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私たちの仕事は、「桃源郷」を作ること

九州には「ななつ星」という豪華列車がある。九州の素材や名匠の作品が散りばめられ、豊かな自然と温かなホスピタリティによって九州らしさを体現するこの電車は、2013年の運行開始時から憧れと誇りをもって愛されてきた。

いち九州人として、JR九州は故郷の誇りだと思う。車社会なので電車に乗る機会はそう多くなかったけれど、思い出を遡るとそこにはいつも美しくデザインされた車両がある。東京から福岡に帰ってきたとき、博多駅でJRの車両に乗ってはじめて「ああ、帰ってきた」と思える。普段東京で過ごしているからこそ、九州の電車に乗るとそのありがたさがわかる。私はこの美しさに守られて育ったのだ、と。

そんなJR九州の車両デザインを担ってきたのがデザイナーの水戸岡鋭治さんだ。JR九州の車両が特殊だったことに気づいて調べていたときにその存在を知り、以来ずっと九州の誇りを作り続けてきた人として尊敬している。

もちろんななつ星のデザインも彼が手がけている。たまたま家庭画報の「ななつ星 in 九州号」を手に取ったところ、水戸岡さんがプロジェクトの背景やデザイン哲学について語るインタビューが掲載されていた。

8ページにもおよぶインタビューの中でも、「桃源郷づくり」の話は白眉だった。これから観光・小売の分野でやるべきはこれなのではないか、と思ったのだ。

たぶん高級でなくてもいい。駅のホームにいいベンチがあって、きれいな緑や借景があって、整理・整頓・清掃・清潔・躾というくらいに町をデザインすることによって、街は商品価値が上がって「桃源郷」になってゆくんですね。
(中略)
それこそが本当の観光地で、インバウンドが増えればいいという発想とは違う。桃源郷を作るのが観光の目的です。

重要なのは「高級でなくてもいい」、「整理・整頓・清掃・清潔・躾というくらいに町をデザインすること」の箇所である。ななつ星は1人あたり60万円(3泊4日)とかなり高級な部類だが、価格が高いこと自体はななつ星の本質ではない。人の手が行き届いた快適な空間があり、それを地元の人たちが愛し誇りに思い、乗客を歓迎することでお互いに美しい思い出を紡いでいくこと。

ななつ星は富裕層向けに九州というコンテンツを切り取って高い値段で売っているのではなく、そこで生まれ暮らす人たちが桃源郷を築き上げていくきっかけを作り出しているのだ。

似たような言葉に「楽園」「ユートピア」があるが、「桃源郷」がもつニュアンスはもう少し生活に根ざしているように思う。遊んで暮らせる夢のような場所ではなく、自分たちで適度に手入れをすることで美しさが保たれている神秘的な場所。そんな印象が「桃源郷」という言葉にはある。そこに住む人たちにとっては当然の営みが繰り返されることで「桃源郷」は生まれ、他者によって発見される。

だから「桃源郷」は統一のイメージではなく、暮らしの数だけ存在するはずだ。高級じゃなくてもいい、自分たちにとって快適で美しいと思える場所。お店もホテルもレストランも、自分たちにとって、そして誰かにとっての「桃源郷」を目指すべきなのだ。

ななつ星のサイトを見ると「地域の皆さまとななつ星」というコンテンツがある。沿線に住む人たちもななつ星を楽しめるように、オリジナルの旗をダウンロードして手作りできる取り組みだ。

ただ高級なクルーズトレインを目指すのであれば、乗客向けの高級感溢れるコンテンツだけで構成されていただろう。もし沿線在住の人たちに向けたコンテンツを配信するとしても、別のサイトとして作りバナーを置くかたちになっていたかもしれない。

この価格帯と高級なブランドイメージがあっても、「地域とつながる」というともすると高級感とは真逆のベクトルに向きがちなコンテンツを違和感なく融合させることができる。本物の「ラグジュアリー」はこういうことなのだ、と思う。

自分たちがプライドを持てるクオリティのものを作ること、そして快適な場をこまめに手入れし、愛着を育てていくこと。これからの仕事は成長でも自己実現でもなく「桃源郷づくり」になっていくのかもしれない。

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