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くるり初のクリスマス・ソングーー “最後のメリークリスマス”にこっそりと隠された10のプレゼント(2013年オフィシャルインタビュー・ライナー再掲載)

結局のところ、歌とは何でしょう? それはもしかすると、同じ時代を暮らす、すべての人々へ向けたプレゼントなのかもしれません。音楽家たちというのは、それぞれの曲にいろんな想いやメッセージをいくつもこっそりと忍ばせています。言葉だけではなく、サウンドとして、演奏として、時間の流れとして。「本当の気持ち」を敢えて言葉にすることなく、まるでクリスマス・イヴにやってくるサンタ・クロースのようにこっそりと忍ばせて、それに気がついた人のための秘密のプレゼントとして隠しているものなのです。それゆえ、ひとつの曲にはいくつもの工夫が凝らされています。なので、訊いてみました。この曲のソングライターである、メガネをかけた巻き毛のサンターーくるり岸田繁は、どんな秘密をこの“最後のメリークリスマス”という曲に忍ばせているのか。

勿論、ここで語られていることを知っておかないと、この曲を楽しめないというわけではありません。言ってしまえば、曲というのは聴いた人それぞれのもの。あなたが聴いて、感じたことが何よりも大切だからです。でも、もしかすると、これからの文章を読んでもらうことで、この“最後のメリークリスマス”がもっと身近に感じられるかもしれない。あなただけのために送られたプレゼントとして、さらに愛着を持って感じられる可能性だってある。忘れないで下さい。「歌が生まれる瞬間」というのは、作家がその曲を作った時のことを言うのではありません。どこかの聴き手がそれを自分自身のものとして感じた瞬間に、ようやく初めて産声を上げるものなのです。思い出して下さい。プレゼントというものが、それを受け取った人が笑顔を浮かべる瞬間のために存在するのと同じです。では、始めましょう。

1. 「2013年の日本」というリアリティを持ったクリスマス・ソング

この世界にはたくさんのクリスマス・ソングがあります。“もろびとこぞりて”や“ウィ・ウィッシュ・ア・メリー・クリスマス”といったクリスマス・キャロル。誰もが知っている“サンタが街にやってくる”、“赤鼻のトナカイ”といったクリスマス・ソング。勿論、ポップ・シンガーたちもこぞってクリスマス・ソングを録音したり、書き下ろしたりしています。“リトル・ドラマー・ボーイ”の名演と言えば、ビング・クロスビーとデヴィッド・ボウイのヴァージョンもあるし、ジャクソン5が残した録音も忘れられません。日本だと、山下達郎の“クリスマス・イヴ”。クリスマス・アルバムとして一番有名なのはおそらく、フィル・スペクター63年の傑作『クリスマス・ギフト・フォー・ユー』でしょう。

あなたもご存知の通り、この“最後のメリークリスマス”はくるり初のクリスマス・ソングです。では、何故、彼らはクリスマス・ソングを書くことにしたのか。「いや、最初は、スタッフから『クリスマス・ソングを書いてみないか?』と言われ」たのがすべての発端だと、繁くんは笑いながら話してくれました。「でも、それ、おもろいなあと思って。それで『これはすごいのを作る!』って思って、真夏に京都の宮津の家に隠って、扇風機二台まわして、アコギ持ちながら、真っ裸でだらだら汗かきながら、作ったんですよ」。ただ勿論、それは簡単ではなかったようです。試行錯誤が始まります。

「最初にクリスマス・ソングってことが決まってたので、すごい狭められたわけです、歌詞を書くには。だから、書こうと思ったら、子供の頃の家族的なクリスマスのイメージか、あるいは、ちょっとテーマから逃げて、クリスマスを茶化すようなものにするか。例えば、バブル的なものだったり、制度的なもの、宗教的なものを茶化すーーそれが一番自分のモチヴェーションには近いような気もしてたんですよね(笑)。実際、クリスマスに俺、何もしないし。だから、考えたんですよ。たまたま残ってた昔の予定表とか見ながら、『じゃあ、クリスマス近辺に自分が何してたやろう』って思ったら、ここ10年間、ずっとリハなんですよね(笑)。学生の時は福引きのバイトやってたし。まあ、リアリティがない」。つまり、ここ日本に、同じ2013年という時代に暮らす人々にとってリアリティのあるクリスマス・ソングって何なんだろう? という疑問から、この曲は出発しました。

