日本女子サッカー界のシャビ・アロンソ?柳井監督率いる大宮アルディージャVENTUSの新たな船出

2021年のWEリーグ発足を契機に、大宮アルディージャがFC十文字VENTUSを継承する形で誕生した大宮アルディージャVENTUS。

2023年6月30日、クラブは現役時代INAC神戸レオネッサ等で活躍した柳井里奈監督の就任を発表した。

リーグ成績はこれまで9位(2021−22)、6位(2022−23)と”中位クラブ”といって差し支えない成績を収めてきたチームが、今、新監督の下で大きな変革の時を迎えている。


VENTUSの主力選手

現在の大宮アルディージャVENTUSのメンバーはかつて日本代表を経験したベテラン選手を中心に以下のように構成されている。

2023-24 大宮アルディージャVENTUSスクァッド

最終ラインには両サイドに代表経験者である鮫島、有吉が並び、中心にはCBには体を張った守備だけでなくビルドアップへ参加できる確かなフィード力を持った乗松瑠華がいる。

中盤には今季、初代WEリーグ王者INAC神戸から移籍し、狭いエリアでも確実にボールを扱うことの出来る阪口萌乃の他に、同じく今季新加入のサイドでも10番でもプレーできる船木里奈、かつて日テレ・ベレーザでプレーし高いプレースキックの能力を有する上辻佑実が主力として名を連ねる。

相手のチャレンジを受けてもボールを失わない阪口

前線にはスピードを活かしエースとしてゴールを量産する井上綾香を中心に若手とベテランがバランスよく構成された並びとなっている。

長所を活かす柳井采配のビルドアップ

そんな選手たちを指揮する柳井監督は、非ポゼッション時にはゾーンで守る4-4-2の形を採用

上図のWEリーグカップ第3節日テレ東京ヴェルディベレーザ戦では林みのり、阪口萌乃のダブルピヴォットの左右に仲田歩夢、船木里奈がそれぞれ並び、上辻佑実が井上綾香とともに2トップを形成した。

ポゼッション時にも同様の形を基本としながらも、自陣深くにボールがあるときにはダブルピヴォットの一角である林が下がり、その前に阪口と前線から1列下がった上辻が8番として並ぶ形になりボールを前進させる。

このビルドアップこそが柳井采配の最大の特徴である。

先述の通りVENTUSの主力選手たちにはそれぞれ
・パスを出せる守備陣
・狭いところでもボールを失わずスルーパスをだせる中盤
・スピードに秀でた前線
という特徴がある。

柳井監督はこれらの選手の長所を組み合わせ、最終ラインと近い距離まで中盤の選手が下がり数的優位を作ると、3人目を経由する短いパスで相手のプレッシャーの逆方向へパスを繋ぐことを徹底

それにより味方が前を向いてフリーでボールを受け取ると、それをトリガーとして前線でスピードを武器とする井上が一気に裏へ加速する。

また、その応用として最終ラインと中盤の選手が少ないタッチで細かくパスを繋ぎ相手のプレスを誘発し片方のサイドに密集すると、乗松を起点に大きく逆のサイドへ展開する等、

大宮アルディージャVENTUSはこのビルドアップの形を徹底している。

この試合ではまさにこの狙い通りの形から強豪ベレーザ相手に先制点を奪っている。
52分、GKスタンボーからボールを受けるため林が1列下がり相手の間でボールを受けると

同じく下がってきた上辻へパスすると、ベレーザ8番菅野がその上辻に喰いつく。上辻は素早くレイオフしボールを林へ戻すと、

前を向いてフリーでボールを受けた林は船木へボールを渡し、船木も同様に前を向いてフリーでボールを受けたことをトリガーとし、前線で井上が一気に加速

スピードで勝る井上が質的優位な1v1を作り

そのままゴールを奪った。

柳井監督は就任直後の早草紀子氏のインタビューにこのように答えている

―実際に指導する上で理想像というのは最初からあったのですか?
柳井
 最初から変わらず「長所で勝負すること」です。足が速い、ボールスキルが高いとか長所って持って生まれたものも多いですよね。(中略)世界を目指そうと思ったら長所はズバ抜けてないといけない、短所は人並みでなければならない。短所ですらスーパーである人が世界と戦うことができるんだと思います。

https://www.ardija.co.jp/ventus/digitalvamos/?id=41004

この言葉の通り、柳井監督が志向する「長所で勝負する」形は就任から公式戦3戦目にしてすでにチームに浸透していると言えるだろう。

今後を占うVENTUSの課題

新しいサッカーに順調な適応を見せている大宮アルディージャVENTUSであるが、攻守ともにいくつかの課題が残る。

攻撃の課題①ゴールキーパーのプレス耐性

このようなビルドアップを中心とした攻撃は、時に相手からマンツーマンのハイプレスを受け数的な優位を作れないことがある。
その時に重要になるのがゴールキーパーのビルドアップへの参加だ。

