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理論と感情の葛藤をほぐす、「対話」のパートナーシップ #おかえりモネ

久しぶりにまた朝ドラにハマっている。ヒロインが気象予報士として奮闘し成長していく姿を描いた「おかえりモネ」である。

もともと東京制作の作品の方が好みなのと(実は朝ドラは東京と大阪で交互に作られているのである)、主演の清原果耶さんの演技を「なつぞら」で見てその表現力に驚かされたこともあって、今期は絶対完走するぞと心に誓っていた。

主人公であるモネ(百音)が普段の朝ドラに比べて口数の少ない大人しいキャラクターであること、気仙沼を舞台にしており東日本大震災が大きなテーマになっていることもあって、序盤は凪いだ海のような雰囲気だった。しかし気象に興味を持ち、気象予報士試験に向けて勉強をしはじめてからヒロインも明るい表情をすることが増え、物語がぐんぐん進んでいく。

そして話が進むたび、ヒロインはいつも悩む。これまでの朝ドラでも迷いや葛藤は描かれてきたが、その大半は「挑戦するべきか否か」といった自分の進退に関わるもので、家族や友人からの一言に背中を押されて一気に決心が固まる描写も多い。迷ったり悩んだりしつつも最後は自分の気持ちに正直な選択をする。さらにそのプロセスで家族や仲間の温かさに気づく。それが典型的な朝ドラヒロインの「悩み方」だ。

しかしモネの場合は、よく答えの出ない問いを延々と考えている。誰かに言われたことの意味を何度も反芻して考えたり、正解のない状況でも何が正解なのかを思い悩んだり。大切なものに対しては自分でじっくりゆっくり考えるキャラクターである。

象徴的なのが「災害が何度も起きる土地に住み続けるべきなのか」という問いに直面した際の姿である。気候変動で雨量が急激に増えたり気温が上がったりしていることで、これまでは安全だった地域でも土砂崩れや川の氾濫などの災害が起きやすくなっている。もはや居住可能エリアは変化しており、災害が起きやすくなっているとわかっている場所には住み続けられないのではないか。災害情報を受けて同僚が発した意見に、モネは強い違和感を覚える。

復興してもまた同じような災害が起きるならその土地を離れた方がいいという意見はたしかに正しいのかもしれない。けれど、ふるさとの島で牡蠣の養殖業を営む祖父の顔を思い出すと、そう簡単には納得できない選択肢である。

「その方が合理的で正しいのかもしれない、けれど…」

主人公は絶えずこの間で揺れ続け、目の前の出来事に対処しつつも自分の中に「問い」を積み上げていく。

思い悩みやすいヒロインと対照的に描かれているのが、登米で出会った菅波先生である。モネが登米の森林組合で働いていたとき、併設する診療所の医師として出会った菅波先生は合理的でドライなキャラクター。小さなことに悩んだりくよくよ落ち込んだりするヒロインに容赦なく「正論」をぶつける存在だった。

恋愛ドラマのセオリーでいえば、第一印象でお互いに苦手意識のあった相手とぶつかりあうことで理解が深まり、恋に発展していくのがお決まりのパターンである。しかしこのドラマがユニークなのは、衝突ではなく対話によって徐々に二人の距離が縮まっていくところにある。朝ドラというロングランのフォーマットだからこそできた描き方ともいえるかもしれない。

はじめは理解し合えないかに見えた二人が、日々のやりとりを通じて少しずつ心を通わせ、お互いに影響を与え合っていく。その変化を強く感じたのが、被災地域に住み続けることの是非をモネと菅波先生が語り合うシーンである。

モネに意見を求められた菅波先生は、いつものように理論立てて自分の考えを伝える。するとモネは、少し考えたあとにぽつりとつぶやく。

「先生の言うことはいつも正しいです。でも、ときどき、言い方が冷たい…」

理論上は正しくても、感情的には割り切れないこともある。その葛藤に悩み続けるヒロインを象徴するセリフだと思う。

そんなモネに菅波先生は、「では少し言い方を変えましょう」と別の視点を捕捉する。モネとわかりあうために伝え方は試行錯誤しつつも、「しかし僕の結論は変わりません」と安易に同調したりはしない。

この二人のやりとりに、私は真の「対話」を見た気がした。

見てきたものも、経験してきたことも違う人同士は、理解し合えないこともあるし、お互いの結論が異なるときもある。理解できたとしても、感情が追いつかないこともある。

けれど、たとえ立場が違っても対話を通して寄り添うことはできるのではないか。二人の関係性から、私はそんな希望を感じた。

モネはただ感情を吐露するだけでなく、「理論的には正しいこと」を認め、受け止められるようになった。菅波先生は、正論だけではなく自分の気持ちや感覚もあわせて伝えられるようになった。

だからこそ二人とも答えが出せずに悩んでしまうのだけれど、それこそが寄り添うということなのだろう、と思う。一緒に悩む。考え続ける。だからといって相手の意見に完全に同調するのではなく、自分の意見はちゃんと伝える。

人と人との関係は、本来こうやって時間をかけて丁寧に作っていくべきものなのだろう。

また、この二人が家族でも上司・部下の関係でもなく、職場で出会った知り合いというほどよい距離感のフラットな関係からはじまっている点も重要である。家族や幼馴染とは経験してきたことが近いからこそ感情的になってしまうし、上司・部下のような上下関係のある関係性では上司の意見が強くなる。

序盤でモネが菅原先生に試験勉強を手伝ってもらうくだりがあるが、「先生と生徒」の上下関係を作らないためもあってか、菅波先生はあくまで勉強するモネの隣で読書するついでにわからないところを教える、というかたちをとっていた。このシーンからも、菅波先生の不器用な優しさが垣間見えて微笑ましい。

***

何かを問いかけられたとき、自分なりの意見を返すことは簡単だ。逆に相手にあわせて表面的な同調を示すのもそう難しいことではない。人間は問いがあれば何かしらの答えを出したがる生き物だから、異なる意見の人がいれば議論を戦わせてでもその場の決着をつけようとする。正義は人の数だけあり、物事を進めるにはお互いの正義を戦わせざるをえない場面も多々ある。

しかし本当はすべての問いに今すぐ答えが必要なわけではないはずだ。生きているかぎりずっと考える続けるしかない、自分の人生の命題となるような問いもある。勝った負けた抜きにお互いの価値観を認め合い、尊重できる場も必要である。

「おかえりモネ」の中でモネと菅波先生が何年もかけて築いてきた穏やかな関係は、強い主張の渦に飲まれて受け止める余裕をなくしている私たちにひとつのヒントを与えているように思う。

▼3年前にハマった「半分、青い。」の感想note


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