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いい体験の主役は、いつだって「私」

いい体験、記憶に残る体験とは何だろう。

スムーズに決済ができること、欲しいものがすぐに見つかること、最新のテクノロジーを駆使していること。

自分が作る側になると、ついそういった機能ベースで体験を考えてしまう。でも逆に使う側の視点に立ってみれば、記憶に残る体験にはもっと別の要素があることに気づく。

友人や家族と行った思い出の場所や、自分の価値観が変わるほどの感動、好きなアーティストを間近で見た瞬間。

私たちの心に残る『体験』は、そういう感性に訴えるものがほとんどなのではないだろうか。

この2つの間にある大きな違いは『何を主役に考えているか』への意識だ。

テクノロジーを使うことが先行したり、企業の論理で自社アプリ内に囲おうとしたりして結果的に体験価値を落としてしまうのは、無意識に主語が『自分たち』になってしまっているからだ。

売上を最大化させるための施策の一環として作られた体験は、その意図が自然と顧客にも伝わってしまう。オフラインの体験はオンライン以上に五感に与える情報量が多いため、たとえ理論上はうまく設計だったとしても、想定していなかった変数によって顧客の満足度が下がってしまうことはよくある。

顧客の行動の裏には必ず感情があり、企業の論理で顧客の感情は動かない。

そして人の感情が動くのは、その体験が『誰かのもの』から『自分のもの』になった瞬間だ。

例として顕著なのがもはやフォトスタジオ化しつつあるディズニーランドだろう。

ディズニーの物語や世界観を楽しむだけではなく、自分もその世界の主人公として楽しむために身に付けるものを考える。

この主体的な参加感こそが、これからの『体験』に必要なポイントだろう。

同じことは音楽フェスにも言えるだろうし、

かわいいウェアによってブームを巻き起こし、今や趣味のひとつとして定着しつつあるゴルフにも同じことが言えるはずだ。

もちろんこれはファッションに限った話ではない。最近若者層でもうつわやインテリアにこだわる人が増えているのは、料理を作ったりコーディネートを考えることが主体的な行為だからだろうと思う。

しかもこのゆきこさんのツイートのように、ライフスタイル系は顔やスタイルという天性のものに依存せず、センスで勝負ができるところも大きい。

例えばSNSにセンスのいい食卓の画像を投稿して褒められたら、それは忘れられない『私の体験』になる。

そして褒められたときに使ったアイテムは特別なものになり、またリピートしようと考えたりファンになるきっかけになるだろう。

つまりブランドが作るべき体験の本質とは『顧客を成功させること』であり、購買の利便性やテクノロジーの導入はそのためのひとつの要因でしかない。

いい体験は、常に顧客が主役になる。

顧客中心に考えることは綺麗事でもなんでもなく、自分たちも成功を手にするための合理的なかんがえかたなのだ。

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