リコール権を行使しよう

選ぶ権利があるということは罷免する権利もあるということです。リコール権を行使しましょう。

今回、深田萌絵さんの五月の国会を取り囲むイベントを見て、サポートしようとしていた手が、ふと止まってしまいました。国会を取り囲むよりも、仲間内で情報を共有するよりも、もっと効果的な手段があるはずだと思ったのです。

デモは私を惨めな気持ちにさせます。行列を作った李、いつも使わない言葉を怒鳴ったり、それも誰かの後について復唱したりなど、私が一番やりたくないことです。心を合わせることができない人、合わせたくない人が必ず含まれています。あのようなやり方は、市民が未だ権利を持っていなかった時代フランス革命の名残です。

大勢集まることで、かえって権力を守る口実を作ってしまう。そしてさらに、大勢が集まらなければ、誰かを糾弾したりたった一人を退陣させたりもできないという印象を強くして、私たちの、民主主義の平等性を幻想にすぎないと思わせる原因にさえなっていると思います。

国会を大勢で取り囲むよりは、河野太郎氏の議員バッジを外させるために、地元の有権者と懇談しましょう。WHOに参加する代表者に掛け合って、反対票を投じる方法を見つけましょう。官僚や議員が良心的に行動できる手伝い方を協議しましょう。
ワクチン工場の建設会社と話し合って、建設中止のためのほうほうを見つけましょう。スマートに誇り高く行動してこそ、ワクチンを未だ信じている人たちを説得できると私は思います。ワクチンを勧める文章を読み上げるアナウンサーには、その人自身が撃っているかどうかを証言してもらいましょう。良心を捨てなければ続けられないような仕事をキャンセルできるように私たちがお給料を保障できる良心寺を作りましょう。良心裁判を準備しましょう。その放送局や新聞をボイコットしましょう。

誰もが、良心に従って生きられる世の中を作ることこそがグローバリスト批判よりも大切なことです。

安保闘争時代を生きた私が求め泣いでいられないのは、一過性のデモが獲得しえない国民主権、「個人の良心の自由」の実現です。