限個の世界層と触れ合っているのか、それとも、そうでない世界層(すなわち、有限個の層としか触れ合っていない世界層)が少くとも一つは存在するのか、という問題を巡って識者たちが議論を戦わせているからだ。

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