「クリスマスやから、ついつい北欧とか、欧米の感じに引きずられるじゃないですか。ちゃんと綺麗な心で頑張ろうとか思ったら、音楽的には北欧のトラッドとかになっちゃう。でも、多分、それは求められてるものとも違うやろうし。だから、頭の中に流れてるマライヤ・キャリーの曲とか消したかったわけです(笑)。あれが嫌いとかいうわけやないんやけど、俺ほんまに映像イメージから作るから、あれと一緒にセットで出てくる白いケーキとか、そういうステレオタイプなクリスマスのイメージをちょっと頭の片隅に」しまい込んで、繁くんは書き始めます。

とっかかりはこんなアイデアでした。「やっぱり日本だし、クリスマスもうそうだけど、年末? この曲の最後には“歓喜の歌”が入ってますけど、あれを入れる前から、年末っぽい拡がりとか、『行く年来る年』的な温度感は入れたいと思って」。こうして“最後のメリークリスマス”という曲は書き始められました。この曲の歌詞に「merry christmas for you & happy new year」とあるのは、そういうことなんです。つまり、この曲は、他に誰でもない、この2013年の日本に暮らすあなたに向けたクリスマス・プレゼントとして産み落とされることになったのです。

2. どこにでもある「日本の師走」を舞台にした叙事詩

少しだけ耳をそばだてて下さい。この“最後のメリークリスマス”は、街のざわめきを録音したフィールド・レコーディングから始まります。リリックは曲のナレーターの心象というよりは、彼の目から見た「街の風景」が綴られています。つまり、この曲はクリスマスから年末年始にかけての、日本中どこにでもあるような街のざわめきを切り取ったサウンドトラックなのです。そして、その年末年始の光景は、繁くんにとって何かしら特別なものでもありました。

「自分にとって、“年末の風景”っていうのは、なんか独特のイメージがあるんですよ。“自分の居場所がない風景”っていうイメージが。なんか苦手なんですよね、年末年始って。皆もう馬鹿みたいに浮かれて、おんなしような方向に帰省して、自分だけ取り残されていくようなイメージがある」。この“最後のメリークリスマス”がサウンド的には祝祭を鳴らしていながら、どこかさびしげなトーンを持っているのは、彼のこうした視点があるからでしょう。つまり、この曲は家族や気の置けない仲間たちとのにぎやかな師走を過ごすあなただけではなく、何かの理由でひとりきりで年末年始を過ごすことになったあなたに向けたプレゼントでもあるのです。

「でも、『行く年来る年』ってやってるじゃないですか。あん時だけ、すっごいホッとするんですよ。『紅白』終わって、『ごーん』って(笑)。あれ、何時、年明けたかわからんじゃないですか。カウントダウンとかもせえへんし。あのスピード感でいたい自分っていうのがいるんですよね。年末とか年始の、やらされてる感の強い躁状態から、すごい逃れたくて」。だからこそ、この“最後のメリークリスマス”という曲は繁くん自身が感じる「穏やかな光景」を切り取ることで少しづつ形を整えていきます。

「昔、住んでた豪徳寺辺りの商店街の風景ーーまあ、派手でもなく、寂れてもいなくて、年末でもとりたてて人が多いわけでもない師走の街の映像。それと、新横浜のラーメン博物館って行ったことあります? 所謂『三丁目の夕日』的なすごくよくできたテーマ・パーク。そういう作られた、懐かしい感覚ーー僕らからすると、ファンタジーな、昭和30年代から40年代の感覚。その時代の鉄道のイメージとか」。クリスマスから年始にかけての時期ほど、誰もが以前の自分自身を思い起こす時期はありません。去年の今頃はどこで誰と何をしていただろう? そんな風に街を歩いている時にふと想いを巡らす時、思わず人は「失われてしまったもの」と「ずっと変わらないもの」の対比を感じずにはいられません。変わらない街のざわめきを通して、自分自身の過去と今と未来について、ふと考えてしまいます。

