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串呂哲学とは(2)串呂哲学の解読法

💟はじめに

このオンラインブックは、神皇正統家しんのうしょうとうけ極秘伝ごくひでん 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)について記述したものです。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)とは、元伊勢もといせ伝承で皇祖神・天照大御神が各地を巡行じゅんこうしながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

神皇正統・三浦皇統家を昭示する神風串呂(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第一章)

元伊勢クシロは、皇城守護こうじょうしゅご結界けっかいのことだといわれて来ましたが、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。


神皇正統しんのうしょうとう嫡皇孫ちゃくこうそん三浦芳聖みうらよしまさ」が、生涯の精魂せいこんを込めて解明した神風串呂によって、「元伊勢クシロとは、皇統正史こうとうせいしを我が国の国土に埋め込んだ地文学・神風串呂であることが判明したのです。


神皇正統・三浦皇統家を昭示する神風串呂
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第一章)


地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問(皇霊学)が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

神風串呂は、地文ちもん(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、真日本国再建のために皇祖神・天照大御神によって構築されました。

ここでは、「串呂哲学の解読法」をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神・天照大御神からの神妙なる息吹を体感体得たいかんたいとくすることができるでしょう!

串呂主宰神かんろしゅさいしん(天照大御神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助てんゆうしんじょにより日本民族本来の力を発揮はっき出来るようになります。

皇大神宮内宮の嫡皇孫は三浦佐久の子孫(三浦皇統家)である。
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第七章)

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、無秩序な群雄割拠ぐんゆうかっきょの戦国時代(120年以上)に、無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。



串呂哲学の解読法

串呂哲学とは(1)」で、「方角の正確な日本地図(国土地理院発行の地勢図・地形図)を貼り合わせたものと糸とによって、同一方角線上に連なる地名(集落、村落、神社、御陵、仏閣、山岳、丘陵、池湖沼、島、湾 など)を貫線的に考証し」と述べましたが、

串呂哲学では、この「地名=地文」をどのように解読する(意味を読み取る)かが重要となります。

串呂は、神霊界の意図を三次元の地上(現象)世界に反映させたものであるため、さまざまな制約があることを理解し、臨機応変・柔軟に地文を解読しなければなりません。

三浦芳聖は串呂哲学を解明する体験の中で、地名(地文)に秘められた様々な啓示を解読していきましたが、元来、神風串呂は、神皇正統家に伝わる「天津神の神意を読み取るための秘法」である事を申し述べておきます。

要するに、串呂を解明するためにこの世に派遣された、串呂台とも言うべき三浦芳聖にしか理解できない事象が多々あったということです。

1、諺文おんもん解読法

諺文(おんもん)とは、音標文字のことですが、串呂哲学では、「諺文おんもん=音文おんもん隠文おんもん」で、地名の読み方の中に秘められた意味を読み解きます。

これは、音韻により地名を転化させて地文を解読する技法のことです。

三次元の限られた空間において、東西南北・縦横無尽に張り巡らされた串呂地文の中に秘められた神霊界の意図・啓示を、多角的、多面的な視点から柔軟に解読する技法のことを言います。

三浦芳聖は諺文を「おんぶん」と読み、音韻による転化だけでなく、後述するさまざまな「転化式解読法全般」を諺文おんぶんと称していました。

藤原石山著『南朝正統皇位継承論』(119頁)に、『熊谷家伝記』に後醍醐天皇の第11皇子の事を「遠良えんろ親王」「遠露えんろ大和尚」と記されていることについて次のように出ています。

後醍醐天皇の第11皇子「満良親王」の「満良」を、「みちなが」と読み、「みちなが」は「道長」で「道長し」すなわち「遠路」で、遠良(えんろ)、遠露(えんろ)大和尚と 称したという解説が出ていて、こうしたことを諺文学おんぶんがく」「韻文学いんぶんがくといって、当時(南北朝時代)こうした学問が通用していたと書かれています。

藤原石山著『南朝正統皇位継承論』(119頁)

ここから満良の読み方は「みちなが」であり、「みつなが」ではなかったことが分かります。

また、藤原石山著『三河に於ける長慶天皇伝説考』(10頁)には、韻文学いんぶんがく諺文学おんぶんがくについて下記のように説明されています。

意味の違うことでも発音の同じなことは何か相通ずるものがあると考え、発音の同じ字を使って陰語として用いることが韻文学であって、道理や諺から同じ意味のことを合わせて用いることを諺文学と云う。こうした考え方が当時は強く用いられていたのである。

韻文学=発音の同じ字を転化させる法
例、松永(まつなが)=松長(まつなが)=松良(まつなが)
例、甘呂かんろ串呂かんろ甘露かんろ

諺文学=道理や諺(ことわざ)の意味から転化させる法
例、堀之内ほりのうち御陵ごりょう(天皇のお墓)
(御陵の回りにおほりが有ることから。下記↓参照下さい。)

これまでにご紹介した例を用いて諺文解読法の復習をしましょう。

大門(だいもん)は、「おおみかど」と解読します。大御門(おおみかど)=大帝=天皇(または皇居)という意味と解釈します。

蔵王山(ざおうざん)・・・蔵(くら)は大事な物をしまっておく所。蔵王=王が隠されている=王の隠棲を表わす。

二見浦夫婦岩(ふたみがうらみょうといわ)二見浦は「ふたみうら」とも言う。「ふたみうら」「みょうといわ」で、見浦(三浦)と夫婦になった(婚姻関係を結んだ)と解釈する。正統天皇が三浦氏と婚姻関係を結んで三浦の姓を名乗っていることを表わす。

2、諺文解読法の例

(1)音韻による転化の例(韻文学)

一身田(いっしんでん)は、一心+母で、一心に祈念を込めた母を表わす。国内唯一の地名。

加賀美(かがみ)は、鏡を表わす。

甘呂(かんろ)は、同音による串呂の韻文。甘露町も同じ。国内唯一の地名。甘呂=串呂=甘露かんろ御神諭ごしんゆ(おさとし)です。

高長(こうちょう=姫路市夢前町)は、「たかなが」と読めるので、高長(こうちょう・たかなが)=尊良(たかなが)。国内唯一の地名。

高良(こうら)は、「たかなが」と読めるので、高良(こうら・たかなが)=尊良(たかなが)

小鷹(こたか)は、小高=古高と転化する。
尊良天皇(大高)-興国天皇(小高=小鷹)

正善(しょうぜん)は、「まさよし」と読めるので、正善(しょうぜん・まさよし)=正吉(まさよし)=正良。国内唯一の地名。

善正(ぜんしょう)は「よしまさ」と読めるので、「善正」(ぜんしょう・よしまさ)=芳聖(よしまさ)=吉正(よしまさ)。国内唯一の地名。

田代(たしろ)は、母の城(家・実家)を表わす。

天神(てんじん)は、「あまつかみ」と読めるので天津神をあらわす。日本神話では高天原に座(いま)す 神々、また高天原から国土に降臨した神とその子孫の神々をいう=天皇をあらわす。

