見出し画像

皇大神宮内宮から「佐久」を鑑る! 佐久クシロの神風串呂(№6)


💟ご挨拶

このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)について記述したものです。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

各地を行脚した大御神(元伊勢伝承)

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

ここでは「⛩皇大神宮内宮と浜松市天竜区佐久とを結ぶ神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。


1、大御神という地名が存在した!

⛩皇大神宮内宮と佐久(静岡県浜松市天竜区)とを結んで東西に延長しますと、静岡県駿東郡小山町の「大御神」(おおみか)という地名が串呂しています。日本で唯一の地名です。

この大御神という地名は天照大御神を表す地文だと思います。
一体この神風串呂はいかなる天啓であるのでしょうか。
ご一緒に考察いたしましょう!

大御神
静・駿東郡小山町(地図マピオン)

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


3、皇大神宮内宮と浜松市佐久の神風串呂

天竜区佐久
静岡県浜松市佐久(地図マピオン)

🟡佐久を鑑定する神風串呂

前回の⛩皇大神宮内宮から藤太夫島を鑑る! (№5)では「⛩皇大神宮内宮」に「⛩石清水八幡宮と牧平大門の神風串呂」の「藤太夫島」を鑑定して頂くという視点での神風串呂をご紹介しました。

🟡⛩石清水八幡宮と牧平大門の神風串呂
「龍子」―「⛩石清水八幡宮」―「牧平大門」―「佐久」―「藤太夫島」―「⛩安房大神宮」

🟡⛩皇大神宮内宮から藤太夫島を鑑る神風串呂
⛩皇大神宮内宮」-「高松町」-「小松原町」-「和田」-「小松」-「小松天皇御陵」-「藤太夫島」-「松長」-「〽聖岳」

今回は「⛩石清水八幡宮と牧平大門の神風串呂」上の「佐久」を、「⛩皇大神宮内宮」に鑑定して頂くという視点での神風串呂をご紹介します。

大宝天皇は、天照大御神のご神諭のまにまに「三浦佐久姫」の姓を名乗り、「三浦藤太夫」と称して天の岩戸篭りをしたのですから、「皇大神宮内宮から藤太夫島を鑑る神風串呂」と同様に必ず重要な地文が出るはずです。

そういう視点では「論証の串呂」ですが、すでに論証の串呂は「石清水八幡宮と牧平大門の串呂」で済んでいますので、この串呂は、前回同様ダメ押しの関連リンクを念のため確認するという「傍証の串呂」です。

詳しくは「串呂哲学とは(2) 串呂哲学研究ノート№2 」の「串呂哲学の解読法4、実証・論証・傍証の串呂」を参照ください。

三浦芳聖は、「⛩皇大神宮内宮」(伊勢市)と「佐久」(浜松市)とを串線すると、次の様になると述べています。

🟡串呂図

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第七章

三浦峠」(十津川村)―「大日岳」(下北山村)―「⛩皇大神宮内宮」(伊勢市)―「日出町」(田原市)―「佐久」(浜松市)―「大御神」(小山町)

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』321~322頁、現住所に改め、日出町を追加した。)

🟡地文のみ掲載

「三浦峠」―「大日岳」―「⛩皇大神宮内宮」―「日出町」―「佐久」―「大御神」

🟡串呂の解釈

 天照大御神様は、この最も根源的な串呂によって、天照大御神の真の皇位継承者、すなわち真の天津日嗣の天子は、将来「三浦と名乗る」(三浦藤太夫、三浦佐久姫の子孫である)と表現しておられるのです。 これは正に地文により、地上に張り巡らされた皇統正史にほかなりません。
 また、三浦佐久姫は富士大宮司・三浦家の嫡孫である事を昭示する神風串呂です。富士大宮司・三浦家こそが天照大御神の嫡孫であることを昭示している串呂です。

天照大御神が、大宝天皇に「三種の神器を地下深く埋蔵して、天の岩戸篭りとし、三浦佐久姫の姓を名乗って三浦藤太夫と称し、牧平大門に移住して天運循環の時を待て」との御神諭について、神々の深い経綸があった事が感得されます。

「皇大神宮内宮」と「大御神」を結ぶ串呂上に、「三浦峠」「佐久」という地名が存在することについて三浦芳聖は、同上著321頁で下記の様に述べています。

「大宝天皇皇后三浦佐久姫がいかなるお方であったかこの串呂で分かります。」「三浦佐久姫は天照大御神が分神として人間の姿を以て降誕された方であります。」(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』321頁)