だからこそ、この曲のリリックは少しづつ形を変えていく街の風景を切り取りながら、最後には「ずっと変わらないもの」の象徴としてのこんな言葉に辿り着きます。「遠くで光る/星は/誰のもの/merry christmas for you & happy new year」。生きとし生ける者すべてに必ず降り注ぐ、静かな祝福としての天空からの星のまたたき。つまり、この“最後のメリークリスマス”は、言葉にすると、少しばかり気恥ずかしくなってしまうような、福音のプレゼントでもあるんです。

3. こっそりと忍び込ませた「二つのスタンダード・ソング」

もうあなたは気がついているではず。この、街のざわめきのフィールド・レコーディングから開ける“最後のメリークリスマス”のイントロには、クリスマス・ソングの王様ことビング・クロスビーが1940年代に歌ったスタンダード・ソング“ホワイト・クリスマス”のメロディが引用されています。しかも、こっそり、さりげなく。粋ですよね。これはこの曲のゲスト・ミュージシャンでもあるソウル・フラワー・ユニオン奥野真哉のアイデアだったようです。そして、この曲のコーダ部分には、もう1曲、誰もが知っている大名曲が引用されています。

「最後のアウトロの部分は、4つのコードの繰り返しで、ちょっとウィルコっぽいオーケストラルなパートが長かったんで、『何かで穴埋めしたいなあ』と思ったんやけど、『楽器のソロじゃないなあ。コーラスがいいんかなあ』と思ってるうちに、『ああ、このコード進行やと、“歓喜の歌”がはまるわ』と思って」。ファンなら、繁くんが特に和声やプロダクションの部分において、クラシック音楽から多大な影響を受けていることはご存知のことでしょう。彼がごくたまにDJをする時、ベートーベンの第九からこの“歓喜の歌”のパートを大胆にもダンス・フロアに投下する現場に立ち会ったことのある人もいるかもしれません。一時期は必ず年末に繁くんは第九を聴きに出掛けてもいました。だからこそ、この引用には説得力がある。ただ単なる思い付きだけにはとどまらない。勿論、聴き手としては、彼自身のそうした思い入れについて知らなくても構わない。でも、ここでの引用は、彼にとってはとても大切なもの。やはりこっそりと忍ばせた、彼からの特別なプレゼントなのです。

4. 初めて取り組んだ「王道のコード進行」

それにしても、既にこれだけ様々なクリスマス・ソングが存在する中で、新たにクリスマス・ソングを書き下ろすというのは、作家からすれば、かなりの至難の技です。何よりも、どんなサウンドで、どんなコード・プログレッションを使って書けば、クリスマス・ソングが出来上がるのか。正直、これには正解はありません。そこで繁くんが最初に取り組んだアイデアは、ある意味、これまで自分自身が禁じ手にしていたロイヤル・ロードのど真ん中を歩くことでした。「最初、ギターの弾き語りで作ってたんですけど。最初に出てきたのはヴァースのアイデア。ルートから半音づつベースが下がっていくんやけど、上がわりとこってりとした動きをするやつ。僕らがあんまりやらないやつ。人によっては、サザンオールスターズって言われたりとか、佐野元春さんって言われるような。イギリスのロック・バンドみたいな感じって言うんですか」。

ルートから半音づつベースが下がっていって、今度は2度のマイナーからまた半音づつ下がっていくーー彼が“最後のメリークリスマス”のヴァース部分で使ったのは、古くはフランク・シナトラの“マイ・ウェイ”、ロックの世界では敢えてその“マイ・ウェイ”をパロディめいたSFソングに仕上げたデヴィッド・ボウイの“ライフ・オン・マーズ”でもお馴染の、ある意味、王道のコード進行です。これ、実はすごく勇気が必要なんです。王道をオリジナルなものにするのは。でも、皆さん、ぱっと聴いただけでは気付きませんよね。しかも、その後、この曲のヴァースは、さらに平行調に移動して、またベースが半音づつ下がっていく。これも繁くんにとっては、新たな挑戦のひとつでした。

