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新時代、的な

大それた話ではない。
とりあえず、見ず知らずの場で、身の上話をすると、

私は31歳(男)。未婚であり、もちろん?子供もいない。
やりたいような仕事は現在進行形でできているし、趣味は1日が足りないくらいにはある。力を入れている音楽活動では、ドラマー、パーカッショニスト、アートディレクターとしてアーティストのサポートを行なっている
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新時代と題したが、
新しい波(才能)が岩壁を大きく越えている様を、隣で飛沫を浴びながら、びしゃびしゃと感じているところであり、
メディア上でも大きなうねりは掴み取れるが、あえて私見を。

東京という日本の経済の最先端で、クリエイティブ / ビジネス、切っても切り離せない関係性のある(と感じている)仕事を通して感じたこと、個人的にがむしゃらに続けている音楽活動の2軸から。

今まで当たり前とされてきた活動は、もうそこにはなかった。
これはただの私調べであり、肌感覚であったりすることは前置きとして承知していただきたい。
デザイナーはビジネスを熟考し、アート軸を持ってアプローチすべし。アートを志すもの、どうやって金銭的な解決を目指すべきか。前者も後者も、違う事柄のようで同じことだと感じる。

企業で数年デザイナーをやれば感じる、やりたいことはできてるが、お金や時間がついてこない。お金や時間はあるが、やりたいことってなんだっけ?この事象自体に、不思議感覚を持てなくなってしまってる世代...今まではそうだったように思う。趣味と経済を、切り離さないと自己実現できないことが当たり前だという考えを、未だに持つ人がいる以上、世代と一括りにすること自体ダサいかもしれないが、敢えて極論を。

先日、偶然居酒屋で知り合ったカメラマン。「海外で展示もやった。仕事も取れている。やりたいことには向かえてるから、次はビジネス視点で自分の在り方を見つけたい。だから制作プロダクションに入った。」弱冠21歳である。こんなに明確なビジョンを持った若者たちが、東京の街にはうようよといる。

“17歳の新星ジャズ・ピアニストのデビューアルバム『PLANKTON』/甲田まひるインタビュー” より引用

ー ファッションは表現方法のひとつ。だって、外見でその人の人柄や何が好きなのかといった個性を出せるところは、そんなに多くないですよね。ジャズに出会ってからは、ファッションと音楽の両方で自分を表現したいと思うようになりました。

ー ファッションを楽しむように──。若い人にももっとジャズを聴いてほしい

とてもいいインタビュー記事だった。
自分のやりたいこと、在り方がよく見据えられている。ソーシャルの台頭、力を持つメディア形態の変動、その中で自分を表現する手段なんかいくらでも存在する。その上で、売り込みのためだけのマーケティングを考えれば、ビジネス思考に支配されて欲求レベルが低下し、本質的なカオスは何処へやら。在りたい姿である「実態」が抜け落ちた、ただただ、消費の木にしがみつく抜け殻、である。継続の観点で障害が生じることも多々あるだろう、推論。

今音楽でバリバリ頑張っている20台前後の人たち、プロデューサー、ライター、カメラマン、映像作家や、イラストレーター。彼らはそういう中立的な視点を、支配されずとも感覚的に持っているように思う。感性は豊か、技量はピカイチ。そして何より、不安や心配事はあれど、幸せそうなのである。新時代だなぁ、とか感じてしまう。
年齢は関係なく彼らには、自分の在り方はコミュニケーションするし、評価してもらいたい相手である、とも感じる。

しかし、野生の動物を見るときのような感じである。孤高であり、勇猛。そして仲間を敬愛している。東京の荒波に揉まれる勇敢な若者たちが、自分で生きていきたい場所を作り、人や時代を巻き込んで成長していく。大波を乗りこなすほどの、センスと知性と人間性を持っている。(あっぱれ!)

中途半端な歳になって、今の自身の社会性を考えることもある。
田舎出身としては王道の人生感なんてものが、知らず識らずに叩き込まれ、(それが何かと敢えては言わないが)道を踏み外さないようになんて、考えていた。
結婚したい、だなんてざっくり考えていたこともある。しかし、今を見据えると、その意義みたいなものはすっかりと抜け落ちていた。親のためにも、早く孫の顔を。そういう考えも至極立派である。自分の幸せと、隣人の幸せを考え抜いた先に、人生や経済価値感の王道はもはや無く、関係性のあり方も形容できなくなるのだろうと思う。
時代はどんどん変化して、人類も想像できないような思考の先へ向かっている、気がする。選択は幅をなくし、モラルと自由が交差する。

在りたい自分があれば、在りたい人生があれば、自ずと答えが見つかる。そうだろう?みたいな同志がいると、人生は楽しくなる。
大義のために自分を失う時代はもう終わっている。何者とも比べず、自分を大切に育んでいけば大義が見つかる。そう信じて止まない。そういう人たちや感覚に出会えて、“新時代”、楽しいな、と思うわけである。

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