技術が盗まれたからではない、株が外国人に買われたからでもない  自滅する日本

技術が盗まれたからではない、株が外国人に買われたからでもない
  自滅する日本

(以下は全て引用、貼り付け、編集させていただいたものです。)
 

『なぜ日本は同じ過ちを繰り返すのか
太平洋戦争に学ぶ失敗の本質
松本利秋 
戦後の日本は驚くべき高度経済成長を遂げたが、何の根拠もなく高度経済成長を実現したのではない。
戦前でも一九一六年から三六年までの二〇年の間、一人当たりのGNPを平均八・九%も伸ばし、高度成長を遂げていたのだ。
これは一九五〇年から七〇年の二〇年間の一〇・二%に次ぐ成長である。
一九二九年の世界大恐慌からも、日本はいち早く立ち直った。
米ドルベースの戦前のGNPピークは一九三六年だが、一九三八年に近衛文麿(このえふみまろ)内閣によって国家総動員法が制定され、日本経済は低迷に転じたのである。
一九三六年以前には民間メーカーに競争試作させていたが、統制経済方式が始まった三六年以降は指名入札方式に転換され、民間会社同士の競争による技術開発より、その一社が一つの新機種開発に専念できる一社独占のほうが効率的だとされたのだ。
自由な競争を排し、自分たちの統制下に民間企業を置くというのが官僚的発想であり、陸海軍発注部門は企業にとって絶大な権力を持つ。
当然のことながら、企業と軍官僚の間に腐敗の構造ができ、天下りの道筋も確保できることは否めないよる競争回避の構造は、新興企業の参入を妨げ、既存大企業を優先すこととなり、中小企業を合併などの手段で消滅させるのである。
これによって新技術の開発、これまでになかった角度からのアイデアなど、今で言うイノベーションの芽を摘み取ってしまったのだ。

電機大手では三洋電機の名がすでに消えた。
シャープは時間切れぎりぎりに偶発債務の問題を突かれて台湾企業に買い叩かれた。
かつて「技術のソニー」と呼ばれたソニーにも、往年の輝きはない。
トップの責任は言うまでもないが、不正に手を染めたのは現在の日本では優秀とされてきたベスト・アンド・プライテストたち(最良の聡明な人たち)である。
東芝では経理・財務の専門家、三菱自動車では開発・検査にかかわる技術者たちだ。

東芝の粉飾決算も、後の調査では、歴代の首脳陣はいつかはバレると思いつつも、自分の担当する時期に発覚せねばよしとする先送りと、無責任体質が破綻の原因となっている

ソニーは、一世を風靡(ふうび)したウォークマンを作り、世界を席巻しただけでなく、新しいライフスタイルを創造する推進役ともなった。
日本がちょうどデジタル革命に差しかかっていた一九九九年当時、インターネット時代のポータブルオーディオを支配するのはソニーだと誰もが思っていた。
しかし、組織が分断化し全体を見渡せない視野狭窄(きょうさく)に陥っていた。
社内の異なる部門が、同時に同じ新製品を作ってしまい、三つの製品が登場。
その結果、自社製品同士で「共食い」が起き、結果としてどの商品もあまり売れなかったのだ。
そして新時代の製品開発に失敗し、アップルにその座を取って代わられてしまったのだ。

素晴らしい技術者がいて、成果を出していた組織が、技術的に最高水準を保っていながら製品が売れないという現象は、ソニーのみにあったことではない。
シャープも優秀な液晶画面の技術を誇っていたが、安価な製品に敗北するという、今も目の前で起きているさまざまな事件や事象で、容易に理解できるのではないだろうか。

シャープが長年扱ってきた「シロモノ家電」と言われる冷蔵庫や洗濯機は、開発からかなりの時間が経っているため、生産技術の完成度が高く、熾烈な価格競争にさらされやすい。
中国や台湾のメーカーは、日本企業の現地工場で育った技術者を中心に、安価な労働力を使って製品コストを下げ、新興国の市場に浸透していった。
生産規模が上がると、さらにコストを下げることができ、一段と競争力を高めていく。
これはかつて日本の企業が通ってきた道でもある。
日本企業の進出がアメリカの家電業界をほぼ消滅させ、日本企業もこのまま無為無策でいたら、いつかは取って代わられると承知していたはずである。
ところが、ほとんど意味をなさない、スマホでの遠隔操作ができる洗濯機や高画質のテレビの開発に向かうという、組織として視野狭窄に陥り、不要な機能が付いた製品が市場に出されたが、世界のマーケットから受け入れられず、惨憺(さんたん)たる状況になり経営不振に陥った。

