21/1/10

家の扉を開けたらほんのり暖かくて、その先の部屋の扉を開けたらぽかぽかしていて、こたつに入って待っていたら大好きな鮭か肉じゃがかうなぎが運ばれてきて食べて、自分は風呂掃除せずともぴかぴかの湯が溜まった風呂に足を伸ばして入れて、大きな鏡の前で髪の毛を乾かして、こたつでゴロゴロしてうとうとしてそんなところで寝たら風邪ひくわよ〜という声を朧げに聞いて目覚めたらいつのまにかもこもこの布団とふかふかの愛に包まれていて、ということが恋しくなった。

実家ではなくて、ほぼ祖母の家の思い出。祖母は6年前に亡くなったけどもうすぐ誕生日。亡くなった人の誕生日はどうすごすのが正解なのだろう。好んでいた水色を見ると、庭に咲いていた椿の花の季節になると、桜よりすきだと言っていた梅の木をみると、思い出しては嬉しくなり教えてあげたくなり、いないんだったとやっと思い出す。口角は上がったまましっかりと悲しく、瞳の光彩が色を受け止めずすり抜けて、私の視界は彩度が低い世界になる。

泣くから悲しい。だから泣かなくなった。これだけ悲しいことがあったのに泣かなかったという対照ができてしまって、自分のことで実生活では涙がでなくなった。悲しいときは泣いて消化して悲しんだほうが良かったなといまは思う。

弱っていく姿、心臓が止まるとき、呼吸が止まるとき、すぐに冷たく硬くなっていく皮膚、最後に隣で眠り自分だけ目を覚ましたときの不思議な感覚、告別式遠い親戚がわいわいする光景を俯瞰し血の繋がりや書類にサインした関係を家族と呼ぶ虚しさを知ったこと、焼かれ骨上げし壺に入り小さくなった姿、前述の名前も知らない親戚が喉の骨が立派ねと元気に過ごしたのねと勝手に話し元気じゃないから焼かれたのでは?とまた嫌な人みたいなことを思ったこと、私には煌めいて見える星の砂のような宝物のような入りにきらなかった粉の骨を見つめていたら火葬場の方に気になりますか?と尋ねられたこと、全部眼球に焼き付けた。感じた。この一連の淡々とした流れが"死"と理解したはずなのに、まだわかっていない。わかりたくない、信じたくない、乗り越えたくないからか。

歳をとらない誕生日は、何をしてあげたら良いのか。すきな花を飾り、よく一緒に食べた饅頭を食べ、果物をむき、同じようにつくれるようになった肉じゃがをつくる。もう何年も夢にも出てくれない。思い出す姿はいつも同じ服を着て、同じ場所にいる。もっとたくさんのことを思い出したいのに記憶は薄れていく。頭の中でも声に出しても話しかけて、返ってこない。どうしたらいいかわからないまま6年が過ぎ、きっとこれからもそうしてひとりで歳を重ねる。

考えると悲しいから考えないのに、いつのまにか考えている。思い出が多すぎる。すこし遅くに起きて台所へ行くと、澄んだ冷たい空気が流れて白い湯気がたゆたう。浜村淳のラジオが流れて新聞を読みながら、社長出勤ですねと私にいう。用意してくれたトーストと焦げ目のついたソーセージと牧場の朝というヨーグルトとスープを食べて飲んで、覚えてもいないほどの当たり前の会話をする。恋しいよ。

新しい地があることを、そして元気だったらいいなと祈る。幸せでいてほしい。願わくば私のことを忘れないでいてほしい。でも忘れて幸せでいてくれるならそれでいい。私が忘れない。

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