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「豊後大野にはなにもない」と笑顔で語るおいちゃんたち。

他人に何かをわかってもらうということは非常に難しい。同じ言葉でも、聞き手と話してとの前提が違えば、全く違う話になる。その中で、伝えたい意図をちゃんと伝えるというのは至難の業だ。この人とはなんか息が合う!と感じていたとしても、しっかりと話してみたら、あれ?ちょっとわかってもらえてなかったかもなんて感じることはみなさんにも体験があるのではないだろうか。

「実際ここに住んでみてどう?笑」

「ここにはなんにもないからね〜」

「すごく不便に感じるでしょう?笑」

田舎に行けば、だいたい一回は聞いたことあるフレーズだと思う。特に僕は日本全国を旅していたこともあり、全ての街で聞かなかったことはなかった。まぁなんというか、自分の街を謙遜して相手を立てようとする日本人の性質なのかなと思ったりもする。

僕はいま、大分県豊後大野市という人口35000人ほどの田舎に移住して5年目だが、ここも御多分に洩れず、何度聞いたかというぐらい連発される。

往々にして、この表現を聞いた後は嫌な気持ちになる。

(笑)のような嘲笑う感じがすごく苦手なことと、自分がいいと思ったことを暗に否定されたような気持ちになる。そんなこと言ってるから若者がいなくなるんだよ!もっと街のいいところとかを探して前向きにやろうよ!と何度喉から出そうになったかわからないので、いざこざにならないようにこれまで地域の仕事や集まりには参加をしても発言をすることを避けていた。聴かれたことだけに答えてそれ以外は無難にこなす、というような感じだ。

しかし先日、すごくお世話になっている人から「地域の人と食事会をするから君も来たらいいよ!」と連絡をもらったことで、久しぶりに地域の人との交流を図ることになった。「はぁ〜、またあの質問されるのかな…。なんて上手い感じで答えようか…。」と半分くらい憂鬱な気持ちで当日を迎えたのだった…。

参加者の自己紹介も早々に終わり、最近の病院や過去の出来事で話は盛り上がる。走行しているうちに、その時を迎える。

「豊後大野にはなにもないからね〜!!!」

でた、やっぱりだ。どうせこの後は、こんな街に引っ越してきて…君たちは楽しい…?という質問に繋がるはずだ!

「そんなんだよ!豊後大野には何もない!まずは、大分県なのに温泉がない!これは痛いよねぇ。あとはこれといった産業もない!なんなら人もいない!ハハハハ!」

ほらほら、その後にあの質問だろ?

「でもねぇ、豊後大野には災害もないんだよ。大きな山に囲まれているから、台風が来たってほとんど被害にならない。それに大雨が来ても氾濫が起きることもほとんどない。あとは阿蘇山の噴火の後にできた岩盤の上にある土地だから自信にだって強い。熊本地震だってほとんど被害がないんだよ。」

あれ?思ってたのと違うぞ。

「あとは子どもの医療費だっていらないしね。豊後大野には、これといった特徴はほとんどない、何もない町だけど住むには安全なんだ。これからは何があるかわからない時代だよ。だからこそ安心にそして安全に暮らせるのが一番じゃないか。『なにもない町』を誇るべきなんだよな。」

目の前にいるおいちゃんたちは、楽しそうに「なにもない」ことを喜んでいた。僕は、そっと心の中で「ごめんなさい」と謝った。物事を片方から見るのではなく、もう片方からも見てみる。その為には自分ではない人の情報をちゃんといれていく必要がある。今回の出来事から、より親密に地域の人との交流ができるかもと思えるようになった。

豊後大野には「なにもない」とおいちゃんたちは笑顔で語る。一見すると、ネガティブな表現にも見えるが、角度を変えるとすごく価値のあるものに変わる。「ない」はオセロのように「ある」にひっくり返すこともできるのだ。

そして、そんな「なにもない」豊後大野に、僕は「不登校がない」を追加できるようにチャレンジをしている。他にも、サウナはあるけど温泉はない!をチャレンジしている人がいる。

派手さがあって目立つわけではないけれど、安心して子育てをしたり、電灯のない目の前の道路で満点の星を見ながら今日も幸せだと感じられる人生を送ることもできるかもしれません。

最後は、なんか宣伝みたいになっちゃったけど。

「豊後大野にはなにもない」けど、それがいいところなんだと、移住5年目で初めて気づいた夜の出来事のお話でした。

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