神皇正統家の天の岩戸篭りに当り、三浦佐久姫が、物心共に大きな働きをされたことが想像できます。

私は、この神風串呂に加えて、三浦佐久姫が伊久智神社に木花佐久耶姫として祀られていることや、神社に隣接して神后庵と称する本地仏を祀る菩提寺があること、更には富士大宮司三浦氏の第61世の嫡女であることなどから、

「三浦佐久姫は天照大御神の御神意を感得できる巫女(霊媒)としての霊能力の持ち主であったのではないか」と推察しています。

🟡各地文の解釈

地名に地図がリンクしています。
(1)三浦峠(みうらとうげ、奈・吉野郡十津川村大字三浦)

三浦峠
奈・吉野郡十津川村大字三浦 国内唯一の地名

三浦氏をあらわす。ここでは三浦佐久姫の姓をあらわします。

この三浦氏は三浦芳聖の著書に「応神天皇の第二皇子大山守皇子より五十七世の嫡孫、富士大宮司、富士十二郷の総地頭・無二心八将の一人、南朝秘密裏大将、三浦義勝」とある大変由緒ある家柄のようです。

【参考】三浦峠(十津川村観光協会)

(2)大日岳(だいにちだけ、奈・吉野郡下北山村)大日岳地図

下北山村大日岳
奈・吉野郡下北山村 大日岳(地図マピオン)

大日は仏教の大日如来のことで、『天皇の本』(学習研究社・136頁)に

明治に神仏分離令が布告される以前、日本では、すでに大日如来は天照大御神と同一視されていた。天照大御神が太陽神であると同じく、無限無量の光を三千世界に照り放つ大日如来もまた太陽神であるから、両者は同じ神だという。

とあり「大日如来=天照大御神」は神仏習合の世界の常識であるようです。

霊的には天照大御神と天皇は一体であるという解釈も成り立つので「大日=天照大御神=天皇」と解釈することも出来ます。

三浦芳聖は、大日を天皇と解釈していますが、大日=天照大御神で「天照大御神のご神命により」と解釈することも出来ます。特にこの串呂の場合は、「天照大御神を表わす」がよいと思います。

(3)皇大神宮内宮(こうたいじんぐうないくう、三・伊勢市宇治館町)

皇大神宮内宮
三・伊勢市宇治館町 内宮(地図マピオン)

皇祖・天照大御神を奉斎する我が国二所の宗廟の一つ。八大重要串呂起点。串呂主宰神をお祀りする神風串呂の基点です。

『承久記』には「日本国の帝位は伊勢天照太神・八幡大菩薩の御計ひ」と記されています。その「皇大神宮内宮」の皇祖天照大御神に「佐久」(静岡県浜松市天龍区)を鑑定して頂くという設定での神風串呂です。神宮HP

【参照】皇大神宮内宮(伊勢市宇治館町)

(4)日出町(ひいちょう、愛・田原市)

田原市日出町
愛・田原市 日出町(地図マピオン)

日出は日の出の隠文。日の出は太陽が出てくる夜明けの象徴。大日-日出で日(太陽)二串(同文同種の地名)に相当します。日出の石門で有名な観光地です。三浦芳聖の別の著書に出ていますので追加しました。

(5)佐久(さく、静・浜松市天龍区)

天竜区佐久
静・浜松市天龍区 佐久(地図マピオン)

大宝天皇の皇后「三浦佐久姫」を表す地文。三浦佐久姫は、三浦義勝五世の嫡孫、楠木正成六世の孫。父は三浦宗明、母は楠木正親の女・冬子。『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(291頁)には「皇后富士大宮司三浦氏の第六十一世の嫡女三浦佐久姫」とあります。

三浦義勝五世の嫡孫、楠木正成六世の孫
  三浦義勝-義利-宗正-宗明-佐久姫
  楠木正成-正行-正光-正親-冬子-佐久姫
(加茂喜三著『富士〝隠れ南朝〟史』318頁 富士地方史料調査会)

また、三浦芳聖の他の著書には「応神天皇の第二皇子大山守皇子より五十七世の嫡孫、富士大宮司、富士十二郷の総地頭・無二心八将の一人、南朝秘密裏大将、三浦義勝の嫡孫三浦佐久姫」「三浦家の系図には木花咲耶姫命の再現と記されてあった」とあります。(『日本歴史の誤謬を正す』緒言三頁)