長森(ながもり)=永守=守永と転化する。上下転換語。

登玉(のぼりだま)は、「とうぎょく」と読めるので、登玉(のぼりだま・とうぎょく)=登極(とうぎょく)。皇位に就くこと。国内唯一の地名。

松永(まつなが)=松長(まつなが)=松良(まつなが)

守義(もりよし)=守良=もりなが=守永と転化する。国内唯一の地名。

美良(よしなが)=吉良(よしなが)=吉永(よしなが)

霊仙寺(りょうせんじ)は、霊線=重要な串呂を表わす。

(2)象形文字・偏・旁・冠による転化

(あお)は、青=主+月。

切越(きりこし)は、永享10年(1438)戊午年に切越に移住を表わす。
切=開墾。越=走+戊。走(はしる)=馬(午)。戊=つちのえ。国内唯一の地名。

黒田(くろた)は、母を表わす。
元田は、母の名は元(もと)、黒田(田黒)は、母は二黒土星生まれをあらわす。高田は崇高な母。初田は母の名前は初(はつ)。

(みや)は、ウ冠+呂。ウ冠は庇護・守護・装飾。串呂の守護者。

*お宮という字を分解しますと、宮=ウ冠+呂です。
*ウ冠は、家という字のように屋根を表わします。屋根は、雨・露からいのこを保護する守護者です。
*ウ冠は、空や宇宙という字のように天を表わします。天は地をおおい、有害な電磁波から地球を保護する守護者(天佑神助)です。
*呂は、串呂を表わします。

神社=宮=ウ冠+呂=串呂の守護者を表わします。

弥勒(みろく)は、弥(いよいよ、ますます)革(改める)力(ちから)。

(みさき)は、甲(きのえ)の生まれを表わす。例、甲子、甲午。

時晴と宗明
三浦宗明が時晴と改名(変名)した例、(じ)=宗(ウ+示じ)、(日+主+月)=(日+月)。

(3)字義による転化(諺文学)

麻生(あそう)は、神生(かみうみ)を表わす。
例、三重県松阪市御麻生薗町

愛宕山(あたごさん)は、皇后を表わす。

岩座神(いさりかみ)は、いさり神=いざり神=オロチ族の王。国内唯一の地名。

石鏡(いじか)は、八咫鏡を表わす。天照大御神の御魂代。

五辻(いつじ)は、興国天皇(守永)の別称。

一色(いっしき)は、彼と之とは同じの意味で、重要串呂線上に入る。

犬仏山(いぬぼとけやま)は、戌年に亡くなった事を表わす。国内唯一の地名。

上野(うえの)は、
(1)上野太守を表わす。上野太守・守永親王のこと。
(2)上は、「御上おかみ」、「主上しゅじょう」、「今上きんじょう」など高御座たかみくら登極とうぎょくしたことを表わす。

太神(おおが)は、天皇を表わす。大神も同じ。

大君(おおきみ)は、天皇を表わす。

大串(おおぐし)は、大きな串呂(重要な串呂)を表わす。天皇・皇后に関する串呂を表わす。小串は皇子に関する串呂を表わす。

大崩(おおくずれ)は、天皇の死亡を表わす。「神立かんだつ」も同様の意義。そのほか死亡を表わす地文には「舟入」「立野」「野辺」「野入」がある。

太田・大田(おおた)は、母親の身分が皇族であることを表わす。

大塚(おおつか)は、大きな墓=御陵を表わす。

大丹生(おおにゅう)は、「だいたんじょう」と読めるので、「大誕生」に通ずると解釈する。大誕生は、天皇の誕生を表わす。

大日向(おおひなた)は、天皇を表わす。下記の大日を参照ください。

大呂(おおろ)は、大きな串呂(重要な串呂)を表わす。天皇・皇后に関する串呂を表わす。小呂は皇子に関する串呂を表わす。

隠津島(おきつしま)は、お隠れになったこと(崩御)を表わす。神社名。

忍野村(おしのむら)は、忍んで住むこと、隠棲地を表わす。国内唯一の地名。

小田(おだ)は、母の身分が普通・一般人であることを表わす。
例、小田郡美星町明治は、明治天皇の母親が、庶民出身であることを表わす。(現在、小田郡は合併により井原市になりました。)

親の谷(おやのたに)は、授禅(譲位)を表わす。皇位の継承を表わす。国内唯一の地名。

恩名(おんな)は、御名に同じ。名前を鑑定する地文。国内唯一の地名。

(かがみ)は、三種の神器のひとつである「御鏡」を昭示する地文で、皇位を継承した天皇を表わす。加賀美も同じ。

鏡池(かがみいけ)は、皇后または女性天皇を表わす。

香取(かとり)は、まつろわざる者を平定する意味。香取=蚊取りです。

上野宮(かみのみや)は、上野太守・守永親王のこと。国内唯一の地名。

上村上(かみむらかみ)は、後村上天皇の上を表わす。国内唯一の地名。
本来は、後醍醐天皇の皇位継承者の尊良天皇が後村上天皇になるはずだったが、南北朝の戦乱のため義良親王が後村上天皇と贈り名されたので、尊良天皇の串呂符号が上村上となったものと思われる。詳細はこちら。

