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今年一年ありがとう

今年も残すところあと僅か。私も今日で仕事納めの予定です。

今年は私にとっていつもと変わらないようでいて、後から思い出したとしたら、大きな転換期だった1年なような気がしています。

くるり新作『ソングライン』は、バンドにとっては4年ぶりの新作アルバムでした。

過去を振り返ると、我々はくるりでありながら、くるりらしくないものにチャレンジする、ということが、バンドにとってのモチベーションでした。

そういう意味で言うと、今作は過去とは真逆のやり方になりました。(『TOKYO OP』だけは例外ですが)。

今作は、常にバンドとしてアップデートし続けてきた音楽的野心を、くるりらしい楽曲、の中で余すところなく開花させる、という作業でした。それは20年選手である我々にとっても珍しいことで、自分たちの仕事への姿勢や情熱が、しっかりと容れ物の中に巧くはまった作品だと思っています。

ここ10年ほど、私はまるで思春期の青年のように「自分らしさ」からの呪縛が解けずにいます。そして、それに纏わる様々なことや、多くの人たちに音楽を届けるという仕事、つまり自分自身の立場について、思い悩むことの多い1年でもありました。

急激に変化していく国内外のポピュラー音楽シーンや、リスニング環境の変化、音楽業界を取り巻く環境や思想の変化に対して、少し距離を置きながら、悪く言えばやり過ごそうとしながら、自分自身のスピードで歩くように意識していました。

思ったようにはいかないもので、自己改革、は道半ばであります。ただ、制作そのものは、とにかく充実し、それはそれは楽しいものでした。そして、バンドメンバーの音楽的成長を窺い知れるものでもありました。いつの日か、最近書けなくなった「オモテに向いた、陽性の作品」を再び書けるようになりたい、と思っています。

個人的に、私自身の作品『岸田繁 交響曲第二番』の制作と初演コンサートは、たいへん大きなできごとでした。

尊敬する指揮者の広上淳一氏、そして京都市交響楽団、スコア編集の徳澤青弦くんの手によって、カタチにすることが出来た新曲です。

作品づくりは、その規模やスタイル、くるりのものもサンフジンズのもの、楽曲提供であれ、自分自身持てる力や情熱の、7、8割くらいのパワーで押し切るぐらいの塩梅が、カタチにする時ちょうど良く、作品自体も輝くことが多いように思っています。ちょうど、野球のピッチャーのボールがそうであるように(たぶん…)。少し肩の力を抜く、という意味です。

この『岸田繁 交響曲第二番』は違いました。例えるなら非常用バッテリーまで使って書いた、というほどに、全力を尽くし書いた作品です。いまの私が出来るベスト、という意味で。

初演、京都コンサートホールにて広上淳一氏がバーンシュタインの言葉を借りて「作曲とは自己否定である」ということを仰っておられました。私は、この時に少しばかり救われたような、そんな気持ちになりました。ずっと張っていた緊張の糸が解けたような。

「あなたにだけ、認めてほしい」という気持ちは、私の制作の根幹にあります。あなたに認めてもらうことが、自分自身の存在の肯定に繋がっているからです。

「この気持ちをどうしても解ってほしい」という気持ちは、エゴイズムなんだろうという諦めにも似た気持ちにくすぶりつつ、解る、から分かる、へ解釈を変えることが自分自身の課題であると、思い悩む日々が続きます。

くるりでの日々が、それを現実に変えてきたのは、私自身の努力はさておき、周囲のスタッフの尽力とお客さんひとりひとりの力が、大きなものに変わった、ということだと解釈しています。

そういうことを考えるきっかけになったのも、まったくもって個人的な作品を作ったり、大学で教鞭をふるったりする中で、自分自身に出来ることはいったい何なのか、ということに現実的に対面したからだと思っています。

ほんとうは、自分自身が、自分自身を認めてあげることこそが、いい仕事であり、モチベーションなんだという風に思うべきことだと思っています。それこそが、悩み多き人々にとって、大きなヒントやきっかけになることだと思います。私自身も、そうやって音楽に救われてきました。

全力投球で再び、皆さんの前で音楽をお届けすることが出来る新しい年になればと思っています。


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