「平行調に行くっていうのはめっちゃ意識してます。ピボット・コードって言うんですか。短い3度上のマイナーに転調するっていうのは。スティール・ギターの高田蓮くんとか、山本幹宗とかと、たまにそういう話をするんですけど、僕、どちらかというと、クラシックで、ヒップホップでしょ?(笑)。だから、ポップスのコード進行弱いんですよ。素では出てこない。でも、例えば、アイドルの曲ーーAKBとか、ももクロとか、きゃりーちゃんとか、中田ヤスタカさんのとか、昔のサザンとか、筒美京平っぽいやつとか聴いてると、平行調使ったり、ピボットで短い3度上のマイナーに転調するやつとかが、すごい多い。それに気がついた時に、すごい落ち込んで(笑)。そんなん当たり前やと思ってたのもあったけど、それやからこそ自分はやってなくて。でも、『そうか!』と思ったんですよ。自分に欠けてたからこそ、こじらして、なんか複雑な方に行ってしまってたーー“和声の中二病”みたいになってた俺(笑)っていうのに気がついて。それでちょっと7月くらいに落ち込んでて。だから、そこを意識した感じなんかなあ、これは。でも、『これは大人になったのか、弱体化してんのか、どっちやろな』みたいな(笑)。ただ今はすごい自由ですね、発想が」。

だからこそ、この曲はくるりの楽曲としては、いつになく日本の歌謡曲~J-POPの意匠を持っていると同時に、スタンダードの香りのする王道のポップ・ソングに仕上がっているのです。自分たちの2013年最後のリリースに、きちんとその年のモードと成長を記録したグリーティング・カードを届けること。これもまた、この“最後のメリークリスマス”が彼らくるりからのあなたへ向けた、とてもパーソナルなプレゼントたる所以なのです。

5. 演奏するのは「架空のマリアッチ楽団」

さて、ある意味、ちょっとしたスタンダード感を醸し出すために、この曲のソングライティングにはいくつかの工夫があることについては述べました。次は、この曲のアレンジやプロダクションに目を向けてみましょう。クリスマス・ソングを作り上げるには、このプロセスはとても大切です。先ほどは、ソングライティング面においてはこの曲はいつになくJ-POP的、と書きました。でも、そのアレンジ、プロダクションに耳をすませば、これは現行のJ-POPとはあまりにもかけ離れている。地球と冥王星くらい。勿論、いい意味で。そのひとつの理由は、彼らがここでスタンダードなクリスマス・ソングを目指したからでしょう。だからこそ、ヒップホップだったり、ハウスだったり、特定のモダンなスタイルは避けなければならない。と当時に、やはり現在の3人体制のくるりをきちんとリプリゼントする「2013年のくるりサウンド」でなければならない。しかも、くるりというバンドは困ったことに何でも出来てしまう。ここは考えどころです。繁くんたちはアイデアを絞ります。

「グリズリー・ベアみたいな、アコースティックなんだけど、ドラムが音程ぽかったりするやつとか。あと、ぱっと今、思い出すのは、リバティーンズとか。僕、リバティーンズとか、あの辺の世代のバンドって通ってないんですよね。その当時、ラプチャーとかを聴いてしまっていたんで。でも、リバティーンズとかの遠くで鳴ってる感じとか、すごい好きで。ピート・ドハーティの雰囲気も好きやし。あれとか、ヴァンパイア・ウイークエンドとか、ぺけぺけしたインディ・ロックで、でも、リズムだけ聴けば、スキッフルぽかったりとか、昔のロックンロールっぽかったりする感じってあるじゃないですか。ああいうイメージもあって。だから、そういう風にやるのか、もっと重厚なアレンジでやるのか、っていうのは、すごい迷ったんですけど」。結果から言うなら、彼らくるりは、そうしたアイデアすべてを少しづつ取り込むことで、とてもオリジナルなサウンドを作り上げることに成功します。

