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自分が履いている "下駄"を正しく認識する
「大企業を辞めるとき、自分の価値は "名刺"によって底上げされていたのだと初めてわかる」
転職も珍しくなくなった今、こうした「下駄を外される体験」は大企業退職あるあるとしてあちこちで語られるようになりました。
世の中には知らず知らずのうちに自分の「ラベル」によって評価が上がっているというケースが多々あり、そのことに自覚的であるかどうかが、長く活躍できる人とそうでない人を分かつポイントなのではないかと思っています。
それは企業名というラベルだけではなく、大学生や女性、20代の若者といったステータスまで、私たちは様々な要素によって本来の力にプラスした評価を受けています。
「大学生なのにすごいね」
「女性のわりに話せる人だ」
このように、本来属しているステータスやコミュニティの中で突出しているという相対評価が、下駄として底上げをしてその人自身の価値だと錯覚した結果、年齢を重ねたり、同じ要素を持ち合わせたさらに優秀な人がでてくることでその人の市場価値全体が下がる例は枚挙にいとまがありません。
例えば、起業家ひとつとっても「大学生起業家」「女性起業家」のように、前にステータスがつく場合は、そのほとんどが無意識的に上記の「〜のわりに」という評価とセットになっているものです。
しかし、大学を卒業してしまったり、女性で他に優秀な人が出てきて評価の下駄が外された瞬間、その人自身の価値で勝負するしかなくなります。
そこでもし下駄を履かされていたことを自覚しておらず、すべて自分の実力だと思い込んで努力を怠っていたら、市場価値はあっというまに下落してしまうでしょう。
自分が何によって評価されているのかは、常に冷静に分解して把握しておく必要があるのです。
とはいえ、こうしたアドバンテージをわざわざ自分かが捨てる必要はありません。
自覚さえできていれば、あくまでボーナスタイムだと思って使いこなす方が賢いやり方だと私は思います。
ただし、ボーナスタイムは永遠には続かない。
この自覚があるかどうかが、その人が中長期的に成長し続けられるかどうかを分かつポイントなのだと思います。
ではそのためにどういう視点で自分を客観視すればいいのかというと、自分を評価する際に
「〜なのに」
「〜のわりには」
という部分に何が入るかを自分で考えたり、人に聞いてみると一番わかりやすいのではないかと思います。
例えば私の場合、「小売出身なのに」ある程度IT業界やスタートアップまわりの話もできて、「若手の女性のわりには」ビジネスの話がある程度できるという下駄を履かせてもらっている自覚があります。
この2つの要素のうち、後者はあと5年もすれば効力が切れて、「社会人として中堅なんだからこのくらいできるでしょ」という期待値がグッと上がる瞬間がきます。
その期待値は仕事の内容もさることながら、仕事仲間への気遣いや立ち回り方、仕事への姿勢など、総合力が問われていくはず。
だからこそ、今は「まだ若いから」と許されていることに自覚をもって、まわりの大人の立ち居振る舞いを学んで自分も身につけなければ、と思っているところです。
一方で、前者の「小売出身なのに」という下駄は、時間が経ったところでそこまで価値が下がらないラベルです(知識が古くなっていくという問題はありますが)。
このように、時間の経過によって大きく価値が変わらない特徴を掛け合わせていくことこそが、その人らしいキャリアを作っていくために必要なものなのではないでしょうか。
その評価は、期限付きのものなのか、半永久的に価値のあるものなのか。
自分の価値を見誤らないためにも、常に念頭に置いておきたいことのひとつです。
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