私の好きな森田たまさん、のはなし

好きな随筆家は?と聞かれたら"森田たま"と答えたい。
小説家ではなく随筆家。そう表現したくなるのが森田たまの随筆です。

彼女の随筆と出会ったのは旅行で立ち寄った金沢の古書店。
「きもの歳時記」というタイトルと装丁の美しさに惹かれて思わず衝動買いしてしまったのが彼女の作品を手に取ったきっかけでした。

何気なく読んでみると着物の着こなしについてだけでなく、そこから紐解かれる昭和初期の東京・大阪の考え方の対比や女性の生き方についての洞察など今読んでも新鮮な気づきを得られる彼女の文章をひとつひとつメモしている自分がいました。

その中でも一番好きなのはこれ。

若い人たちが結婚しようといふ話をきくと私はいつもすすめる。お仲人や親や親類が並んでいるやうな、昔風の結婚式なんかしないで、仲のいいお友だちばかりあつまって、会費持ちよひでお祝ひする、さういう会をおやりなさいね、と。
(中略)
かんじんなのはただ、若い二人の心がかたく結ばれていて、生涯それがほどけないということである。

これを昭和初期に書いて出版したということが、いかに彼女が先進的な考えの持ち主だったかを表している気がします。
型ではなく本質を見つめ続けた人。私の中で森田たまはそんな女性のイメージです。

そもそもこの時代に女性が先生に師事して文章を学んだり本を出版するなんて時代の最先端といっても過言ではないほど珍しいことだったと思います。

そんな"新しい女性"が先進的な考えを披露すると押し付けがましいというか"強い女性だから言えること"になってしまいがちなのに、彼女の文章はすべて柔らかくて、ふわっと包み込んで諭すような文体なのでストンと胸に落ちてくる。

もちろん着物に関する記述も愛が溢れていて、じっくり噛みしめるように読む価値があります。

外国ではむきだしの裸像に美を求めるが、日本人は美しい女の肌にもう一枚美しい着物を着せて、もう一そう深い美をたのしむ。(中略)こんなすばらしい衣装は外国のどんなえらい女の人でも、あるひはどんな美人でも着たことがないであらうと、日本の女の仕合わせをときどき胸に噛みしめるのである。

さういったロマンティックな情景も、きものを着ていればこそであって、これが現代のやうに、花もやうのワンピースかなにかですたすたとやって来られたのでは、恋愛もむきだしで、仄かな恋ごころや、胸に波打つ秘めた思ひの美しさなど感じるゆとりもない。

この随筆が出版されたころはすでに洋装も一般的になっていたはずですが、日本人女性にとっての"着物"という存在、これまで連綿と受け継がれてきた歴史とそれに付随する豊かな情緒を感じさせるこの文章を読んで「着物が着たい」と思わない日本人女性がいるだろうか、とさえ思ってしまうほど日本人の心にグッとくる文章です。

ただの形式になってしまっているものはバッサリと切り捨てる。
でも本質的に美しいもの、情緒のあるもの、豊かなものは守り続ける。

彼女の随筆には「美しいとはなにか」を考えるヒントがそこらじゅうに散りばめられています。
そしてこんな風に世の中を見つめて、なおかつ美しい文章を自分も書けるようになる日がくるのだろうか、とため息のでるような気持ちにもさせられます。

ちなみに彼女の随筆の中には「夏目漱石先生にお会いしたけれど感激で顔もあげられなかった」「芥川先生のお葬式にでたけれどまだ先生が亡くなられた実感が湧かない」といった有名な文豪たちとの交流エピソードもあって、当時の文筆界の裏側を垣間見ることができるのもひとつの楽しみ。

森田たまのように一本筋の通った目線で世の中を見て、じんわり心に届く温かい文章を書けるようになりたいなと思うものです。

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