死んでたかも

死んでたかもしれない瞬間、人生で2回ある。
どっちも小学校6年の時だった。

ひとつは夏休み中、学校のプール解放の日だった。その日は夏休み中最後だったか、ほとんどが自由時間という日だったと思う。

みんなビーチボールや持ち込んだ浮き輪で遊んでた。俺はみんなが遊んでる中、ひとりで水中にもぐり、みんなの足元を泳ぎ回るのが好きだった。なるべく潜水時間を長くやるのが美学だった。

浮島、と呼ばれるプール遊具があった。ビート板と同じ素材で円形。厚さ15センチ、直径1メートル強。その上に子どもが乗るだけのもの。その下をくぐり抜けるのは醍醐味だった。一番大きい遊具で、プールの底に落ちる影も大きくて美しい、鯨の下をくぐっているようで気分が良かった。これまでの自由時間も何度もくぐっていた。今日も当然くぐる。

何度目だったか、背中がぴたっ、と浮島の裏側に貼り付いた。首から腰まで貼り付いていて、プール底には爪先が付くか付かないか。泳ごうとしても進まない。(うわ、今までこんな事なかった)心がパニックになった一瞬、口から空気がごぼごぼ漏れた。(やばい、たすけて!)と叫びたいが水中というのは無情なもので声は誰にも届かない。浮島に腰掛けている誰かの足を叩いても、3、40人の子どもが遊びまくってる中では気にも留められない。

涙がゴーグルの中に溜まる。耳の奥がきゅっとなり、みんなの声が少し遠くなる。どうやったか分からないが俺は5、6人乗ってる浮島をひっくり返した。

浮島の下から命からがら出てきた俺にみんなが「何すんだ!」と言った。言うよね。説明するのがめんどくさくて、ごめん!とだけ返した。

あれ以来プールで溺死する子供のニュースを観ると泣きながら気絶します。

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もうひとつは理科の授業だった。班の数だけ大きいラジオが用意され、それを自由にぶっ壊していいぜ、という授業。プール同様、ラッキーな授業。(卒業間近でこういうのが多かった)

みんな思い思いの分解を見せた。スピーカーを破いて中を見たり基盤のコードを切ったりして盛り上がった。

俺の班には後に医者になるほど頭のいい「みっちゃん」という男がいた。頭はいいが、俺と仲が良いくらいなので少し壊れていた。

我々はコンセントに目をつけてしまった。「これ、ヒモ部分の根元で切ってさあ」「コンセントの穴に挿したら」「電気通るかな?」「通っても切った部分に触らなきゃ大丈夫でしょ」

理科室のテーブルにはコンセントの穴があった。我々は黒いケーブルから銅線剥き出しのコンセントを挿した。


次の瞬間、教室は真っ白な閃光に包まれた。

漫画の爆発のシーンで良くある白黒の世界だった。その中で俺が見たのは光で輪郭が見えなくなってるみっちゃんと、コンセントの切った部分に出来た5センチ程の光の球だった。

ほんの一瞬の閃光だったが余りに長く感じた。じっくり、色が付いた理科室が帰ってきた。教壇にいた担任が飛んできた。驚き、安堵、怒りなどなどが入り混じった顔だった。怪我が無いのを確認すると「死んでたよ、本当に。」と言い捨て、コンセントを取り上げた。授業の残り時間、ラジオの持つ殺傷能力を知ったクラスメイトは先程とは打って変わり、しずしずとラジオを分解を続け、しずしずと授業は終わった。

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もう一個あった。中学の時柔道で臭い事で有名だった奴に腹で締められた時、臭すぎて死ぬかと思った。お前は、どうして、腹から、腐った卵の匂いがするんだ?嘘だろ。



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