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評価される側に、立ち続けるということ。

昨日、急遽Abema TVの「Abema Prime」という番組に出演させていただきました。

11/22の夜に記事を公開して、23の夜にオファーをいただき、24の夜に生出演。

な、なんだこのスピード感は…!という感じですが、私の記事に対していただいた反応をもとに私の考えも少なからずアップデートされた部分もあり、自分の「今」の考えをお話してきました。(→見逃し配信はこちらから見られます!)

そして記事に対してもそうですし、私の話したことに対しても、今回たくさんの賛否両論をいただきました。

そこで改めて思ったのは、「評価される側に立ち続けること」の大切さ。

私も一応人間なので、否定的なコメントを見ると悲しくもなりますが、私の言いたいことや市場全体を俯瞰した上での指摘はとても有益で、発信するところに情報が集まるとはこういうことか!と感じました。

評価されるというのは、やはり誰でも怖いものだと思います。

そして、たくさんの人の前に出れば出るほど、真意ではない言葉尻を捉えて感情的な攻撃を受けることもあります。

でも、だからといって永遠に「評価する側」、人がやることにあれこれコメントをつけて満足していては何も成し遂げられないと思うのです。

私もこれまでずっと「評価する側」で、安全なところから好き勝手言っていればいい自分の立場にある意味満足していました。

でも、何かを成し遂げる過程においては、必ず「評価される側」に立たなければならないときがきます。

むしろこれからはますます評価経済が進み、望むと望まざるとに関わらず、誰しも自分の評価が何らかのかたちで可視化される時代です。

自分の発言、活動、すべてが評価の対象になっていくのです。

ただ、その時に気を付けるべきなのは、あらゆる評価を真に受けるのではなく、誰の評価を取り入れるかを選ぶこと。

「素晴らしい否定コメント」を見つけ出すセンス、そしてそれ以外をスルーするスキルもまた、これからの時代に重要な力なのです。

行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候。」(行動は俺のもの、批判は他人のもの。俺の知ったことではない。)

勝海舟のこの言葉は、今の時代にこそ皆が胸にとどめておくべきものではないでしょうか。

昨日のAbema Primeでは、自分を表現するよい肩書きがなかったので「ジャーナリスト」という肩書きで出演させていただきましたが、やはり私は中立的に分析するジャーナリストよりも、こうなると信じた未来をかたちにしていく、「行動家」の方が性にあっているのだなと思いました。

行動家であり続けるということは、自分のまわりだけでなく、市場全体からの評価も受け続けるということだと思います。

でも、そこに臆してなにもしないことの方が、自分を裏切ることになってしまいます。

自分の最大の評価者は自分自身である

そう信じてこれからも、目の前の小さな仕事からひとつひとつかたちにしていきたいと思います。

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