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『こんまり』は私たちの消費をどう変えるのか

NETFLIXのオリジナル番組開始で、また大きなブームを巻き起こしている『KONMARI』こと近藤麻理恵さん。

『ときめき(pop joy)』をキーワードに、禅にも通じるマインドフルネスな感覚で片付けを語るこんまりメソッドは、もはやHow toの域を超えて思想の域に達しているように思います。

ときめかないものは感謝を持って捨てましょう、というのがこんまりメソッドの中核なのですが、番組をみていて思ったのは、片付けへのスタンスは買い物にも通じるのかもしれない、ということです。

番組では片付けたらそれで終わりだけど、人生はそのあともずっと続いていく。つまり一度捨ててすっきりしても、またモノが増えていく可能性があるということです。

そしてそうならないためには、片付ける以前に、買い物をする段階で『これにときめきを感じるか?』を考えなければならない。

こんまりメソッドは、これまで巧みなマーケティングで商品を『買わされていた』私たちに、意思を持って『自分は何を欲しているのか』を考えるきっかけを与えたように思うのです。

ちょっと前にコミュニティメンバーと堤清二の『消費社会批判』を読んだのですが、そこでもまさに意思なき購買に対する危機感が書かれていました。

「消費」という言葉は本来、完成、成就という意味合いをもその響きのうちに持っていた。(中略)本来「個性的な生活過程」であるべき消費を、巨大な生産システムに組み込まれた機械的動作の一部として繰り返している。
今日の広告表現のいくつかにかいま見えるのは、消費そのものを自己目的化することで、困難な主体の問題から逃避するよう誘いかける姿勢
大量生産方式によって、「もののあはれ(アウラ)」が消滅し、機能性、実用性が王座を占める社会こそ、消費社会の基本的性格ということになろう。

つまり、私たちはメーカーや広告によって消費するように『仕向けられている』のであって、本来人間の豊かさのためであったはずの消費という行動が、資本主義社会を円滑に回していくための歯車になってしまい、私たちはもはや意思なき消費を繰り返している。

こうした現状を踏まえて、堤清二は本当の意味で成熟した消費について下記のように語っています。

成熟した社会とは経済至上主義から脱却し、多元的価値観へと進化すること
流通、小売、サービス、観光、ホテル、といった「成熟時代」に重要性を増すであろう分野の多くは前近代の状態のまま今日に至っており、それが内外価格差の増大の大きな要因形成していることは無視できない。

現代の消費社会が流行に乗り遅れるという焦りやこれを持っておかなければという脅迫観念といった画一性への欲望によって形成されているとすると、自分は自分と割り切って本当に欲しいものだけを買うことが、本当の意味で成熟した社会なのではないだろうか。私はそんな風に読み解きました。

そうやって消費者の意識が変わっていくと、企業側もこれまでのように大量生産大量消費を通して成長するというモデルからの脱却を求められるようになっていきます。

つまり、単に売れればいい、儲かればいいという発想で組織をどんどん大きくする『成長』ではなく、自分たちの思想に共感してもらい、長く支持し続けてもらえるような『成熟』こそが、企業が目指していく姿なのかもしれないと思うのです。

需要と供給は常に表裏一体でありニワトリ卵の関係だからこそ、こんまりさんの片付けメソッドをきっかけに消費行動が変わっていくと、企業のあり方も変わっていくのかもしれない。

NETFLIXの番組を視聴しながら、そんなことを考えていました。

【注】カバー画像をNETFLIXの引用画像からオリジナル写真へ差し替えました(2019/2/19)

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今日のおまけは、前述の『消費社会批判』にでてきた『クレオール商品』の可能性について。

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