涙の立会人

最近、久しぶりに朝ドラにハマっている。

(写真/公式HPより)

途中から見始めたので、NHKオンデマンドで毎日ちまちま見ているのだけど、素直を絵に描いたような物語に、日々心洗われている。

ヒロインと一緒に泣き、笑い、自分自身も成長しているように感じるのはいいドラマの証だと思う。

ちょうど今私が見ているのはヒロインが上京したあたりなのだけど、上京前のやりとりは自分も通った道だけあって、つい感情移入してしまった。

あの頃の私は怖いもの知らずで東京に行くことに何の不安もなかったけれど、10年以上経った今、20歳にもならない子を見知らぬ土地に行かせる親の不安もわかるようになった気がする。

そしてドラマでヒロインのお母さんが『あの子が遠くに行ってしまうのは寂しい』と言って泣いているのを見て、あのとき両親に反対されたのは、心配だけじゃなく寂しさもあったのかもしれない、と思った。

もしかしてお母さんも、私を見送った日には泣いたのだろうか。

当時の私は自分の未来を考えることに精一杯で何も気づかなかったけれど、子供が親から巣立つ瞬間の心配と寂しさを、誰とどうやって共有したんだろう。

思い返してみれば、生まれてこのかた両親が泣いているところを一度も見たことがない。

祖父母の葬儀や感動もののドラマを見たときに泣いたことはあるのかもしれないが、泣き顔がまったく思い出せないくらい、私にとって両親は『泣く』ということと縁遠い存在だったのだと思う。

だから大人になったら誰でも、泣かないし風邪も引かないし毎日休まず仕事に行く強い生き物になるのだと思っていた。

でもいざ自分が大人になってみたらまったくそんなことはなくて、いいことも悪いことも、泣きたいことはたくさんある。

もしかしたら両親だって人知れず涙していたのかもしれなくて、それはただ私たちに『見えていない』だけだったのかもしれない。

大人になったら、人前で簡単に泣いたりしない。

だけど、ひとりで涙するということは、その涙や感情が誰にも知られず、この世に存在しないのと同じことでもある。

泣くほど人の心が揺れた瞬間がなかったことになるのは、なんだか寂しい。

だからこそ、慰めるでもなくアドバイスを送って解決するでもなく、ただその場に立ち会うだけの人が必要なんじゃないだろうか。

人の涙が流れる瞬間を記憶しておく、涙の立会人。

私も相手の涙をただ受け止められる、誰かにとってそんな存在になれたら、と思うのだ。

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