神守(かもり)は、神様のような守護があった事を表わす。

神立(かんだつ)は、崩御に同じ。天皇がお亡くなりになる事。
このほか「舟入」「野入」「立野」「大崩」「野辺」も同様の意義。

神戸(かんべ、こうべ)は、神は天皇を表わし、戸は隠す意味を表わすことから、天皇を隠した(御陵墓)の意味を表わす。

串作(くしつくり)は、串呂起点を表わす地文。重要な串呂の意味もある。

国見岳(くにみだけ)
国見(天皇や地方の長官が高い所に登って、国の地勢、景色や人民の生活状態を望み見ること)を表わす。

源次郎岳(げんじろうだけ)は、源氏の次男の意味。国内唯一の地名。

甲生(こう)は、甲(きのえ)の生まれを表わす。

国府(こう、こくふ)は、政府、政庁の意味。政所も同じ。

九重(ここのえ)は、皇室、宮中、禁中を表わす。

五社山(ごしゃざん)は、五辻の宮の「社」(御陵墓)を表わす。

御所平(ごしょだいら)は、御所を表わす。国内唯一の地名。

小高島(こだかじま)は、興国天皇の皇子・皇女を表わす。

古真立(こまだて)は、いにしえの真を立てる。神皇正統家を立てる。国内唯一の地名。

小室山(こむろやま)は、小室門院元子内親王を表わす。

小室沢(こもろさわ)は、小室門院元子内親王の行在所を表わす。

佐久(さく)は、(1)佐久クシロの佐久。(2)佐久姫を表わす。

蔵王山(ざおうざん)、蔵(くら)は大事な物をしまっておく所。蔵王=王が隠されている=王の隠棲地。

獅子(しし)は、百獣の王(ライオン)=王者=天皇。国内唯一の地名。

忍草(しぼくさ)は、忍んで住むことを表わす。国内唯一の地名。

正家(しょうげ)は、神皇正統家を表わす。国内唯一の地名。

聖護院(しょうごいん)は、聖(天皇)を護る学校の意味。国内唯一の地名。

聖龍(しょうりょう)は、成龍法皇=松良天皇(甲辰)を表わす。

神龍(しんりゅう)は、尊良天皇(甲辰)、三浦芳聖(甲辰)を表わす。

皇海山(すかいさん)は、天皇を表わす。国内唯一の地名。

醍醐山(だいごやま)は、後醍醐天皇を表わす。国内唯一の地名。

大普賢岳(だいふげんだけ)は、辰年または巳年を表わす。普賢菩薩は、辰年・巳年の守り本尊。国内唯一の地名。

大日(だいにち)は、天照大御神、天皇を表わす。
大日は仏教の大日如来のことで、『天皇の本』(学習研究社・136頁)に「明治に神仏分離令が布告される以前、日本では、すでに大日如来は天照大御神と同一視されていた。天照大御神が太陽神であると同じく、無限無量の光を三千世界に照り放つ大日如来もまた太陽神であるから、両者は同じ神だという」とある。「大日如来=天照大御神」は神仏習合の世界の常識である様です。 

霊的には天照大御神と天皇は一体であるという解釈も成り立つので「大日=天照大御神=天皇」と解釈することも出来ます。

大松(だいまつ)は、木星または甲(木の兄)・乙(木の弟)生まれの大物を表わす。木星には四緑木星と三碧木星がある。

大門(だいもん)は、「おおみかど」と解読します。大御門(おおみかど)=大帝(おおみかど)=天皇(または皇居)という意味と解釈します。

高尾(たかお)は、尊治、尊良、の子孫を表わす。

高倉(たかくら)は、高座(たかくら)に同じ。

高城山(たかしろやま)は、尊良天皇のお城=金ヶ崎城を表わす。

高山(たかやま)は、父親は、尊良天皇を表わす。

(たけ)は、皇室を表わす。竹の園生。竹生。竹鼻。

立野(たちの)は、死亡をあらわす。
このほか「舟入」「野入」「大崩」「野辺」「神立かんだつ」も同様の意義。

辰巳(たつみ)は、辰年あるいは巳年を表わす。

龍舞(たつまい)は、辰年生まれの方の昇天を表わす。国内唯一の地名。

田貫(たぬき)は、狸(たぬき)に同じ。人を騙す精神の持ち主。

田主丸(たぬしまる)田は母を表わす。田の主は胎児(子供)を表わす。国内唯一の地名。

太郎山(たろうさん)は、長男、一の宮を表わす。国内唯一の地名。

(てら)は、仏像を入れる建物という意味で原則として女性を表わす。

天神(てんじん)は、天津神(あまつかみ・天孫)を表わす。

天道(てんどう)は、天地神明の経綸を表わす。

天龍(てんりゅう)は、興国天皇を表わす。国内唯一の地名。

十原(とっぱら)は、お墓(墓地)を意味する。十は、お墓の標柱。国内唯一の地名。

中田(なかた)は、貴族・高官の家柄の母を表わす。

例、「天照大御神」之「太子ひつぎのみこ正勝吾勝勝速日天忍穂耳命まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと」の皇后「萬幡よろずはた豊秋津師比賣命とよあきつしひめのみこと」が神懸かんがかり給うた事を「中田なかた」と申します。
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第三章第二節)

成生(なりう)は、生成の上下転換語。生成化育の略語。万物を生成化育する神霊の働きや聖人の御徳を表わす。この世に生まれた事(出現)とも解釈できる。

成川(なるかわ/なりかわ)は、南朝副統(吉野朝)の子孫を表わす。憲良(義良)親王の子孫を表わす。(寛成、熈成)

鳴海(なるみ)は、海を振動させる=竜巻を起こす。

南天山(なんてんざん)は、南朝の天皇を表わす。国内唯一の地名。

西山(にしやま)は、「日は西山に没す」というように天皇蒙塵を表わす。

入定(にゅうじょう)は、高僧・聖者が死ぬこと。入滅。国内唯一の地名。

野入(のいり)は、死亡をあらわす。このほか「舟入」「立野」「大崩」「野辺」「神立かんだつ」も同様の意義。

野辺(のべ)は、死亡をあらわす。このほか「舟入」「立野」「大崩」「野入」「神立かんだつ」も同様の意義。

芳賀(はが)は、芳を賀すを表わす。三浦芳聖を賀す(祝福する)。

始神(はじかみ)は、始祖神(始祖王)を表わす。

(はら)は、直系尊属を表わす用語。源に同じで、親以前の先祖を表わす。
例、美女原(島根県仁多郡奥出雲町三成)小松原町(愛知県豊橋市)

日隠山(ひがくれやま)は、天津日嗣の御陵を表わす。

日向野(ひがの)は、天津日嗣を表わす。

聖一色(ひじりいっしき)は、聖(天皇)と同格を表わす。国内唯一の地名。

聖岳聖山(ひじりだけ、ひじりやま)は、天皇を表わす。

聖湖聖沼(ひじりこ、ひじりぬま)は、皇后または女性天皇を表わす。

美星町明治(びせいちょうめいじ)は、皇子様の明治(星は皇子)。美星町は、国内唯一の地名。

日之浦(ひのうら)は、天津日嗣を表わす。。

日岳(ひのたけ)は、天津日嗣を表わす。国内唯一の地名。

日之出(ひので)は、天津日嗣を表わす。

日和(ひより)は、天津日嗣を表わす。

平田(ひらた)は、貴族・高官の家柄の母を表わす。

広野(ひろの)は、長慶院法皇の諱(いみな)寛也(ひろなり)の諺文。

舟入(ふないり)は、死亡を表わす。
このほか「野入」「立野」「大崩」「野辺」「神立かんだつ」も同様の意義。

堀之内(ほりのうち)は、御陵を表わす。御陵の回りにお濠(ほり)が有ることから。

馬木(まき)は、四緑木星午年生まれを表わす。

松尾(まつお)は、松良天皇の子孫を表わす。

祭場(まつりば)は、祭祀をする場所。国内唯一の地名。

狸穴(まみあな・たぬきあな)は、「たぬきの巣」という意味で、人を誑かす精神の人の住居、またはそういう精神の持ち主を表わす。

丸山(まるやま)は、まるさん=丸三で、丸に三つ引きの家紋を表わす。

御園(みその)は、皇室をあらわす雅語で、皇族をあらわす。同じ「みその」でも、草冠のある「御薗」は天皇・皇后を表わす。竹の園生。

水呑(みのみ)は、貧しくて水しか呑めないような生活状況を表わす。

南古都(みなみこず)は、南朝の古の都。国内唯一の地名。

南小松(みなみこまつ)は、神皇正統第98代「小松天皇」を表わす。国内唯一の地名。

南元宿(みなみもとじゅく)は、南朝の元子姫の御所・行在所を表わす。国内唯一の地名。

三原山(みはらやま)は、三人の男性の子を孕んだ女性を表わす。国内唯一の地名。

宮下(みやした)は、三浦の別称。

宮路山(みやじやま)は、宮様の通った道(所)国内唯一の地名。

茂田(もだ)は、母の名前が、茂子、茂代などであることを表わす。

元町(もとちょう)は、小室門院元子内親王を表わす。

本村(もとむら)は、小室門院元子内親王を表わす。

森茂(もりも)は、守永と茂子を表わす。

焼山峠(やきやまとうげ)は、焼かれること。国内唯一の地名

薬師(やくし)は、天皇を表わす。『天皇の本』(学習研究社137頁)には「阿弥陀如来の西方極楽浄土を仏教発祥の地であるインドに見立てると、極東にある日本こそ薬師如来のつかさどる東方浄瑠璃世界ということになる。こうしたことから、日本では天皇がそのまま薬師如来に対応するとされた」とあり、薬師如来=天皇という解釈が成り立ちます。