少しばかりクラシカルな意匠を取り込んだチェンバー・ポップでもあり、ビートルズ以前の50年代、40年代のサウンドに遡ったり、非西洋圏のサウンドをさりげなく取り込んだゼロ年代から10年代にかけてのインディ・サウンドでもあり。にもかかわらず、まぎれもなく「くるり」。そんなオリジナルな地点に到達するための秘訣は、こんなアイデアから始まりました。「ドラム・セットじゃない、っていう編成もやりたかったことなんで。だから、ドラム・セットじゃなくて、太鼓を一個づつ録っていったんですよね。切り貼りはしてないんですけど。スネアのロールと、大太鼓と、金物とシンバル、みたいな感じで。ベースも、佐藤にコントラバスを使ってもらって」。

この曲のもっとも素晴らしい最初の瞬間は1分12秒から訪れます。それは作曲というよりは、アレンジ/プロダクションの妙によるもの。ドラム・キットを使わないことで、さらに際立った「ドゥン、ダン、ダ、ダダ」という胸が躍るようなリズム。かろうじて50年代のロックンロールにその名残りを残していた非西欧圏のトライバルなビート。そこにファンファンちゃんのトランペットが最高の彩りを乗せていきます。それ以上に素晴らしいのは1分41秒からの同じパートのソロ。歌のパート以上に演奏が歌っている。リズムが歌っている。アコーディオンやトランペット、アコースティック・ギター、そして、パーカッションーーこうした編成や、ここでのリズム、メロディは、どこかメキシコの伝統音楽、マリアッチを連想させます。

それは同時に、「ドメスティックな日本的な歌のメロディを、非西洋的な、トライバルなリズムに乗せていくのが、とても相性がいい」と感じている繁くんの現在のモードを反映させたものでもあります。結果としてこの曲は、少しばかり大げさに言うなら、10年後も色あせないサウンド、時空を超えたクリスマス・ソングに仕上がったと言えます。つまり、この曲は、今だけでなく、10年後や20年後のあなたやあなたの子供たちにも向けたプレゼントなのです。

6. 「ポップスの新たな可能性」を探求する構成

ところで、この“最後のメリークリスマス”、とてもすっきりした仕上がりになっているので、あまり意識していない方が大半だと思いますが、実は少しばかり凝った構成になっています。「ただ勿論、『いい曲が出来た!』っていう時は、そこは意識してない時なんですよね。でも、多分、この構成になったっていうのは、最近の自分の中で美学のようなものがひとつあってーーもうその流行りは終わっちゃったんやけどーーある時期、僕が曲を書く上で気をつけてたのは、『ヴァース/コーラス/ヴァース/コーラスっていうビートルズ的な構成にしないでおこう』っていうこと。そういう自分の中のテーマっていうか、流行りがあって。多分、ヴァース/コーラスだけだったら、一日100曲でも書けるんですよ。でも、そこにBヴァースが入ったりとか、ブリッジが入るっていうのが、今、自分に課してる一番しんどい課題。それはやってるんですよね」。

ちょっと意識的に聴いてみて下さい。この“最後のメリークリスマス”、少なくとも現行のJ-POPにありがちな、どのパートよりもコーラス(サビ)が際立つタイプの曲構成とはまったく違っています。繁くんの説明はこんな感じです。「曲の中で一番強いヴァース。その強いヴァースの中で平行調も働かせながら、普通に6度のマイナー行って、皆の好きなクリシェをやって、ブレイクして、サーヴィスとしてのBヴァースがあって、まあまあなコーラスがある(笑)」。でも、実際のところ、一般的なポップ・ソングと違って、この曲のどこがヴァース(Aメロ)で、どこがコーラス(サビ)だと、正確に言い当てることはとても難しい。これは実はとても凄いことなんです。

勿論、音楽を楽しむのに、そんなことを理解する必要なんてありません。ただ曲の構成というのは、メロディやコード進行、リズム以上に、3分なり、5分の間に、どんなフィーリングを生み出すことが出来るのかーー音楽にとって、何よりも大切な、多種多様なフィーリングやエモーションを生み出す上での、無限の可能性を秘めています。そして、この“最後のメリークリスマス”という曲は、どのパートもそれぞれがきちんとした役割を果たしていて、どれかが特別際立つような作りにはなっていない。何よりも曲全体のフロウが5分14秒の間ずっと耳を楽しませてくれるんです。

