女は、過去を二度脱ぎ捨てる

小学生の頃に夢中で見ていたドラマの主人公のセリフを、ことあるごとに思い出す。

女が最高値で売れるのは27。 私の統計では27歳が売り時のピークなの。それを越えたら値崩れを起こすわ。

あれから十数年が経ち、気づけば私の値崩れへのカウントダウンは間近に迫っている。

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ちょうど1年前に「アラサーの私が"結婚"をしたくない理由」という記事を書いたけれども、今結婚したいかと聞かれたら「相手による」としか言えない。

私の価値観は一般的な結婚のイメージとは少しズレていると思うし、いろんな手続きを考えるとそんな時間があったら他のことに使いたいと思ってしまう。

でも最近既婚者の友人と話していて気づいたのは、私にはまだ「今」を捨てる覚悟がない、ということ。

現在の日本社会において、結婚する場合は女性側が改姓をする。つまり、今のフルネームを捨てる覚悟が必要で、これは結婚への覚悟に対する象徴的な出来事だと思う。

結婚すると、過去の私は世の中から消えてしまう。永遠に。

先に断っておくと、ここで夫婦別姓の是非を問いたいわけではない。

どんなに自由を約束したとて、人と人とが家族として約束を結ぶ以上はお互いにあらゆる選択に自由がなくなってしまう。

やりたい仕事、住みたい場所、一緒にいたい人。人生の方向が変わった時、1人なら軽やかに決断できることが、家族がいることでどちらかが我慢したり、歩み寄ったりする必要がある。

我慢が必要なのは男女どちらも同じことだけれども、今の社会ではまだ、我慢するのは女性の方が圧倒的に多い。ただそれが不幸かといえばそういうわけでもなくて、結婚によって女性自身の価値観が変わることも往々にしてある。

幸か不幸かに関わらず、女性は結婚によって一度過去の価値観と決別する瞬間がくるのだ。

ガッツリ婚活するでもなく、さりとて吹っ切って仕事に注力するでもなく、宙ぶらりんな状態でぐだぐだ悩んでいるアラサー女子は、私も含め、きっとこの決別の瞬間を無意識に避けようとしている。

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そして、結婚以上に過去を捨てる覚悟が必要なのが「母になること」である。

ワーキングマザーの1日のスケジュールを聞くたび、私にはできないと思う上に「母はこんな苦労をして育ててくれたのか…」と感謝せずにはいられない。

当たり前だが、子供が生まれると女性は全員「母」になる。

どんなに仕事が楽しくても、自分のやりたいことを叶えるために走っていても、そこには抗えない本能がある。

子供を産んだ友人を見ていても、価値観が丸ごと変わって働き方まで変わった人は多い。

以前未来食堂の小林せかいさんが「女性は、子供を産むと宇宙人になる」とおっしゃっていたけれども、命をこの世に送り出すという一大事業はきっと、生まれ変わるくらいの衝撃なのだろう。価値観が大きく変わるのも当たり前である。

そして結婚と違って、出産は後戻りができない。「母でない私」には、もう二度と戻れないのだ。

今自分のやりたいことを追いかけている女性はみな、似たような恐怖をもっているのではないだろうか。

自分の夢の優先順位が、ゆるゆると落ちていく恐怖を。

時間がなくなるとかそういう次元ではなくて、もっと根本的な、自分の価値観を変えられてしまう恐怖。これはむしろ、もともと子供が好きな人ほど感じることではないかと思う。

不幸にしたくないと、思えばこそ。

私ね、子どもは、親の都合で生まれてくるものだと思っています。生まれてくる子どもの意思はそこに反映されていませんよね。
自分の血を分けた存在がほしい、愛する対象がほしい、跡取りがほしい、将来自分の世話をしてほしい、自分が生きた証を残したい……。ね、親の都合でしょ。(産むのが無条件に良いとされることに違和感 子どもがいないと一人前になれない?/下重暁子)
子どもは、親の人生にとって史上最強のテーマパークみたいなもので、エンターテインメントで、これ以上ない娯楽だ。
「子どもがいると遊べない」などと愚痴っている人は、どういうつもりで子どもを作ったのだろうかと思うし、他にやりたいことや楽しい遊びがあるのなら、子どもを作るべきではない。(子どもを作るのは、人生最強の暇つぶし/下田美咲)

人生に一段落なんてなくて、「これが終わったら」と思っていては永久にその日はこない。

でも、深く人を巻き込む大きな決断は、過去の自分を捨てる覚悟だけは持っておいた方がいい、と思う。

そう。
女は、過去を二度脱ぎ捨てる。
「これまでの私」との、決別を迫られる。

社会がどんなに進化して制度が整っても、結婚と出産というライフイベントは私たち自身の価値観を大きく変える。これまで走ってきたレールが、ガコッと分岐点に入って、そこには違う景色が広がっているのだ。

そしてその変化を喜んで迎え入れるためにはきっと、今を楽しみ尽くさないといけないのだと思う。

だから、将来どうするかを思い悩んだり不安に思う時間があったら、今の景色を飽きるまで存分に味わった方がいい。

もちろん、自分で道なき道を切り開いて勝手に楽しめる人は引き続き自分のレールの上で楽しんで生きればいいし、楽しみ尽くした先に分岐点があったら、新しいレールの方にハンドルを切ってみればいい。

どこで分岐するかに関わらず、振り返って「ああ、楽しかった」と言って終えることができれば、それで人生は百点満点なのだから。

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(Photo by tomoko morishige)

★私のnoteの表紙画像について書いた記事はこちら。

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最所あさみ

本と映画と、エトセトラ。

読んだ本・観た映画について気まぐれに。 (photo by tomoko morishige)
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