また、お薬師さんの縁日(正当日)が8日であることから、8日生まれの人を表わす。尊良天皇、松良天皇、三浦芳聖は陰暦8月8日の生まれ。

八尺鏡野(やたがの)は、八咫鏡を表わす。天照大御神の御魂代。国内唯一の地名

(やま)は、原則として父(男性)を表わす。例外もある。

行永(ゆきなが)は、行(ぎょう)を永年実行するの意味。

弓削(ゆげ)は、和気に対する地文で国体変革(破壊)精神、またはそういう精神の持ち主をあらわす。宇佐八幡宮神託事件で有名な「弓削道鏡」の故事により、「臣下の身分で皇位を伺った逆賊」又は「天照大御神の御心に反する」者、またはその精神を表わす。

吉川(よしかわ)は、南朝の子孫を表わす。
 参照「後醍醐天皇(皇子の名の読み)

(よこ)は、五黄土星を表わす。

竜王山(りゅうおうざん)は、天皇の顔を竜顔というように竜王=天皇を表わす。辰年あるいは辰年の天皇を表わす場合もある。

龍子(りゅうこ)は、龍子=天子・天皇。

龍頭山(りゅうずざん)は、辰年の第一皇子を表わす。

和気(わけ)は、往昔、国体を変革せんとした弓削道鏡の企てを阻止した大忠臣・和気清麻呂公(護王大明神)の和気で、国体護持の護王精神、またはそういう護王精神の持ち主を表わす。

(4)複合型の転化

二見浦夫婦岩(ふたみがうらみょうといわ)二見浦は「ふたみうら」とも言う。「ふたみうら」「みょうといわ」で、見浦(三浦)と夫婦になった(婚姻関係を結んだ)と解釈する。正統天皇が三浦氏と婚姻関係を結んで三浦の姓を名乗っていることを表わす。

一身田専修寺(いしんでんせんじゅじ)は、一身田町にある真宗高田派本山の専修寺のことであるが、 三浦芳聖の母・元子が5ヶ年半、観音様を肌身離さず捧持して、一心専念に祈念を込めたことを表わす。「一身」は「一心」、「田」は「母」をあらわす。高田は崇高な母。一身田町は、国内唯一の地名。

高甲良山(たかこうらやま)は、甲(きのえ)の生まれの高良を表わす。高良(こうら・たかなが)=尊良(たかなが)。国内唯一の地名。

吉良見(きらみ)は、吉良(よしなが)を見よ!の意味。国内唯一の地名。

(5)串呂で解明された符号

上野(うえの他)は、上野太守守永親王を表わし、興国天皇の符号。

大久保(おおくぼ)は、大宝天皇の符号。

大和田(おおわだ)は、小松天皇の符号。

善正(ぜんしょう)は、三浦芳聖の符号。国内唯一の地名。

宗心(そうしん)は、大宝天皇の符号。

高松(たかまつ)は、尊良天皇、松良天皇、三浦芳聖の符号。

長森(ながもり)は、興国天皇(もりなが)の符号。

睦実(むつみ)は、睦仁を表わす。国内唯一の地名。

守義(もりよし)は、興国天皇(もりなが)の符号。国内唯一の地名。

由良(ゆら)は、三浦芳聖あるいは三浦皇統家の符号。

和田(わだ)は、松良天皇の符号。

3、八大串呂起点

串呂起点とは、串呂を引く場合に最初に糸を置く始点のことで、その串呂の鑑定元ともいうべき地文のことです。特に重要なものを八大串呂起点(仮称)と名付けました。

(1)皇大神宮内宮(三重県伊勢市宇治館町)神宮(WEB頁)
皇祖天照大御神をお祭りするわが国二所の宗廟の一つ。『承久記』には「日本国の帝位は伊勢天照太神・八幡大菩薩の御計ひ」と記されています。

詳細はこちらを参照ください。 皇大神宮(ウィキペディア) 

(2)石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう、京都府八幡市八幡高坊)

石清水八幡宮
石清水八幡宮

石清水八幡宮といえば、戦前は我が国の二所の宗廟と言われ、朝廷から、伊勢の皇太神宮と並んで大変尊崇された官幣大社で「国体明徴」の神様です。現在も毎年9月15日に勅使が参向して勅祭が行われています。

詳細はこちらをご覧ください。【参照】石清水八幡宮

石清水八幡宮
京都府八幡市八幡高坊(地図マピオン)

(3)多賀大社(たがだいしゃ、滋賀県犬上郡多賀町多賀) 

多賀大社
多賀大社

旧官幣大社で、祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)。長寿の神として信仰される。多賀大明神。多賀神社。俗称、お多賀さん。 串呂哲学の世界では「助命」の大神。

多賀大社
滋賀県犬上郡多賀町多賀(地図マピオン)

【参照】多賀大社(ウィキペディア)

(4)八尺鏡野(やたがの、和歌山県那智勝浦町)国内唯一の地名。
皇位継承(神皇正統の天皇に登極したこと)を昭示する(鑑定する)地文。重要串呂起点。詳細はこちらを参照ください。

八尺鏡野
和歌山県那智勝浦町(地図マピオン)

(5)御正体山(みしょうたいやま、山梨県都留市鹿留)国内唯一の地名。
山梨県都留市と南都留郡道志村の境にある山。標高は1,681mで、道志山塊の最高峰である。日本二百名山、山梨百名山の一つに数えられている。その正体を鑑定する(正体は何かを見る)地文。重要串呂起点。

【参照】御正体山(ウィキペディア)

山梨県都留市鹿留 御正体山

(6)御在所山(ございしょやま、三重県三重郡菰野町)

三重県御在所山
三重県三重郡菰野町 御在所山(地図マピオン)

三重県三重郡菰野町と滋賀県東近江市にまたがる鈴鹿山脈の標高1,212 mの山。読みは「ございしょやま」。御在所岳の別名。

全国各所にある御在所山の中で、鈴鹿山脈にあるこの三重三重郡と滋賀県東近江市に跨る御在所山が、地誌からも地文の上からも標高からも最高の御在所山。何がおわしますか(何が在るか)を見る地文。重要串呂起点。

【参照】御在所山(ウィキペディア)

