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多様な友人を持っておくべき理由。

日々ニュースに接していると、企業や政府、何かの団体を貶めたりバカにするような発言を目にすることがあります。

政権が悪いとか、マスコミの質が低いとか、あの会社はダメだとか。

もちろん建設的な批判なら問題ないのですが、タイトルを読んだだけの思い込みの情報をもとに、その情報の中心には人がいることも想像していない発言が多いのは、純粋にコミュニティの狭さからくるものなのかもしれない、と最近考えるようになりました。

例えばメディア企業や大手広告代理店は世間から叩かれる企業の代表格ですが、そうした企業に心ない言葉を浴びせる人の大半は、その企業に勤める友人がいないのかもしれない、と。

私は常々人の好感度は実際の距離感によって大きく変わると思っていて、ネットで悪口を言っていても実際本人を目の前にしたら言えなくなる人が多いのは、単に勇気や信念がないのではなく直接会うと『思ったよりいいやつだった』となるからだと思っています。

つまり裏返せば、人が無責任に悪口を言いたくなるときというのは、自分と対象との距離が大きく離れている状態であるとも言えるのです(もしくは距離が近すぎて粗が見えすぎているか)。

人は、少し気をぬくとすぐに思考停止したがる生き物です。

何か問題が起きた時、その原因を矮小化して個人や会社などの固有名詞に紐づけることで溜飲を下げてしまい、背景にある複雑に絡み合った要因にまで思いがいたらないというのはよくあることです。

しかし、実際には目の前で起きている事象のほとんどはグラデーションであり、且つそのグラデーションは二次元ではなく三次元、四次元と様々な軸が絡み合った複雑なものです。

情報が溢れている現代ですべてのニュースに対してそこまで思いを巡らせるのは至難の技ですが、少なくとも誰かが一面的に悪いわけではないという意識を持つことはできるはずです。

そしてそれを引き出すのがあらゆるニュースの先に『人がいる』という想像力であり、その助けとなるのが様々な業界・コミュニティに友人を持っておくことなのではないかと思います。

どこかの企業や個人、団体を軽々しく非難しそうになったとき、ふと思い浮かぶ身近な顔があれば、迂闊に何かを悪し様に言う可能性はグッと下がるのではないでしょうか。

本当は友人がいようといまいと一度頭を冷まして考えるべきですが、自分に関係ない世界に想像力を巡らせることができるほど人は高尚にできていないからこそ、まずは思い浮かべられる人の数を増やすべきなのかもしれません。

自分が軽い気持ちで批判にした企業にも勤めている人がいること。
考えなしに罵詈雑言を送った相手にも友人や家族がいること。
そして世界は思った以上につながっているからこそ、自分の行動がいつか回り回って自分に返ってくるということ。

私たちはそんな簡単なことすら忘れて日々を過ごしてしまう生き物だからこそ、人として大切なことを忘れないためにも、大切な人を増やしていく必要があるのだと思います。

この世は多面的で、複雑で、混沌としているけれど、そんな世界を楽しく生きるための方法はシンプルなことなんじゃないかなあと思うここ最近です。

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