ここまでの3試合では望月、今村、スタンボーがそれぞれ1試合ずつ出場機会を与えられているが、いずれもビルドアップへ参加するのに十分なプレス耐性があるとは言い難い。

対戦相手が意図的にゴールキーパーへのコースを空け、そこにボールが入ったところでプレスを掛けられた時にどのように対処していくのかが今後の注目のポイントになるだろう。

攻撃の課題②ローブロックをどう崩すか

また、このビルドアップによりプレスを誘発しアタッキングサードで質的優位な1v1を作る戦いは、極端なローブロックを敷く相手に対してどのように攻略するかが課題となる。

WEリーグカップ初戦INAC神戸戦での仲田歩夢のゴールやこの試合の上辻佑実のロングシュートのように、遠目から打つのは一つの策ではあるが、

このようなxGの低いシュートがリーグ戦で直接順位を争うような相手との重要な場面で決まるかどうかはギャンブルに近い側面がある。

ローブロック相手の攻略法は今季の成績に直接的な影響を与えるだろう。

守備の課題①対人守備

中位クラブである大宮アルディージャVENTUSにとって浦和、ベレーザ、INACの所謂3強との試合は格上との対戦となる。リーグトップクラスの選手と1v1で対峙する場面では、局地的に質的な不利の影響が出てしまう。

この試合でもエリア内で簡単に相手にシュートを打たせてしまう場面が目立ち、

スタンボー華の素晴らしいセービングがなければ失点していてもおかしくないシーンが見られた。

守備の課題②セットプレー

大宮は岡本前監督の時代から引き続きコーナーキックではゾーンでの守備を採用している。

ゾーナルに守ることの利点は、マンマークはその性質上必ず相手の動きに対して後手に回るのに対し、ゾーナルでは守備側が主導権を握ることが出来ることにある。

しかし、現在の大宮のコーナーディフェンスはゾーンを横断するような斜めのランニングに対し対応が曖昧になり

味方同士が重なる場面がしばしば見られる。
3強が頭一つ飛び抜けたWEリーグでは、中位〜下位のチーム同士の試合が拮抗したものになりやすく、時にセットプレーが勝敗の命運を握る。コーナーディフェンスは今後の重要な課題になるだろう。

柳井監督が描く希望の未来

公式戦たった3試合で選手の長所を活かした素晴らしい戦いを体現する一方で、いくつかの課題も残る大宮アルディージャVENTUSは、今シーズンの長いリーグ戦の中で内容は良くても結果が伴わない試合をおそらくいくつも経験するであろう。

このような場合、男子のビッグクラブでは、監督のスタイルにあった選手補強をすることが一般的であるが、元々リーグ全体の経済規模が小さく、かつ、主力がほぼ全員残留しチームとしてますます円熟味を帯びる浦和レッズレディース、他クラブの主力を獲得できる資金力のあるINAC神戸レオネッサ、主力が海外移籍をしても次から次へと下部組織から育ってくる日テレ東京ヴェルディベレーザの3強がいるWEリーグでは、中位クラブが即座に選手補強をするのは難しい。

また、シーズン途中の冬の移籍期間は、現在のWEリーグでは高卒・大卒の選手が学業を終え春から正式にチームに加入することが多く、即戦力の補強も難しい。

そのため、柳井監督のサッカーが真価を発揮するのは数シーズン先になるのではないだろうか。クラブ、そしてサポーターが目の前の結果に一喜一憂せず、長期的に現体制をサポートできるかが大宮アルディージャVENTUSの未来に大きな影響を与えるであろう。

世界では柳井監督のような、必ずしもアタッキングサードで数的優位を作ることやポゼッション率を高めることを目的とせず、プラグマティックにビルドアップをしながら縦に速く攻撃を展開する監督として三笘薫が所属するブライトンのデゼルビ監督、ブンデスリーガで急成長を遂げるバイヤー04レヴァークーゼンのシャビ・アロンソ監督が大きな注目を集めている。

今季、日本女子サッカー界で最も注目を集めるのは、柳井里奈監督率いる大宮アルディージャVENTUSかもしれない。

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