この曲の構成には、J-POPの世界がもっともっと多種多様で、もっともっと豊かになって欲しい、という願いがこっそりと込められています。つまり、この曲は、「ポップ・ソングの未来」へと向けた彼らくるりからのプレゼントでもあるんです。

7. ふくよかなサウンド、拡がりのあるプロダクション

くるりの音楽の最大の特徴のひとつは、耳に痛くない、ふくよかな音。もっとも心地よいサウンド、しかも、現代的なサウンドって、どんな響きの、どんな周波数のサウンドの組み合わせなのか?ーー実際、彼らはずっと、そのことにこだわり続けてきました。そして、この“最後のメリークリスマス”でも彼らのそうした探求心は変わりません。「ジェイク・バグの1枚目のアルバムを聴いた時に、ビックリマンチョコかじってるみたいな音するじゃないですか? ウエハースかじってるみたいな。ざっくりとした音。アタックが強い、でも、中域がぼわーんて鳴ってる音。『あれ、どうやってんのかなあ?』って思って、研究したんですよ。そしたら、アンプも鳴らしてる。『あ、そっかあ』と思って。だから、そのサウンド・テクスチャアを使わせてもらって。だから、この曲はアコギの実音と、自分のVOXのアンプにプラグした音を左右に振ってるんですね。しかも、それを二本分同じように録って、タイム・ラグを出して、拡がりを持たせてある。そしたら、歌い出しのところがジョン・レノンみたいなヴォーカルの処理がハマったから、『よっしゃ!』と思って(笑)」。

年がら年中いろんなレコードを聴いているような人間からすると、ホント痛感するんですけど、耳に痛くなくて、でも存在感のあるサウンドに出会う確率って本当に少ないんです。特に耳に心地よくて、しかも、かっちょいいギターの音に出会うことは本当に難しい。だからこそ、この曲のふくよかなアコースティック・ギターの音だけでも、ある種の音楽好きにとっては、最高のプレゼントなんです。たまらない。ちょっと耳をそばだててみて下さい。これだけでご飯三杯はいけます。

この曲のふくよかなサウンドは勿論、ギターの音だけにはとどまりません。太鼓。もう太鼓の音が最高なんです。「俺、2、4のスネアっていうのが嫌いなんですよ。『ズ・ドンッ、パンッ、ドンッ、パンッ』みたいな。まあ、勿論、気持ちいいんですけど。確かにそれがあると演奏しやすいし、結局、そうしちゃうことも多いんですけど、なんか一拍目が『ロード・オブ・ザ・リング』みたいガーッて拡がるのとか出したいじゃないですか(笑)。でも、それを『ドンッ』では出えへんし。『ズザザザンッ』て行かないと。で、新田くんていうのが、ロックのドラムというよりは、理論肌のクラシック・パーカッションやってた子だったから、わりとハマりが良くて。この曲のアウトロのパートっていうのは、テンポがハーフになるからーーひとつ前の“Remember me”とか、昔の“東京”とかぐらいのテンポになるんですね。そういうのと、クラシカルなスネアのロールっていうのはすごく相性がいい」。

良かったら、もう一度聴いてみて下さい。一拍目の太鼓です。特に3分35秒からのアウトロからの一拍目です。繁くん言うところの『ズザザザンッ』を聴いてみて下さい。最高です。「やっぱりビッグなサウンドっていうのは憧れるんですよね。さっき『ロード・オブ・ザ・リング』っていう話をしたけど。映像的な音っていうんですかね。そういう意味では今回はうまく言ったんじゃないかな。聴いてる人がその風景に入り込むことが出来る、拡がりのあるパースペクティヴがあると思う」。

