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大学院試に落ちて地獄を見た話 その1

初めまして。Qwertyiaoduです。

この記事は私が院試に落ちた後ネット上の様々な体験談を読み漁り、非常に参考になったことから、同じような境遇になった人の少しでも助けになれればと思い書き記しました。記事を書くのは初めてなので拙いところはあるかと思いますが、よろしくお願いします。

また、院試落ちてからの対策のみが知りたければ、以下の「院試落ち最強攻略本」に飛ぶことをお勧めします。

まず初めに、自分がどんな人間なのかを説明していきたいと思います。

なぜ現在の大学・学部に進学したか

私はとある旧帝大の機電系の4年生です。なぜこの進路を選ぼうと思ったかというと、

1.  実家から離れて生活してみたかった
2.  自分の偏差値的に目指せる中で頑張って届きそうな大学だったから
3.  機電系は就職に強いと聞いていたから

主にこの3つです。私の家庭はありがたいことに塾代や参考書代などを出資してくれる家庭だったのですが、浪人は絶対反対の方針だったので、2のような進路選択を行いました。また、絵を描いたり物を作ったりするのが好きだったこと、いいとこに就職できればそれで人生安泰やんけと思い3のような進路を取りました。今考えると相当適当な考え方だったと思います。しかしながら当時は自分なりに考えて、めちゃくちゃ努力して合格を掴み取りました。

大学ではどんな生活をしていたか

私は無駄な努力は極力したくない性格で、高校の時も世界史や倫理などの受験で使わないような教科はほとんど勉強していませんでした。こんな性格でしたので、大学では過去問を使って前日に無理やり詰め込んで最低限単位を取るための勉強しかしていませんでした。勉強していてもこれといって興味のある分野はなく、単位も何単位を落としていましたし、必修の再履修をすることもありました。そんなチャランポランでしたが、ホワイトな研究室にいきてえなというのはあったので、研究室配属に重要な科目は高いとは言えませんがある程度のGPAは取っていました。そこである程度興味があって、ホワイトで有名な研究室にダメもとで配属希望を出したところ、希望が通り、晴れて第一希望の研究室で研究できることになりました。当時めちゃくちゃ喜んだのを覚えています。

こんなエピソードを書くと要領がいいんだなとと思われるかもしれませんが、高校・大学と周りに比べて物覚えが遅く、自分は凡人以下だなあと思うことが多々ありました。今でも大学合格・研究室配属は運で掴み取ったところが大きいと思っています。また、この辺の感覚が後の行動に少なからず影響してると思います。

研究室にて

めでたく第一志望に配属された私でしたが、実際に入ってみてここを選んで良かったと思いました。先輩達の人柄もとてもよく、教授と先輩達の中も良さそうでとても居心地が良かったです。

結果的に留年もすることなく、あまりにも順調に進路選択ができているように思えていましたが、この辺から雲行きが怪しくなってきます。

そう、テーマ選択です。私は自分がなんとなく興味のあったテーマのジャンケンに負け、全く別のテーマを研究することになりました。一番興味のあったテーマではありませんが、まあでもやってくうちに面白くなるかもと思い、あるテーマを研究することになりました。そのテーマは平たくいうとより精度の良い部品を開発するようなテーマで、ある意味他の同期とは一線を画すような内容でした。

このテーマを研究するにあたって、他の同期は類似研究をしていた先輩がM1かM2にいることが多かったのですが、私の場合その先輩はすでに修了していたのでラインでたまにやりとりするか教授に直接ご指導いただくかの2択でした。教授はお忙しい中、時間を縫って指導してくださるのですが私は物覚えが悪く、何度もわからないところを聞いてしまうことが多々ありました。それでもなかなか理解できないし、論文やネットで調べてもまるでわからないことが多かったり、そもそも見つからなかったりすることもあり、また自発的な疑問も湧かないこともあり、自分って研究に向いてないのかなとこの辺から少し感じるようになりました。

まあでも初めて少ししか経ってないし、そんなの判断できないよねと思い、わからないなりに何をすれば良いのか指導をいただき、最低限ゼミの発表資料を作れるくらいの研究はしていました。

そんな中、進路調査の時期になりました。これは旧帝大や似たような大学の工学系あるあるだと思うのですが、大多数が院進学します。例にも漏れず私の周りもほとんどが院進学するとのことだったので、修士に行けば就職も楽になるしモラトリアムも延長できるしでまあ行くでしょという甘い考えで流されて院試を受けることを決めました。また、周りの院試併願の話も一切聞かなかったので、自然と内部院試のみを受ける形となりました。

先輩方や周りの友人も、「まあ受かるでしょ!」的な反応だったので、自分もどこか安心していました。しかし、自分は周りと比べてだいぶ劣っていることは自覚していたので、周りより1ヶ月早く勉強することを決め、自分の研究室や、友人をつてに過去問の答えを集めまくり、主に過去問を中心に勉強していました。

過去問を勉強すると、自分の苦手がわかってきます。私の場合全然勉強していないのに単位が取れた科目が受験科目に含まれており、研究室の同期や先輩はその科目を受験科目としていましたが、私はめちゃくちゃ苦手意識を持っていました。そこで、自分が前の年に再履修していた範囲が基礎となる科目で勝負しようと、授業自体は取ったことがない応用科目で勝負することにしました。こちらも資料だけ友人伝いでもらってなんとか勉強し、過去問は数年分解けるようになりました。ありがたいことです。