【参照】御在所山の地名の由来は?
インターネットの「御在所山HP」(広報こもの、平成18年6月号 No.550)を拝見しますと、〔御在所山の名の由来は「神や仏がいます所」の意で、菰野では、垂仁(すいにん)天皇の皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神の神霊を奉じて、大和の笠縫(かさぬい)の宮から伊勢の五十鈴川のほとりへお遷(うつ)しするとき、

その鎮座地を求めて伊賀、近江、美濃の国々を巡行されて、桑名の野代から亀山へ向かわれる途中、御在所山の上に、仮の屯宮(とんぐう)を設けられた故事から、その名がついたと伝えられています。〕と出ていました。(現在はリンク切れです。)

上記の伝承からは、神風串呂の経綸のために皇祖「天照大御神」御自ら、いろいろとご苦心されたことが拝察されます。【参照】御在所山の名の由来

(7)公文(くもん・広島県尾道市御調町)

御調町公文
広島県尾道市御調町 公文(地図マピオン)

公文とは文字通り、公(おおやけ)の地文という意味です。
三浦芳聖は、公文書こうぶんしょの「こうぶん」と読み「絶対に間違いないぞよと云う確証の地文」と解釈していました。

 大辞林によれば、公(おおやけ)には、下記のように国家、朝廷、天皇、皇后などを意味すると出ていますので、公文を「国家、朝廷、天皇、皇后に関する地文」と解釈することも出来ます。

 旧住所は御調郡御調町(みつぎ郡みつぎ町と読む)ですが、おしらべ郡おしらべ町とも読めるので、対象を調査するための地文。重要串呂起点。

【参照】公文について
公(おおやけ)大辞林
①政治や行政にたずさわる組織・機関。国・政府・地方公共団体など。古くは朝廷・幕府などをさす。
②個人ではなく、組織あるいは広く世間一般の人にかかわっていること。
③事柄が外部に表れ出ること。表ざた。表むき。
④天皇。また、皇后や中宮。
最高の公文
全国の公文の中で、最高の地文は、広島県尾道市御調町の公文(旧住所は御調郡御調町)で、御調は「みつぎ」と読むが、おしらべ郡おしらべ町とも読めるので、ある地点・場所を調査するための重要串呂起点です。

(8)橿原神宮(かしはらじんぐう、奈良県橿原市畝傍町)

橿原神宮
橿原神宮

神皇正統第一代神武天皇を祭る元官幣大社。橿原神宮は、祭神・神武天皇が畝傍山の東南・橿原の地に宮を建てられ即位の礼を行われた宮址に、明治23年に創建された元官幣大社。

現在も毎年2月11日に勅使が参向して例祭(紀元祭・きげんさい)が行われている。
【参照】橿原神宮HP

橿原神宮
奈良県橿原市畝傍町 橿原神宮

4、その他の重要串呂起点

石鏡(いじか)は、八咫鏡を表わす。天皇位に登極したかどうか鑑定する地文。国内唯一の地名。

甘呂(かんろ・滋賀県)は、串呂をあらわす地文。国内唯一の地名。

公文名(くもんみょう、くもみょう、くもんな)は、名前を鑑定する地文。

御名(ごみょう・宍粟市山崎町、福井県敦賀市)は、天皇を始め、その名前を鑑定する串呂起点。国内二ケ所の地名。

御陵(神武天皇御陵、応神天皇御陵、後醍醐天皇御陵)など多数。

神社(鹿島神宮、香取神宮、安房神社、白鬚神社、湊川神社)など多数。

高御位山(たかみくらやま・兵庫県)は、高御座の隠文。天皇位に登極したかどうか鑑定する地文。国内唯一の地名。

天子ヶ岳(てんしがたけ)は、天皇位に登極したかどうか鑑定する地文。国内唯一の地名。

天皇(てんのう・香川県他11ヶ所)は、天皇位に登極したかどうか鑑定する地文。

天皇山(てんのうざん・和歌山県、青森県)は、天皇位に登極したかどうか鑑定する地文。

登玉(のぼりだま・長野県)は、登極(とうぎょく)の隠文。天皇位に登極したかどうか鑑定する地文。国内唯一の地名。

八尺鏡野(やたのかがみの、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)は、天皇位に登極したかどうか鑑定する地文。国内唯一の地名。

与位(よい・兵庫県)どのような位に就いたか、就くかを鑑定する地文。国内唯一の地名。

上記以外にも重要串呂起点はあります。



5、絶対確証の串呂

串呂哲学とは(1)の串呂哲学解明の経緯」で紹介した「蔵王山と三浦山の神風串呂」のように、同一串呂線上に同文同種の地文(この場合は「大門」)が三つ存在している場合、これを「三串(みつくし)の串呂」といいます。

同一串呂線上に同文同種の地文が三つ以上存在している場合、これを「絶対確証の串呂」と言い、天地神明が重大なる事柄を確定神示しているものと考えます。このような確定神示の串呂には、著名な神社とか皇陵が存在して串呂を守護している場合や、重要串呂起点・重要地文が存在する場合が多いようです。

絶対確証の串呂の一例
〇「寺野薬師堂・大楠」が守護している大門三串の「蔵王山と三浦山の神風串呂」。

〇三浦芳聖晩年の住所・終焉の地と三河八幡宮、伊勢八幡宮、尾張八幡宮を通る八幡宮三串の神風串呂。

〇三浦芳聖の三箇所の住所が一直方向線上に位置する「正善」と「降誕地」「仮寓地」「晩年の住所・終焉の地」(三カ所の居住地)を貫く神風串呂。

〇松良天皇の串呂上の符号が「和田」であることを昭示する「和田三串・御名・松永の神風串呂」。

大和三串・天子ヶ岳・御正体山の古代神都「東三河」立証の神風串呂

〇「豊臣秀吉・大鳥居三串の神風串呂」

〇南北朝和睦の真相を昭示する「後亀山天王御陵・勅使三串の神風串呂」

以上のほかにも、まだたくさんあります。

6、実証・論証・傍証の串呂

(1)実証の串呂

串呂哲学とは(1)串呂哲学解明の経緯」で紹介した「蔵王山と三浦山の神風串呂」を詳細に考証すると、下記の串呂図の中の次に挙げる三カ所の地文は大宝天皇が実際にその地を踏んでいる

蔵王山と三浦山の神風串呂

宮路山(みやじさん・愛知県豊川市赤坂町)

宮路山
愛知県豊川市赤坂町(地図マピオン)

大宝天皇が炭焼きに変装して隠れ住んでいた所。大宝2(西暦702)年の持統天皇の御幸を記念して大正6年(1917年)に建立された「宮路山聖跡の石碑」がある。

串呂哲学では、この石碑は「大宝天皇が炭焼きに変装して、からくも皇を保した聖跡を記念して天地神明が建立した」と解釈しています。

宮路山(ウィキペディア)

寺野薬師堂(てらのやくしどう・愛知県岡崎市夏山町)

画像24
寺野薬師堂

大宝天皇が御父・松良天皇を隠祀した勅祭寺・行在所。大宝天皇の隠棲地「愛知県岡崎市切越」から近く、ここで大般若六百巻を念書したと推察される。地元の古老は「ちち薬師」と呼ぶ。