勿論、「いい音」というのは、聴く人にとって千差万別。何かが「絶対的ないい音」だとは言い切れない。でも、この“最後のメリークリスマス”のサウンドについて、ひとつだけ確実に言えるのは、ここにはサウンドの「奥行きと拡がり」がある。良かったら、改めて、いいシステムか、ヘッドフォンで聴いて見て下さい。一拍目の太鼓が鳴った瞬間に、高台に登って、夕暮れの街全体を見渡したような、広大なパースペクティヴが拡がっているはずです。あるいは、フリップ曲として、このシングルに収められている“きよしこの夜”のインストゥルメンタル・カヴァーをヘッドフォンで聴いてもらってもいいかもしれません。ここでのマッチを擦る音やロウソクが燃える音、ギターの弦から指が離れる時のハーモニクスーーそれぞれの音がどれほど美しく、魅力的か。もしあなたが「音」そのものについて、そんなに意識したことがなかったなら、その体験はきっと、ちょっとした「新たな価値観」というとっておきのプレゼントになるはずです。

8. 「ラプソディ形式」をめぐる不思議なシンクロニシティ

少しだけ横道に逸れることにしましょう。まずは、この“最後のメリークリスマス”のリリックの一行目に耳を傾けて下さい。「いつまで経っても/雪が止まない/この街のラプソディ」。このラプソディという言葉、耳慣れてはいても、それをきちんと定義付けることが出来る人はそんなに多くないような気もします。「このラプソディって言葉が出てきたのは、韻を踏むために出てきたんですけど。ただいろんなラプソディがありますけど、僕の中で強いイメージを持ってるんは、“ラプソディ・イン・ブルー”と黒沢明の『8月の狂詩曲』なんですよね。だから、自分の中では、すごくアメリカ的だったりとか、夏のイメージがある印象があって。だから、使うのにすごく勇気が必要だった言葉なんですよね」。

皆さんの中で、ラプソディという言葉はどんなイメージなんでしょう。ぱっと思い付くものとしては、クイーンの代表曲“ボヘミアン・ラプソディ”でしょうか。RCサクセションの出世作でもあるライヴ・アルバム『ラプソディ』を思い起こす方もいるかもしれません。ただ一般的には、このラプソディという言葉は、クラシックとビッグ・バンド編成のポップスを横断する、ある特定の形式のことを指します。代表的なものは、フランツ・リストの『ハンガリー狂詩曲』やジョージ・ガーシュウィンの『ラプソディ・イン・ブルー』。どちらかと言えば、厳格な定義のある形式ではありません。強いて言うなら、叙事詩的であること、既存の有名なメロディやスタイルを引用すること、何かしらトライバルな音階やサウンドを使っていること、どことなくメドレー的に個々のパートが構成されていること、などが挙げられます。つまり、この“最後のメリークリスマス”はまさにラプソディでもあるんです。

「ラプソディ形式って言われた時に、思わず『はあ、そうか!』って思ったんですけど。ただこの曲って、すごく段階的に、言うたら、サクラダ・ファミリアみたいな感じでひとつひとつ出来上がった感じやから、最初にそうしようと思ったつもりはなくて。不思議なことを言うと、歌詞って言霊みたいなもんですから、意識せずとも、そうなる感じっていうのがあるのかもしれないですね」。勿論、前述のクイーンの“ボヘミアン・ラプソディ”もやはりラプソディ形式のひとつの典型です。くるりのファンなら、繁くんがクイーンの大ファンなのを知っている方も少なくないと思います。つまり、期せずして、この曲はクイーンとの不思議なシンクロニシティを起こした。つまり、この曲は、彼ら自身にとっても、思いもしなかったプレゼントでもあるということです。ちょっと素敵じゃないですか。

9. 街との別れ、移動していくヒト、変わるモノ、変わらないモノ

そろそろ佳境に迫ってきました。では、くるりは、岸田繁は、このクリスマス・ソングというフォーマットを使って、何が歌いたかったのか。これまでずっと音の話をしてきましたが、繁くんはこうも語っています。「すごく言葉が届いて欲しい曲でもあるんです。俺、前にユーミン(松任谷由実)と曲作ったでしょ。“シャツを洗えば”って曲。ユーミンって人は、ほんまにドラマの台本を書くみたいに曲を書くじゃないですか。一番優れたソングライティングの方法じゃないですか。それ、僕にとってはいまだに呪いなんですよね。すごく難しい。でも今回は久しぶりにやった、それを。“シャツを洗えば”以来なんですよ、このタイプの曲っていうのは。曲が持ってるJ-POP具合っていうのもそうだし、でも、意識的にストーリーを書いてみた」。では、繁くん自身にこの曲のプロットを説明してもらいましょう。

