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万国博覧会

という響きは、どこかノスタルジックというか昭和臭がするというか、随分と前時代的に感じる。

英語ではEXPO。そういえばバブル期に発売されたTMN(TMネットワーク)のアルバムに『EXPO』てのがあったな。

話が逸れました。EXPO、という英語が諸外国でどう捉えられているのかは知らないが、wikiってみると、万博はどうやら正式には「国際博覧会」と言うらしい。

国際博覧会条約によれば、国際博覧会とは「複数の国が参加した、公衆の教育を主たる目的とする催しであり、文明の必要とするものに応ずるために人類が利用することのできる手段又は人類の活動の一若しくは複数の部門において達成された進歩若しくはそれらの部門における将来の展望を示すものをいう。」とされている。

らしいです。

素晴らしいじゃないですか。理念は素晴らしいですよ。理念は。

私は1970年の大阪万博より少し後に産まれていますが、祖母は大阪万博を見越して開発された北摂の千里ニュータウンに住んでいた。

いわゆる公団住宅と鉄道新線のターミナル駅、ショッピングモール。当時誰もが憧れたであろう「新しい」暮らしのスタイルは、歴史や文化とは全く違う位相から開発された「ニュータウン」である。反面、画一的で文化の匂いが全くしない。

祖母のいなくなった千里の団地は、まだ建て直されることなく存在している。エレベーターなしの5階建は、高齢者や子供連れには厳しいに違いない。

パーティーの跡は、誰かが片付けないといけない。片付けるには労力がかかる。あるいは金がかかる。人はそれが苦手である。何故なら、次々とやってくる新しいものに飛びつく方が楽しいからだ。

だからと言って、どうせ片付けるの大変やから何もせんとこう、という今っぽい考え方もまた、今の日本を形作っているひとつの事象である。

不景気だ不景気だと誰もがクダをまきながら過ぎていった平成時代。音楽業界のそれに巻き込まれながら東京で過ごした私にとってのその時代は、文字通り「平らに成っていく」様を体感しながら過ぎていった。

今、関西での実感は東京でのそれよりも数段深刻で、多くの人々はかりそめの「経済効果」を信じていない。相当振り回され、苦汁を飲まされてきたからだ。

かつての阪神淡路大震災も、今年の震災、台風や豪雨、猛暑と相次いだ災難も、東京発信ではじゅうぶんに報道されなかった。今なおブルーシートが屋根に残る家屋も少なくない。

それでも、関西の人たちは我慢強く、あまり文句も言わずに日々を過ごしている印象を持っている。勿論、東日本震災や広島豪雨の体験と秤にかけられるものかどうかは分からないが。

後ろばかり向いていても仕方ない、と言っても前をどう向けばいいのか分からない。だから文句を言おう、という時代は終わったと、多くの人々が思っているのかもしれない。そんな風に感じることが、再び関西に居を移して思ったことのひとつでもある。

冗談のような話だが、京阪電車が経営する遊園地「ひらかたパーク」の自虐ネタめいた広告に、現在の関西人的な気概を感じる。

「あえて、ひらパー」

「2025年まで待てないので、ひらかた万博」

「集客が目的です」

人の多いテーマパークがどうも苦手な私だが、あえてひらパーに行ってみた。そこには、旧態依然とした遊園地ではなく、歴史と誇りと子供達の笑顔と美しい薔薇が緩やかに咲く遊園地があった。

関西の歴史都市京都(大阪も、奈良や神戸だってそうだ)が出来ることは、未来を志向するとき、過去のアーカイブを参照することが、少なくとも歴史の浅い東京よりも、豊かなのかも知れない。ただ、未来や過去にとらわれることなく「現在」に対する愚直で誠実な姿勢こそが、未来を担う人々に求められることではなかろうか、と思ったりする。「東京」という日本のリーダーシップを取るべき街もまた、来るべき五輪と日本の未来予測に振り回されながら、強く誠実にあらねばならない都市である。過去をどのように参照し、かりそめの未来に振り回されず、今あきらかに前を向いている姿勢を作るか、ということ。

先進国や発展途上国、という言い方は便宜上仕方ないにしても、個人的にはあまり信頼していない。人々の知恵や技術は、それぞれに発展していっている(と信じている)。平成の終わり、この日本をどのように見て、どのように生きるのがいいのか、私は高みの見物をするにはまだまだ早いと思いながら、仕事をしたり屁をこいたりしようと思う。


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