お参りすると母乳がよく出る御利益があると言われているが、「ちち」は大宝天皇の「御父(ちち)松良天皇」に由来する。大楠で有名。「楠は木+南」で南朝のシンボル。

岡崎市寺野
愛知県岡崎市夏山町(地図マピオン)

地元の方が発表したHPに下記のように出ています。

 「国道1号線・岡崎市本宿町沢渡交差点から国道473号線を北に約9km進むと、寺野集落の大きなカーブの正面崖上にお寺の屋根と大楠が見えます。大楠は、明治27年に周囲2.5mもある大枝が台風で折れた際、その枝が75円という価格で売れたそうです。
 江戸時代ここには正法寺という寺院がありましたが無住寺となり、その名が消えて今は薬師堂と呼ばれるお堂だけになりました。寺野の大クスは薬師堂のすぐ裏の崖にあり、県下では三番目に大きいクスノキですが、写真のように根を大きく崖面に見せています。これだけの根っ子はなかなかありません。」と出ています。 薬師堂の大楠(愛知県指定文化財)

牧平大門(まきひらだいもん、愛知県岡崎市牧平町大門)

牧平大門
愛知県岡崎市牧平町大門(地図マピオン)

大門(だいもん)は、「おおみかど」と解読します。大御門(おおみかど)=大帝(おおみかど)=天皇(または皇居)という意味と解釈します。三浦家の系図によれば、大宝天皇は、享徳3年甲戌(西暦1454年)この地に移住し、皇后三浦佐久姫の姓を名乗り、三浦藤太夫と称した。

牧平町大門は天照大御神が五皇一体の八幡大明神の降誕予定地として指定された「日本天皇蒙塵(もうじん)の地」であり、大宝天皇以降、三浦家累代 450年間の住居であり、三浦芳聖の降誕地であります。

以上の3カ所は、大宝天皇が実際にその地を踏んでいる。このように、一本の串呂線上に一カ所以上、実地にその地を踏んだことのある地文(出生地、住居、隠棲地、御陵墓など)が存在する串呂を「実証の串呂」と呼びます。

(2)論証の串呂

次にこの串呂線上の一つの地文を別の起点から貫線して考証することを論証と呼ぶ。上記の「蔵王山と三浦山の神風串呂」でいうと、「この串呂線上の牧平大門は、天照大御神の神勅によって移住した神定の地であるからには、天照大御神をお祭りする皇大神宮内宮から串呂したら必ず重要な地文があるはずである」と考え(理論立て)、その串呂線上に貫線する地文を考証する方法である。

すると、「串呂哲学とは(1)串呂哲学経綸の主宰神」で紹介した下記の「皇大神宮内宮」と「牧平大門」の神風串呂のように

皇大神宮内宮-二見浦夫婦岩-佐久島-牧平町大門
となり、

「二見浦夫婦岩」と「佐久島」という二つの重要な地文を貫線していて、「我が国二所の宗廟のひとつ皇大神宮内宮の天照大御神が、天皇蒙塵の地・牧平大門において、天の岩戸籠りをした第百代大宝天皇の皇后は佐久姫である(大宝天皇が三浦氏と婚姻関係を結び三浦と名乗った)ことを立証している。」と、理論立てたことを証明することができるというわけです。

(3)傍証の串呂

上記「蔵王山と三浦山の神風串呂」の串呂線上の一つの地文を、さらに別の起点から貫線して「だめ押し・確認の考証」をすることを傍証といいます。下記の「石清水八幡宮」と「牧平大門」の神風串呂を参照ください。

結論を先に申しますと、神風串呂は、実証-論証-傍証と仮に名付けていますが、天地神明の啓示が串呂(地文)を通して縦横無尽に無限にリンクしています。

風呂敷はどんなものでも包み込むことのできる便利なものですが、敷島の大和の国は、神風串呂が縦横無尽に敷き詰められた串呂の国だと言えるようです。

傍証の串呂の例、石清水八幡宮と牧平大門の神風串呂

以上の二本の串呂によって、天皇蒙塵の地・牧平大門において、天の岩戸籠りをした第百代大宝天皇の皇后は佐久姫である(大宝天皇が三浦氏と婚姻関係を結び三浦と名乗った)と三浦皇統家系図に記載されていたことが証明されたと思いますが、

念の為、更にわが国二所の宗廟の一つである石清水八幡宮から牧平大門に串呂して東西に延長して見ると下記のようになります。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第七章

和気町-吉永中-竜子-石清水八幡宮-牧平町大門-佐久-藤太夫島-安房大神宮

【串呂の解釈】
岡崎市牧平町大門は、大宝天皇(美良)が、三浦佐久姫の姓を名乗り、三浦藤太夫と称して民間に隠れた天皇蒙塵の地であると、石清水八幡宮と安房大神宮が鑑定している。

【地文の解釈】(地図がリンクしてあります。)
和気町(わけ町・岡山県和気郡) 

備前市和気町
岡山県和気郡和気町(地図マピオン)

和気は、往昔、国体を変革せんとした弓削道鏡の企てを阻止した大忠臣・和気清麻呂公(護王大明神)の和気で、国体護持の護王精神を表します。

三浦芳聖は、天皇に関する串呂では『和気は正真正銘の天皇をあらわし(この和気の反対語は弓削)また、応神天皇の御名が「品陀和気(ほんだわけ)」ですから、之にも通ずることになる』と述べています。

吉永中(よしながなか・岡山県備前市吉永町) 吉永町は大宝天皇の諱(いみな)美良(よしなが)の諺文であります。吉永町吉永中は、吉永町の中心地区です。

吉永中
岡山県備前市吉永町(地図マピオン)

竜子(りゅうこ・兵庫県たつの市揖西町)

龍子
兵庫県たつの市揖西町 竜子

たつの市揖西町龍子は、「たつのし いっさいちょう りゅうこ」と発音します。「たつの市」は町村合併の前は「龍野市」と書きました。「龍子」は「辰年の子」という意味に解釈できますが、

「龍顔・龍駕・龍車・龍徳」などの言葉が示すように、龍は天子(天皇)の権威すなわち王権の象徴ですので、「天から王権を授与された者=天子」であるのと同様に「龍から王権を授与された者=龍子」と捉え、

「龍子=天子・天皇」と解読します。そこで「龍子は天皇をあらわす」と解釈することもできます。地名の読み方が不明だったためか、三浦芳聖は、「りゅうし」と読んでいました。

石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう、京都府八幡市八幡高坊)

石清水八幡宮
京都府八幡市八幡高坊(地図マピオン)

石清水八幡宮といえば、戦前は我が国の二所の宗廟と言われ、朝廷から、伊勢の皇太神宮と並んで大変尊崇された官幣大社で「国体明徴」の神様です。現在も毎年9月15日に勅使が参向して勅祭が行われています。

詳細はこちらをご覧ください。石清水八幡宮

牧平町大門(まきひらちょうだいもん、愛知県岡崎市牧平町大門)