「具体的に言うと、僕よりちょっと若い、2、30代の単身のサラリーマン。何かの理由で、それまで住んでた街を離れていくことになったキャラクターが主人公。彼がその街を離れることになったのがどんな理由なのかわからんけども、そこにいる理由がなくなってしまった。でも、この人自身も、『そう言えば、そうやな』みたいな風に納得してる。で、引っ越しの準備とかもあって、クリスマスを、年末年始をひとりで過ごして、『次の年は違う街にいるんやろうな』と。ていう簡単なストーリーと映像イメージっていうんですか。そういうフィクションを自分の中で作ってみたんですよ」。

これまでも「旅立ち」や「別れ」というモチーフは、くるり曲のリリックには数多く見られてきた最大の特徴のひとつでした。ここでもそれは変わりません。ただ少し違っているのは、この曲の本当の主人公が、この曲のナレーターの「僕」ではなく、「街」そのものだということ。それは、この曲が叙情詩というよりは叙事詩的だということ、ナレーターの心象を表現するには最適な弾き語りスタイルではなく、あくまですべてを俯瞰した位置からのカメラで「街の風景」を切り取った、奥行きと拡がりを持ったサウンドで鳴らされていることと、密接に関係しています。

「街との別れなのか、その街で一緒に暮らした人たちなのか、そこで暮らした時間なのか、その街で何かしら培ってきたものと別れなければいけない。やっぱり震災のことも考えましたし。もしかしたら、もっと具体的にすることも出来たと思うんですよ。まあ、単身のサラリーマンとか、豪徳寺とか言いましたけど。でも、やっぱりどこかリスナーの想像力が入り込む余地を作ろうと思ったんですよね」。もしよければ、歌詞だけを追うのではなく、サウンドと併せて、改めてこの曲を聴いて見て下さい。まるで近い将来、この街から去っていくだろう「彼」の姿を、「街そのもの」が暖かく見守っているかのように聴こえませんか。あるいは、そんな風に聴いてみて下さい。きっとまた別の聞こえ方がするはずです。

だからこそ、この曲は、何かしらの「変化」を受け入れる必要のある人たちすべてに向けられたプレゼントたりえています。変わっていくモノもある。でも、表面的には少しづつ形を変えていても、やっぱり変わらないモノはある。間違いなくある。変化とは何かを失うことであると同時に、何かを手に入れることでもある。クリスマスや年末の喧騒が一段落して、除夜の鐘が百八つ鳴った時に、我々が粛々と感じるのは、気持ちが澄みきっていくようなそんな清々しい気持ちかもしれません。

10. きっと誰ひとりとして気付かない佐藤征史からのプレゼント

それでは最後のプレゼントについてお話しましょう。この曲には佐藤くんからのとっておきのプレゼントも忍ばせてあります。これには正直、気付きませんでした。あなたも絶対わからないはず。なので、繁くんに種明かしをしてもらいましょう。「レコーディングの最後の最後に、“歓喜の歌”も入れ終わって、『いやあ、なんか年末らしくなったね』ってとこで、佐藤くんに『他になんか入れとく音とかない?』って訊いたら、『あ、ちょっと待って』って言うて、なんかやってくれたんですよ。そしたら、曲の最後の方に『ごーん』って一回だけ入ってて。で、佐藤くんに『何、この音?』って訊いたら、『いや、除夜の鐘の音っぽいかなと思て』って(笑)。『ここ、アウトロやし。もう日にち変わってるし』って(笑)」。なので、皆さんもぜひ耳をそばだてて、聴いてみて下さい。いや、まあ、正直、どうでもいいけど、そんなしょーもないプレゼント。

あなたにとって、この“最後のメリークリスマス”が何かしら特別な曲になりますように。

merry christmas for you & happy new year

取材&文:田中宗一郎(ザ・サイン・マガジンクラブ・スヌーザー

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