ここには本質的なイノベーションに取り組めず、変化に対応できないという、戦前の日本型組織の弊害が残っていたと言えるのではないだろうか。

今も続く台湾沖航空戦並みの隠蔽体質
事実を捉えて、それをどう評価し、現実の対応に結び付けていくのかがもっとも重要課題であるにもかかわらず、目の前にある責任逃れのために情報を加工していった台湾沖航空戦での大本営発表と極めて類似した発想である。
二〇一一年三月十一日に、太平洋の三陸沖を震源とする東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)が起こった。
さらに地震によって引き起こされた津波により被害が拡大し、津波は福島第一原子力発電所の事故を引き起こしていた。
政府や東京電力は
「炉心の溶解=メルトダウンは起こっていない」と繰り返したが、原発事故発生からニカ月経った五月中旬、福島第一発電所一号機が地震発生後約五時間後にメルトダウンを起こしていたことを公表した。
都合の悪いことは隠すか触れることをせず、結果が明らかになった段階で想定外の出来事であったと弁明することで、自己責任追及を躱(かわ)そうという当局者たちの、事実と情報に対する真摯(しんし)な態度を持ちえない日本型の発想である。
安全はそれなりの対価を払って得られるものであり、投資に見合って獲得でき得るものである。
日本人のメンタリティは基本的には「安心」感を得ることを良しとするところにある。
加工された情報が事実となって拡散して、それを基に意思決定をすることになる。
軍という大組織を運用する者の自己保身と無責任体質で、台湾沖航空戦の誤報を海軍はひた隠し、何万という将兵を無駄に死なせる末期的症状を見せた。
日本人の歴史と文化が生み出したものであり、問題の所在を的確につかめなければ、解決の道は生まれないのである。

日本は戦争の方式がまったく違う。
まず第一に、
長い歴史の中で民族浄化を行ったことがない。
ヨーロッパ人が旧約聖書どおりの略奪と虐殺、強姦を繰り返し実行している間、まったく違う戦争をしていたのである。
典型的な例の一つが、平清盛(たいらのきよもり)が源義朝(みなもとのよしとも)を討った後、義朝の愛妾常盤御前(あいしょうときわごぜん)を許し、その子の義経(よしつね)と、腹違いの兄頼朝(よりとも)らを許したことである。
その結果、この兄弟に平氏は滅ぼされてしまった。
秀吉は備中(びっちゅう)高松城主清水宗治(しみずむねはる)の切腹を条件にすべてを許した。
関ヶ原の戦いは稲の刈り取りが終わるのを待って始められ、百姓たちは弁当持参で合戦を見物した。

ヨーロッパ人の歴史的な戦争観
旧約聖書「民数記(みんすうき)」に、古代から続いたヨーロッパ人の戦争観がつづられている。
それによれば、神の約束の地カナンに着いたモーゼは、その地に住む異教の民を滅ぼしていく。
第31章にはミディアン人との闘いの記述があり、一万二〇〇〇人のユダヤ戦士は、ミディアンの戦士を皆殺しにして王を殺した。
さらには羊の群れと財貨をすべて奪い、街々をことごとく焼き、女子供を捕虜にして戻ったとなっている。
だが
「男の子は皆殺し、男を知った女も殺せ。
男を知らない娘はお前らのものだ」と言ったモーゼが、なぜ女子供を生かしておいたのか。
つまり、モーゼを通じて神が語っている戦争とは殺戮(さつりく)と略奪と強姦であり、戦争とは相手民族の淘汰だと言っているのだ。

だから、種を持つ男はたとえ一歳児でも殺す。
男を知った女、つまり人妻は子種を宿している可能性があるから殺す。
妊婦は腹を裂き胎児を取り出して殺すのが戦争の形だ。
また
神は第33章で憐憫(れんびん)や同情をするなと宣じる。
「もし彼らを生かしておけば、その者はお前たちの目の棘(とげ)、脇腹の茨(いばら)となり、お前たちを悩ます結果となるから、皆殺しにしろ」と説いている。
新大陸に渡った清教徒たちは、新約と旧約の聖書を読んでいた。
だから異教徒の先住民インディアンに対しては、当然のようにミディアン人と同じことをした。
イギリスは、巨大なダイヤモンド鉱脈が発見された南アフリカを手に入れるため、ボーア戦争を仕掛けた。
後に首相となるチャーチルも中尉で参加しているが、イギリス軍はボーア人戦闘員の男が出かけた後に、村に残った女子供を一カ所に押し込め、村の周りに火を付けて焼き殺した。
それを見た男たちが絶望して降伏するという凄惨(せいさん)な戦いを繰り返し、ついに南アフリカを手に入れたのである。
一九四五年春の東京大空襲では、アメリカ軍は大きく円を描くように焼夷弾(しょういだん)をばら撒き、退路を断った上で中心部を攻撃するという徹底的な殲滅(せんめつ)作戦を行った。
これはボーア戦争でのやり方と同じである。

これらの歴史的事実からもわかるように、
彼らの戦争目的は敵(異教徒)を徹底的に叩き潰し、民族を消滅させることにある。