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人生初の、「本を読まない週間」を作ってみようと思う。

昨日「『読む』ことの弊害」という記事を書いてみて、ふと「そういえば私、これまで本を読まずに過ごした日なんてないかもしれない!」と気づきました。

物心ついたときから、というよりもはや生まれたときから「本」というのは私の生活の中に深く根を下ろしていて、何も読まずに終わった日なんて1日たりともないんじゃないか、と。

出かけるときにカバンにいれるのは、財布と鍵と携帯と、そのとき読みたい本。

それも気分によって変わるかもしれないから、予備の本も2、3冊携えて。

いつもたくさん本を読んでいてすごいねと言われるものの、実は「考える」ことへの逃避として本に逃げているだけのような、そんな罪悪感ももちながらこれまで過ごしてきました。

最近でこそ、本にたくさん書き込むことで「読みながら考える」を習得しようとしていますが、それでもやっぱりインプットの時間が圧倒的に長い。

読んでなんとなくわかった気になって、またすぐ次の本に手を出すのは正しいあり方なのだろうか、考える力が衰えていないだろうかという焦りが強くなってきたのはここ最近のこと。

だからこそ、ふと「あ、本を読むのをやめてみようかな」と思いました。

インプットがとまったとき、自分は何を考え、どう行動するんだろう。

まったく予想がつかないからこそチャレンジしてみたい。

今の私はインプットからアウトプットまでのインターバルがかなり短くて、読んだことをメモにまとめてさらにそれを文章にして、というサイクルを超スピードで回してきました。

もちろんそこに自分なりのフィルターも入っているとはいえ、大量のインプットによって、自分のセンサーが徐々に鈍ってきているような、まるでたくさんの商品に囲まれた売場で途方にくれているような、そんな気持ちになってきたのです。

だから本だけではなくて、Webの記事もSNSもインプットするのは極力減らして、ひたすら白い紙と向き合う時間を作ってみたらどうなるのかな、と。

何も入ってこない状態で、自分の中から湧き上がってくるものってなんなんだろうな、と。

そういえば自分の人生を振り返ってみても「空白」というものを作ったことがなくて、絶えず次に向けて今を清算するような、そんな生き方をしてきたように思います。

「女は裸足では歩けない」といわれるように、私もやっぱり、次の靴がないと恐ろしくて。

でもどれもしっくりこないときは次の一足を闇雲に探すよりも、一度裸足になってみて何がほしいのかを考える時間が必要なんだろうなあと思います。

読書は著者との対話だけれど、そこに使っていた時間を己との対話にかけてみたら、一体どんなことが起きるんだろう。

近いうちにひっそりと、「本を読まない週間」を実施してみたいと思います。

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(Photo by tomoko morishige)

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