牧平大門
愛知県岡崎市牧平町大門(地図マピオン)

大門(だいもん)は、「おおみかど」と解読します。大御門(おおみかど)=大帝(おおみかど)=天皇(または皇居)という意味と解釈します。

三浦家の系図によれば、大宝天皇は、享徳3(1454)年、この地に移住し、皇后三浦佐久姫の姓を名乗り、三浦藤太夫と称した。

牧平町大門は天照大御神が五皇一体の八幡大明神の降誕予定地として指定された「日本天皇蒙塵(もうじん)の地」であり、大宝天皇以降、三浦家累代 450年間の住居であり、三浦芳聖の降誕地であります。

佐久(さく・静岡県浜松市天竜区)

天竜区佐久
静岡県浜松市天竜区(地図マピオン)

大宝天皇皇后「三浦佐久姫」をあらわす地文。
三浦佐久姫は、三浦義勝五世の嫡孫、楠木正成六世の孫。父は三浦宗明、母は楠木正親の女・冬子。『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(291頁)には「皇后富士大宮司三浦氏の第六十一世の嫡女三浦佐久姫」とあります。

藤太夫島(とうだゆうじま・静岡県藤枝市本郷)

藤太夫島
静岡県藤枝市本郷 藤太夫島

大宝天皇の後称「三浦藤太夫」をあらわす地文。

安房大神宮(あわだいじんぐう、千葉県館山市大神宮)

安房大神宮
千葉県館山市大神宮(地図マピオン)

皇室ゆかりの元官幣大社。天太玉命(アメノフトダマノミコト)、天富命(アメノトミノミコト)を始めとする神武天皇のご東征時代、即ち日本建国の為にご活躍された神々をお祭りする由緒ある神社です。

神社のHPには安房神社となっていますが、千葉県館山市大神宮の地名が語っているように、この神社の通称は「安房大神宮」です。

7、天佑神助

三浦芳聖は、串呂を解明する過程で、神秘的な現象を数多く体験している。いわゆる天佑神助である。

その内の顕著な例を挙げると、神示(霊感・霊視・霊聴・串呂の虫など)、地震、噴火、崩落、火災、事故(交通事故・列車事故・ガス爆発など)、建造物の出現などである。

このうちの最もユニークなものが串呂の研究中にどこからともなく飛来して、串呂解明に必要な地文(地名)の上にとまったり、未解明の見えない串呂線上を這って行ったという「串呂の虫」(かんろのむし)の霊示である。

(1)神示

皇祖大神(みおやのおおかみ)の霊示による御導きのことである。霊能者であった三浦芳聖に霊感・霊視・霊聴・串呂の虫などで串呂解明のお導きがあった事例は枚挙に暇がないほどである。三浦芳聖が発表した顕著な例をご紹介します。

・尊良天皇が登極したこと
三浦芳聖が豊川市諏訪町に住所を移転した昭和25(西暦1950)年、後醍醐天皇が三浦芳聖に神懸りして三浦芳聖の口を使って「後醍醐天皇が皇位を譲ったのは尊良親王である。」という重要事項の霊示があった。

・尊良天皇の贈名は「東山天皇」
昭和44年松良天皇御陵での祭祀中に霊示があり、尊良天皇の贈名は「東山天皇」であることを知らされ、串呂の解明により確定した。

・睦仁親王は松良天皇の第四皇子・光良親王の王孫
昭和42(1967)年6月15日の月次祭中に御神示があり、「睦仁親王は松良天皇の第四皇子・光良親王の王孫である」ことを知らされ、睦仁親王の串呂の解明が一気に進んだ。

・串呂の虫による解明
三浦芳聖は、串呂哲学を解明する過程で、神秘的な現象を数多く体験している。そのうちの最もユニークなものが「串呂の虫」(かんろのむし)である。この串呂の虫とは、玉虫色の美麗な虫で、三浦芳聖が地図を広げての串呂研究中に、どこからともなく飛来して、串呂解明に必要な地文の上にとまったり、未解明の目に見えぬ串呂線上を這って行ったというのである。

一般的には信じ難いことであるが、三浦芳聖は、このように「串呂の虫」があらわれて、重要な地名や串呂を発見したことが度々あったようだ。

三浦芳聖が発表した「串呂の虫」の事例を挙げると
高長(兵庫県姫路市夢前町・尊良天皇をあらわす地文)を発見する時に、この「串呂の虫」が現れて地名の上にとまったというのである。

画像10

この「高長」は、尊良天皇が、登極したことを証明する下記の串呂上の重要地文である。

「高長」と「八尺鏡野」の神風串呂
「竹生」-「上野」-「与位」-「高長」-「高御位山」-「高甲良山」-「八尺鏡野」

また、光長(島根県鹿足郡吉賀町注連川・松良天皇の第四皇子光良親王をあらわす地文)を発見する時に、この「串呂の虫」が現れて、地名の上にとまったというのである。

光長
島根県鹿足郡吉賀町注連川 光長

光長-睦仁親王(明治天王)桃山御陵-御在所山-松永-四之宮

この「光長」発見時は、昭和42(1967)年6月15日の月次祭の後、三浦芳聖が門人数十名(南朝史学会・藤原彦人氏同席)と串呂の研究をしている時だったので、居合わせた門人は、この「串呂の虫」を拝見する光栄に浴したようだ。

(2)地震による神示

遠祖「小松天皇・皇后元子内親王」の御陵発見のきっかけは、地震と共に霊眼に地図が映じるという神示であった。

昭和23(西暦1948)年、静岡県磐田市惣兵衛下新田の松島金一郎家で午後9時頃、祭祀中に地震があり、その瞬間、三浦芳聖の霊眼に静岡県中部の五万分の一の地図が映じ、

菊川市の「堀之内」から牧之原市相良町の「堀之内」へ筋が引かれ、次に榛原町の「堀之内」から小笠町の「堀之内」へ筋が引かれ、さらに「松島」(島田市金谷町南西)から「鬼女新田」(牧之原市)へ筋が引かれ、三本の筋がほぼ交差する地点に塚が映ったので、

この三本の串呂を地図上で引いて交差した三角地点内に小松天皇皇后、小室門院元子内親王の御陵「妙覚塚」(静岡県牧之原市相良町大寄部ヶ谷台上)を発見した。なお、堀之内は御陵の隠文である(古代古墳は周りに堀が廻らされてある)。

【参照】三浦芳聖伝 46、小室門院の御陵発見(№168)

(3)噴火による神示

1940年(昭和15年)7月、三浦芳聖は、元企画院総裁滝正雄に呼び出され、軽井沢の近衛家の別荘で近衛文麿から東洋平和の方策について意見を求められ面会中であった。三宅島雄山は、7月12日午後7時30分に爆発した。その時、近衛文麿公の前で三宅島雄山を起点にして「大戦防-逆面」の(大戦の勃発を予告する)串呂を解明したという。

【参照】三浦芳聖伝 33、三宅島の噴火で大戦を予知(№153)

