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不定期特集 岸田繁の「電車の花道」第3回:日本初のオールステンレス車両たちを追う〜電車界の山本昌〜

最近の鉄道車輌は、殆どがステンレスやアルミなど軽合金ボディーの車輌ばかりである。特にステンレスは錆びることがなく、鋼鉄に比べ軽量なのである。

ひと昔前は鋼鉄製の車両が殆どで、色とりどりに塗装されていた。今も阪急や京阪、近鉄など関西私鉄の車両や、新幹線車両なんかは新型車両であっても塗装されているけれど、実はアルミ合金製のものが殆どだ。

ステンレス製車両は、ほぼ塗装されることなく、地肌むき出しで使われているものが殆どである。首都圏ではJRも私鉄も地下鉄も、殆どステンレス製の車両ばかりなので銀色だらけの世界である。

(写真は水間鉄道で活躍する元東急7000系車両)

日本最初のオールステンレスボディの車両が登場したのは1961年、東急7000系である。

アメリカの車両メーカー、バッド社と技術提携した日本の東急車両が、フィラデルフィアで走っていた地下鉄車両をモデルにこの車両を作り上げた。

構体全てがステンレス製というのは、当時考えられない程進んだ技術であった。何故なら、溶接技術が確立されていなかったため、複雑なカタチをした鉄道車両を作ることは至難の業だったのだ。

東急は、1958年に外板のみステンレスを使用した車両を試作しているが、構体は鋼鉄のままだったので、軽量化の効果も思ったほど期待できなかった。

(写真は長野電鉄3500系。外板のみステンレス製の元営団地下鉄3000系。東急7000系とほぼ同時期に製造された車両である)

(写真は今なお東急で活躍する7000系のステンレスボディ。エアコン付きになり、下回りを更新し7700系を名乗っている)

東急7000系は、1961年末〜1966年頃まで多く製造され、日比谷線乗り入れ運用や東横線急行などに重宝されたものの、1980年代になると、大型化した次世代の主力車と比べて小型のボディだったことと、エアコンが付いていなかったことなどが原因で、早々に引退するものと思われていた。

日本初のオールステンレスボディだということもあり、製造後20年以上経ってから、構体の調査が行われたところ、驚くべきことに全く劣化していなかったと言う。

7000系の半数は制御装置のVVVF化と主電動機、台車の振替、エアコンの取り付けと内装更新、編成短縮などを実施のうえローカル線区に転出し、現在も僅かながら池上線と多摩川線で7700系として活躍している。

そして、残りの車両は東急を去り、一両も解体されることなく弘南鉄道や福島交通、水間鉄道など地方ローカル私鉄に渡り、現在もその半数以上が活躍中である。

そう、ステンレス製の車両はとことん長持ちするのである。

(写真は電車界の山本昌、との異名を持つ南海6000系)

東急7000系とほぼ時を同じくして、同じようにアメリカの技術を用いて、東急車両は京王、南海向けにオールステンレス製車両を製造した。

屋根の工作や前面見付などは各社ともに個性が見られるが、車体強化のため側面などに付けられたコルゲート(ひだ状の)や、FRP製のベンチレーター(白いカバーの通風器)、車内天井のファンデリア(有圧軸流送風機)、そしてパイオニアⅢと呼ばれるディスクブレーキが露出した軸梁式のシンプルな台車など、これらのシリーズに共通して使われている部品も彼らの特徴だった。

(写真は片開きドアが特徴の南海6000系)

京王のステンレスカー、3000系は既に除籍され、半数弱が地方私鉄に譲渡され活躍中である。

南海6000系は、100両ほどの大所帯が今なお全車健在であり、製造された1962年から冷房化、台車交換、内装更新などを受けながらも原型を留め、半世紀以上も主力車として南海高野線の主であり続けている。

外板や構体は腐食しないので、輝きが全く失われることがないのだ。

走り装置は抵抗バーニア制御、直流直巻モーター、電磁直通ブレーキと、昭和の電車ならではのスペックのままだが、関西私鉄は古いものも保守しながら丁寧に長く使う伝統がある。

ちなみに同時期に製造された南海本線用の姉妹車、7000系は鋼鉄製のため、老朽化で傷みが激しく、遂に全車引退することになった。

(武骨なマスクに幌が似合う南海6000系)

味気ないと言われがちなステンレス製の鉄道車両だが、その先駆けになった彼らのいぶし銀の活躍に賛辞を送ると共に、1日でも長い活躍を祈りたいところです。






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