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永遠のトートロジーという宿命を負う、量子力学の多世界解釈理論

前世紀には量子力学が情報理論であるということは、まだ明確ではありませんでした。波動関数は何等かの「実在」であり、それが観測で相対論的因果律を破って一気に1点に収縮するのは問題だと、多くの人々が考えていました。量子力学にはそのような波動関数の収縮という深刻な「観測問題」があり、それは物理学の最も重要な未解決問題だとも主張をされていたのです。しかし21世紀の現在では、量子力学にそのような「観測問題」はそもそも無かったのだという理解が成されています。

情報の集まりに過ぎない波動関数はむしろ観測でしっかりと収縮をすべき概念であることは今では明確になっていますが、前世紀にはなんとか波動関数を収縮させないで済む理論を作れないかと、多くの物理学者が頭を悩ませていました。その1つの挑戦が多世界解釈理論だったのです。

その理論では、波動関数は宇宙全体を記述するしっかりとした「実在」であり、それは決して観測で収縮はしないのですが、代わりに何かが観測されるたびに、異なる結果の世界が分岐していくというシナリオです。自分の居る世界とは異なる多数の世界が実在をするという主張も含まれていました。しかし実際には我々はそのような他の世界を感じていません。この事実をなんとか説明しようと藻掻いていたのが、前世紀の状況でした。

その他の世界は実在していても観測をされない理由として有望だと言われていたのが「デコヒーレンス」です。デコヒーレンスとは、量子重ね合わせの干渉性が自然に壊れる現象です。他の世界との間の量子干渉性が壊れてしまえば、1つの世界の中に居る観測者は他の世界を原理的に観測できなくなるだろうと主張をされていたのです。しかしその議論も無意味であったことが、現在では下記記事のように知られています。

波動関数の重ね合わせを許す線形性という性質だけから、二重スリット実験などで使用される確率解釈などを論理的に導けると、多世界解釈理論では期待をされていたのですが、それは現在でも達成されていません。それは実は永遠に証明されることのない主張であることも現在分かっています。多世界解釈は現時点でも未完成な不完全理論ですが、その意味では今後もずっと不完全なままでいることが宿命づけられているとも言えます。

一般に観測者は、何かを観測してその結果から1つの事象が起きたとしっかりと認知します。しかし観測者の意識、つまり<私>を表す1つの基底というものが、多世界解釈理論の唯一の要請である線形性からは決して定まらないのです。その観測者の脳や体を作る素粒子の集まりの状態ベクトルは、状態ベクトル空間のいろいろな基底で展開されます。線形性から各基底は全く平等なので、それぞれの基底での異なる意識があってもおかしくはありません。その意味で多世界解釈理論の設定のままだと、全ての人類は「量子的多重人格者」だとも言えます。その中のどの基底が実際の意識として1つだけピックアップされるのかのメカニズムが、この理論には無いのです。

敢えてこの方向性に固執するならば、例えば宇宙の外に居るなんらかの超越的な存在が、観測者の脳の素粒子に対して特別な1つの基底を指定をして、更にその基底で展開をされる脳の意識の量子的重ね合わせ成分の中から、唯1つの意識の状態を選び出している等とするしかありません。そうでも考えないと、多世界解釈理論は永遠の同語反復、つまりトートロジーに陥る宿命は避けられないのです。そのような超越的存在などを更に仮定しないと、線形性だけからはこの観測者の意識基底選択問題は決して解けないのです。これが多世界解釈の致命的な弱点なのです。

多世界解釈については、MITのセス・ロイドさんが、ホーキング博士の共同研究者でもあった多世界解釈好きなドン・ペイジさんに、冗談でロシアンルーレットの賭けを持ちかけた話も有名です。(ちなみにホーキング博士自身は多世界解釈を特には支持していませんでした。)

こめかみに当てた銃からは5/6の確率で弾丸は出ず、ペイジさんはロイドさんに勝って大金を得るのですが、1/6の確率では、弾丸が出て死んでしまう。「でも多世界解釈が正しければ、他の世界で必ず君は生きてるのだから、問題ないはずだよね」と、ロイドさんはペイジさんに言ったのでした。それに対して長時間考え抜いたペイジさんは、「1/6の世界でも自分の奥さんを悲しませたくないから賭けはしない」と断ったという話です。

ロイドさんのペイジさんへのこの多世界解釈のジョークは、実にこの解釈の本質的欠点を突いたものでした。<私>という1人の人間の意識の置き場である「この世界の実在性」と、多世界解釈で強調される「他の世界の実在性」の間に生じるナンセンスを表現したものだったのです。多世界解釈は実証科学として意味があるのか?という真摯な問いかけを含むものでした。

前世紀に多世界解釈が有望と考えていた人が多かったのは、量子力学を実在論的に捉えようとしていた研究者が多かったという側面があるでしょう。彼らは、波動関数は物理的実在で、その収縮も物理的過程と考えたいと思っていました。現在では、波動関数は情報であり、実在ではないというのが合理的です。

21世紀の現在では、古典力学のような実在を扱う理論とは異なり、量子力学は情報理論の一種であるという認識です。波動関数の収縮は、観測者にとっての知識の増加に伴う確率分布の変化に過ぎません。神秘的で理論としても未解決な物理現象では、決してないのです。宇宙の外の超越者や、実在として分岐していく多世界を考えるような解釈理論との格闘は無用な時代となったのです。

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