(4)崩落

土砂崩れや崖崩れの事故の時には、「大崩(おくずれ・おおくずれ)」(千葉県安房郡鋸南町大崩山梨県南巨摩郡身延町大崩)を起点にして串呂を引くと、時の神意を知ることができた。

(5)火災

火災が起きた時には、「梶(かじ)」(大阪府守口市梶町福井県坂井市三国町梶など)を起点にして串呂を引くと、時の神意を知ることができた。

(6)事故

事故が起きた時には「的場(まとば)」(愛知県新城市的場静岡県駿東郡清水町的場川越市的場など多数)を起点にして串呂を引くと、時の神意を知ることができた。

(7)建造物

愛知県の名古屋市営地下鉄東山線 中村公園駅の前には高さ24mの「中村の大鳥居」があり、これは、昭和4年(1929年)の名古屋市編入に際して立てられた。京都市の平安神宮大鳥居と同じ高さである。

大鳥居 (2)
中村公園の大鳥居
大鳥居
愛知県名古屋市中村区中村公園前

これは創建当時世界一高い大鳥居であった。地元の人々は豊臣秀吉を顕彰する為に建てたのであるが、実は「豊臣秀吉・大鳥居三串の神風串呂」(神皇正統第98代・小松天皇の符号は「大和田」であることを立証するため)を成立させる為に立てられたものである。

【参照】大鳥居三串、小松天皇(興良)の神風串呂 (№65)

8、ユニークな国内唯一の地文が埋め込まれている!

石鏡町(いじか町)三重県鳥羽市

市子町(いちご)愛知県西尾市

市子殿町(いちことの町)滋賀県東近江市

一雨(いちぶり)和歌山県東牟婁郡古座川町

一身田町(いっしんでん町)三重県津市

歌垣山(うたがきやま)大阪府豊能郡能勢町

王院山(おういんざん)島根県出雲市乙立町

大御神(おおみか)静岡県駿東郡小山町

釜村(かまむら)岡山県新見市神郷

上村上(かみむらかみ)広島県三次市粟屋町

甘呂町(かんろ町)滋賀県彦根市

吉良見(きらみ)岐阜県恵那市明智町

皇后島(こうごうしま)長崎県長崎市小瀬戸町

高長(こうちょう)姫路市夢前町

御器所町(ごきそ町)愛知県名古屋市昭和区

極楽山(ごくらく山)山形県西置賜郡小国町

神種(このくさ)兵庫県姫路市夢前町

古真立(こまだて)愛知県北設楽郡豊根村大字

*五味(ごみ)和歌山県田辺市(国内二ケ所の地名)

御名(ごみょう)兵庫県宍粟市山崎町(国内二ケ所の地名)

蔵王山(ざおうざん)国内二ケ所の地名

逆面町(さかづら町)栃木県宇都宮市

佐久島(さくしま)愛知県西尾市一色町

四之宮(しのみや)神奈川県平塚市

治明(じみょう)愛知県西尾市一色町

瑞龍町(ずいりゅう町)茨城県常陸太田市

清子(せいご)山梨県南巨摩郡身延町

勢力(せいりき)岡山県赤磐市

助命(ぜみょう)奈良県山辺郡山添村

尊房(そんぼう)千葉県鴨川市

大戦防(だいせんぼう)茨城県結城市

大忠(だいちゅう)岡山県新見市神郷釜村

高甲良山(たかこうらやま)和歌山県田辺市龍神村

高御位山(たかみくらやま)兵庫県加古川市志方町成井・高砂市阿弥陀町

田貫湖(たぬきこ)静岡県富士宮市

父鬼町(ちちおに町)大阪府和泉市

長者ヶ岳(ちょうじゃがだけ)静岡県富士宮市

出来山(できやま)愛知県北設楽郡設楽町

天子ヶ岳(てんしがだけ)静岡県富士宮市

天地(てんち)静岡県榛原郡川根本町千頭

藤太夫島(とうだゆうじま)静岡県藤枝市本郷

天照(とんしょ)福知山市

登玉(のぼりだま)長野県木曽郡上松町大字荻原

美女原(びじょはら)島根県仁多郡奥出雲町三成

聖一色(ひじりいっしき)静岡県静岡市駿河区

美星町明治(びせいちょうめいじ)岡山県井原市

吹嵐(ふきあらし)長野県飯田市上飯田

御稜威ケ原(みいずがはら)埼玉県熊谷市

三浦貯水池(三浦湖・三浦ダム)長野県木曽郡王滝村

三浦名(みうらみょう)千葉県東金市

三浦山(みうらやま)長野県木曽郡王滝村 国内二ケ所の地名

御正体山(みしょうたい山)山梨県都留市と南都留郡道志村の境

御衣野(みぞの)三重県桑名市多度町

御調町公文(みつぎ町くもん)広島県尾道市(元御調郡)

光長(みつなが)島根県鹿足郡吉賀町

御弟子(みでし)山梨県南巨摩郡身延町折門

南山方(みなみやまがた)岡山県和気郡和気町

三宅島雄山(みやけじまおやま)東京都三宅村

御幸ケ原(みゆきがはら)栃木県宇都宮市

睦実(むつみ)静岡県周智郡森町

守義(もりよし)愛知県新城市作手

八尺鏡野(やたがの)和歌山県東牟婁郡那智勝浦町

与位(よい)兵庫県宍粟市山崎町

龍子(りゅうこ)兵庫県たつの市揖西町

両神山(りょうかみさん)埼玉県秩父郡小鹿野町両神薄)

9、天皇・皇族を表わす地文

御、天、神、聖、公、鏡、皇、霊、高、大、竹、明、位などが付く地文は、天皇・皇室を表わす文字である場合が多い。

御名、御所平、大御神、天地、高天、高天原、大神、神戸、聖岳、聖一色、聖山、大聖寺、公文、公文名、八尺鏡野、皇踏山、天皇、霊仙寺、高御位山、高城山、高甲良山、大日、大君、大門、竹の輪、竹生、明神、神明、大明見、与位、位山、大明神岬、大呂、大串、大倉、大宮、大和、大地、大祖、大丹生、大日向、大和田、大平山、大普賢岳など多数。


🔴神風串呂を学びましょう!

串呂哲学研究会では、今日では入手不可能な三浦芳聖師の著書を復刻するのに多くの時間と労力を掛け、採算を全く考慮せず、串呂図、表紙画像、系図、中扉などのCG画像作成のために多くの費用を掛けて参りました。

これは、我が日本国と日本民族の将来を案ずればこそであります。皇祖神・天照大御神が、私達日本民族のために、苦心惨憺、長期間を掛けて構築して下さった神風串呂を学びましょう!


🟢後醍醐天皇の皇位を継承したのは誰かについて、歴史資料を示し、さらに串呂で証明した串呂哲学の概説書かつ神風串呂の入門書!


💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志)


🔴バックナンバー(総合)

🟡情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№1)
串呂哲学とは (1)串呂哲学概説(№1)
🟢次号(№3)
正統天皇が天の岩戸篭もりし三浦と名乗った!(№3)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会 
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。