しかし実は後々、この行動が合否に大きく関わってきます。

時間は経ち、院試1ヶ月前に研究室最後のゼミが終わり院試休みとなるまで発表準備などでバタバタし、発表日付近は思うように勉強ができませんでした。それでもほぼ毎日2、3時間は勉強していましたし、土日は8〜10時間は普通に勉強していたので、勉強をサボっていたわけではありません。院試休みも毎日6〜10時間は必ず勉強はしていました。

そしてついに院試の日を迎えます。

大学院試1日目

いよいよ院試当日です。コロナウイルスの影響でこの年の試験は例年より短縮で行われることとなりました。寝坊もすることもなく、集合時刻の30分前には大学についていました。そして最後の復習も終え、いざ試験開始。

ページをめくると、そこには過去問ではみたことのない形式の問題が並んでいました。私は非常に焦りました。おそらく試験時間が短縮されたことによる形式の大幅変更だと思います。しかしまあ焦っても仕方がないので、解いてみると、試験時間が短縮されいてるのに終わるはずがないであろう問題設定になっていました。超焦ります。飛ばして次の科目へ。あ、良かった、これはいつものやつだ。とホッとして計算するも束の間、なぜか答えが定義上絶対ならない値になる。この辺から心臓の鼓動がやばくなっていきます。なんでなんでなんで。気づけば終了5分前になり、そこで間違いに気づく。直しきれないまま試験は終了。呆然としました。やらかしたなあと思いながら、外でたまたまあった友達と話すと、どうやらみんなやらかしたらしい。マジでふざけんなよなあ、みたいな話をしつつ、良かった、自分だけじゃないんだと思って、この日はなんとか翌日挽回しようと思い最後の確認をして終えました。

大学院試2日目

気持ちを切り替えて2日目の試験に挑みました。試験開始とともに昨日の緊張が蘇ってきました。

が、今度はページをめくると見たことあるような問題でした。お、これは解ける解ける、挽回あるぞ!と、その科目をある程度のラインまで解き、次の科目に差し掛かりました。この科目が、先ほど言及した私が変更した受験科目です。

??????

そこにはまたしても見たことのない問題と、過去問10回分で1度しか見なかった分野で、まあ出ないだろうと思ってあまり勉強していなかった分野が出題されていました。

私は必死に頭を捻りなんとか答えを出そうともがきました。しかし時間は刻一刻と過ぎるばかり。冷や汗が噴き出る。焦って他の選択科目でなんとかわかるやつがないかと探す。しかしそんなものはなく。

残り10分になった時には私は強烈な吐き気に襲われました。なんでこんなことに。まずいどうするんだこの後。いやこのあとなんて考えちゃダメだ今に集中しないと!!!

講義の試験などでは残り10分でひらめきからの驚異的な追い上げをした経験などはあったのですが、無常にもこの時は何も起こらず、その科目はほぼ白紙のまま試験は終わってしまいました。

終わった・・・・・

あまりのことに頭が真っ白になり、呆然としていました。

試験後、友達と会うと、なんとか行けたわ、とのこと。なんでも私が選択しなかった科目は過去1レベルで簡単だったらしい。落ちたことを確信した瞬間でした。

試験後その友達と少し遊びましたが、あまりにメンタルがやられていたため速攻で帰宅しました。

こうして私の大学院受験は幕を閉じました。

受験終了から発表まで

院試を終え、両親に落ちたかもしれないとの連絡をすると、弟もいるんだから院試浪人は絶対ありえない、就職しろとのお達しが来ました。私の両親は基本的に浪人は無駄だと考えていたので、まあそうなるだろうな、と院試終了後に薄々考えていました。この時点でだいぶメンタルがやばかったのですが、心配した友人がご飯に誘ってくれたりでなんとか持ちこたえていました。

とりあえず情報を集めようと思い、自分の担当教授が就職担当だったこともありどうしたら良いか尋ねたところ、大学の企業推薦リストをくださり、とりあえずこの中から調べてみろと言われました。そこにはたくさんの企業があり、名前が聞いたことあるような企業もたくさんありました。しかし3分の1くらいの企業は採用が終わっていて、残りの3分の2も確認してみないと現在も採用が続いているか分からないとのことでした。

当時は就活を一切したことなかったため、業界や企業のポジション・今後の動向など何も分からず、聞いたことあるような企業ばかり受けようと業界バラバラで教授に打診したところ、「名前で選ぶんじゃなく、軸を持って選んだほうがいい」と言われました。しかし、インターンも何もしておらず、ましてや自分の今研究を続けることに少し疑問を持っており、大学の専門の授業もあまり面白いと思えなかった私にとって、それをすぐに実行するのは至難の業でした。その上メンタルもそこそこやばかったので、ある程度調べつつ、合格発表までのわずかな時間が執行猶予のように感じてほとんど手につかず、早く殺してくれと思いながら合格発表当日を迎えました。この期間は非常に辛かった。

発表結果に私の番号はありませんでした。

まあ当然か、と思い、この時は逆に全く落ち込みませんでした。いよいよ色々やらなきゃな、これから大変だなあという不安を少し感じるくらいでした。

しかしここから先私のメンタルは人生で一番メチャクチャになることになります。

この話は「大学院試に落ちて迷走した話 その2」に続きます。


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