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量子テレポーテーションで送られる人間のアイデンティティ

 量子テレポーテーションについて、哲学に興味があるカナダ在住の一般の方から質問を受けたことがあります。転送される人体は装置によってバラバラの素粒子に分解され、データの受信場所にあった別な素粒子を使って再構成されるわけですが、そのときに現れる人間は本当に出発した人間と同じ人物なのかという質問です。

 量子情報物理学の立場からお答えすると、それは本当に同一人物です。人体を含め、量子テレポーテーションされる様々な物体の本性は、多数の素粒子に記憶された量子情報そのものです。情報を持たない素粒子1つ1つには個性は全くないし、誰かの体を作っていたという記憶もありません。これについては、下記のブログ記事も参考にしてください。

量子テレポーテーションは、本当はテレポーテーションではないのか。 - Quantum Universe (hatenablog.com)

 転送される「本人」の量子報物理学での定義は、外部の観測者がその対象にあらゆる質問や刺激を与えても、転送する前の人間と全く同じ回答や反応をするというものです。例えば転送前に持っていた記憶は、全部転送後も確認されます。情報が全て漏れなく移動していることが、「本人」の定義です。

 この定義を採用すると、量子テレポーテーションで移動するのは、飽くまで本人です。複製(コピー)ではありません。人間をマクロな量子系として、その量子状態を転送するので、この量子状態の中の量子情報は、ユニタリー性から複製が禁止されています。ビット値で書かれる古典的な情報とは大きく異なる点です。

 古典情報は簡単にコピーができますが、量子情報はコピー不可能なので、量子テレポーテーションで転送される量子的な「本人」は、量子力学の原理に守られた、とても強いアイデンティティを持っています。

 量子テレポーテーションの最初の測定において、転送される人物はそこで死ぬと思う一般の方に指摘できることは、測定後に残った素粒子をどう調べても、転送された人物の情報が片りんも残っていない事実です。情報の複製を遠隔地に作るのなら、元の地にも情報が残っているはずですが、そうはなっていません。

 この量子テレポーテーションの議論からは、心と体は区別できない心身一元論か、魂と体は別と考えるような心身二元論かという問題に答えることはできません。例え二元論であろうと、心は宇宙の外にあって非局所的だとし、量子テレポーテーションでも元の場所に心は取り残されないと言われれば否定できません。そもそも心身が一元か二元かという問題は、科学手法で導かれる合理的な一つの解答が得られない問題になっています。物理学者がすべきことは、「心身二元論は間違いで、心身一元論が正しい」と主張することではなく、「心身一元か二元かは、科学で決定できる問題ではない」と正確に答えること。言えないことを主張する踏み出し過ぎは致しません。

 量子テレポーテーションは、テセウスの船でもスワンプマンでもどこでもドアでもありません。送り主の測定からは、送るモノの設計図を作ることもできないのです。測定結果には、全くそのモノの情報は含まれないためです。転送するモノの情報とは全く無関係なランダムな数列が、測定結果として吐き出されます。だから作れない設計図からの複製(コピー)を作ることも不可能なのです。モノの情報がデータに入っていないにもかかわらず、そのランダムデータを受信地に送ると、受信地の素粒子を使って、その転送されたモノがそこに復元されるのです。スワンプマンの思考実験では、その出現成功率は非常に小さいですが、量子テレポーテーションの成功確率は原理的には100%にいくらでも近づけられます。スワンプマンの話では複製は沢山作れますが、量子テレポーテーションでは複製作成は量子力学の原理から禁止されます。どこでもドアは、時空の異なる場所を繋ぐワームホールのようなアイデアです。しかし量子テレポーテーションでは、そのように送信場所と受信場所を距離零で繋ぐことをしないため、光速度で送信場所と受信場所の間を情報が走る時間が最小限かかります。

 なお量子力学での様々な過程は、観測者毎に全く異なる描像を持つのが、古典論とは大きく違う点です。量子テレポーテーションでも同様で、その過程で量子情報がどのように移動していくのかは、観測者によって大きく異なります。これについては下記ブログ記事で述べています。

量子テレポーテーションでアリスとボブの間のどこを量子情報は飛んでいくのか。 - Quantum Universe (hatenablog.com)

(扉絵 著作者:vectorpouch/出典:Freepik)


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