まるで、地球の裏側からきたような。

恋愛体質な人と恋愛の話をするのが苦手なのは、哀れみの目で見られることが面倒だ、という理由が大きいように思う。

「(私みたいに)すごく好きになれる人が現れるといいね!きっといるよ!」

という励ましの言葉も、30年近く言われ慣れるともう反論する気も起きない。

恋愛体質であることは、そんなに偉いものなのだろうか。
人生において絶対的な正義だと、無邪気に信じるべきものなのだろうか。

「好き」より「楽」の方が大事じゃない?と言うと人でなしのような顔をされるけれど、別にそういう価値観があってもいいと私は思っている。

人生に夢をもっていることが偉いわけではないし、日々を丁寧に温かく生きることを優先させる人が夢を追う人より劣っているわけでもない。

それと同じように、別にどっちがいいわけでもなく悪いわけでもなく、ただそこには「違い」があるだけなのだと思う。

***

最近、立て続けに自分とは真逆の超恋愛体質な人たちと話す機会があったのだけど、本当に訳がわからなくて、話を聞きながら「???」という顔をしていた。

相手から「会いたい」と言われたら新幹線でも飛行機でも乗ってどこにでも行ってしまうとか、深夜にホテルに忍び込んでサプライズをしたりだとか、駅の改札で喧嘩したりだとか。

あまりに私の価値観とかけ離れている話に、目を白黒させながら聞いていた。

「そういうのって、ドラマとか漫画の中だけの話だと思ってました…!」

私のあまりの驚きっぷりに、逆に驚いたのかあれこれ聞かれて、それがまた彼女たちをびっくりさせていた。

「夜中に『会いたい』とかならないんですか!?」「ならないです」
「え、でも、会いたいって言われたら行っちゃいません!?」「気分と次の日のスケジュールによります」
「人混みで手つなぎたくなったりしませんか!?」「そもそも一緒にでかけたい欲がないので…」

まったく噛み合わない会話に、これこそ本当の意味での異文化交流だよなあと思ったりしていた。

でも、そのとき同時に思ったのは、自分も相手も「説得」や「マウンティング」ではなく、「発見」として話を聞き、お互いの違いを面白がっていたということだ。

あまりに真逆すぎて自分の理解の範疇を超えていると、人はただ笑うしかないのかもしれない。

「えーっと、ちょっとよくわからないけど、とりあえず最後まで続けて?(笑)」

お互いに新種を発見したような怪訝な顔をしながら「それで、それで?」と聞き進めていって、でもその先で別にわかりあうわけではなく「私はよくわかんないけど、そういう人もいるんだねえ!」という発見で終わる。

昔は自分と違う価値観に出会った時、無理にわかり合おうとしたり、相手を自分の側に変えようとすることが多かった。

それは今思えば、自分の価値観や考え方に自信がないからこそ、自分と異なる意見を「攻撃された」と受け取ってしまって、身を守るために自分と相手の差分を埋めなければという強迫観念にかられていたのだと思う。

別に価値観なんて180度違ったっていい。

すべての価値観が真逆なわけじゃないし、外部環境が変われば実はその差は誤差のようなものだったりもする。

わかりあえるところとわかりあえないところ。
その2つがないまぜになって、私たちの関係はかたちづくられていくのだ。

地球の裏側くらいお互いの価値観に距離があっても、自分と相手は別の人間で、同じ答えをだすことなんてないのだと心の底から理解できていれば、私たちはもっと平和に過ごしていけるのかもしれない。

「最所さんは、最所さんの価値観のままで素敵だから、無理なんてしなくていいと思う。」

そう口を揃えて言ってくれた彼女たちに、私もまったく同じことを伝えた。

どっちが上とか下とか、正しいとか正しくないとか、そんな「基準」はどこにもない。

この丸い地球は、ずーっと歩いて行くと裏側に着くように。
私たちも、上下ではなく裏表のような関係なのだ。

お互いに羨ましいと思うこともない代わりに、相手を自分に近づけようともしない。

そういう心地いい距離感を保てることが、大人になったことの証なのかもしれない。

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最所あさみ

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