故に富士大宮司家(三浦氏)の忠臣らは、愛知県知多郡東浦町大字生路に土着・百姓となり、主君の三浦佐久姫を木花佐久耶姫として祀り「伊久智神社」と称した。神社に隣接して「神后庵」と称する本地仏を祀る菩提寺がある。(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第7章第11節の写真頁より)

伊久智神社(愛知県知多郡東浦町大字生路)

伊久智神社」、創建年不詳。 1454年(享徳3年)長坂近江守等が社殿を修造した記録が残っている。享徳3年は大宝天皇(皇后佐久姫)が切越から牧平大門へ移住した年である。「伊久智神社」の所在地は、東浦町大字生路字森腰79。

神社名:伊久智神社
鎮座地:愛知県知多郡東浦町大字生路字森腰79
御祭神:木花開耶姫尊(木花咲夜姫)、塩土老翁神(塩土翁)
社格:旧村社

富士市の歴史研究家である加茂喜三氏は、『富士“隠れ南朝”史』(富士地方資料調査会318頁)に「『宮下文書』は、大宝天皇の皇后はこの富士浅間宮大宮司三浦義利の子孫の宗明が楠木正光の孫冬子姫を娶って生んだ佐久姫で、兄宗泰の一子明竹は小豆坂の戦いで討死したと記している。」と述べています。

【参照】大宝天皇の皇后「三浦佐久姫」の系譜
三浦義勝五世の嫡孫、楠木正成六世の孫
 三浦義勝-義利-宗正-宗明-佐久姫
 楠木正成-正行-正光-正親-冬子-佐久姫
(加茂喜三著『富士"隠れ南朝"史』 318頁 富士地方史料調査会)

三浦芳聖の著書には大宝天皇に最後まで付き従っていた臣の一人に「富士大宮司家の子孫相州城主三浦時晴」がいたと出ています。

三浦宗明と三浦時晴が同一人物かどうかは分かりませんが、この時代は身の危険を避けるために名前を変えること多かったので、同一人物の可能性は大いにあります。

宗明を分解すると、ウ冠+示(じ)・日+月、時晴を分解すると、日+寺(じ)・日+主+月となります。推測の域を出ませんが、この両者は、まず同一人物の可能性が強いと思います。

(6)大御神(おおみか、静・駿東郡小山町)

大御神
静・駿東郡小山町 大御神(地図マピオン)

皇大神宮内宮を起点にした串呂ですから、皇祖天照大御神をあらわすとなります。日本で唯一個所の地名だと思います。

【参考】大御神(オオミカミ)(日本神話・神社まとめ、擅恣企画 )

●大御神と言うのは、二重に褒め称えた特別な名前。
●大御神と讃えられるのは、天照大御神(アマテラスオオミカミ)・伊邪那岐大御神(イザナギノオオミカミ)・迦毛大御神(カモノオオミカミ)のみ。
●アマテラスは生まれた瞬間から「大御神」と評されているのに対して、アマテラスの親であるイザナギが初めて「大御神」と評されるのは、スサノオとの対話から。つまり初出から大御神と言われていない。
●迦毛大御神(カモノオオミカミ)はアジスキタカヒコネ神のこと。この神が「大御神」と評される理由はよく分からない。

4、この神風串呂の哲学的考察

(1)「皇大神宮内宮」と「佐久」とを結んだこの線上に「三浦峠」「大日岳」「日出町」「大御神」という的確なる地名が串線する神秘的かつ驚異的な神風串呂です。

三浦芳聖が解明した串呂は他にも沢山ありますが、これまでご紹介した下記の5本の串呂で「神々が、ある目的のもと、長年月かけて日本の国土に、地名(地文)を以て串呂を構築された!」という認識を確かなものにできたかと思います。

目に見えないものを信ずる世界ではなく、地図上で確認できる世界であることが串呂哲学の特徴です。

(2)三浦芳聖は、「この串呂は、『古事記』天孫降臨の條の、此の二柱の神(天照大御神と思金神=おもいかねのかみ)は佐久久斯呂(さくくしろ)伊須受能宮(いすずのみや)に拜(いつ)き祭る」の「佐久久斯呂」の事だと述べています。

佐久久斯呂、伊須受能宮は、通常「裂釧(さくくしろ。鈴を多くつけた釧。五十鈴の枕詞)、伊勢の五十鈴川のほとりの皇大神宮」と解されています。


💖バックナンバー総合

🔴情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№5)       
🟢次号(№7)    

******************
🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
*******************

読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。