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理想の幕引き

人生の節目には、いつも涙がある。別れの悲しみも、祝福の喜びも。誰かの人生にひとつ区切りがつくとき、本人のみならず周りの人間も、これまでの時間を想って、涙を流す。

野球ファンにとって、秋は別れの季節だ。引退や退団、FAなどさまざまな理由でチームを去っていく選手やコーチや監督を、ファンは見送らなければならない。そのたびに悲しくて寂しくて思い出が溢れて、気づけば毎年なんやかんやと号泣しているような気がする。

「能見さんが引退する日のことを考えると、今からすでに胸がつぶれそうになる」

まだ引退なんて言葉とは無縁だった5年も前から、「いつか能見さんがいなくなる日」に、私は怯えていた。

このnoteを書いた3年後に、能見さんは阪神を退団する。あくまで引退ではなく、他の球団に移籍して野球は続けていくだろう、という見通しではあった。

これが最後なわけではない。まだ能見さんの選手としての人生は続いていく。そう頭ではわかっていても、縦縞のユニフォームを脱ぐことが寂しくて切なくて、そのひとつの区切りに万感の思いが押し寄せてきて、涙が止まらなかった。

能見さん退団に寄せたnoteで、私にとって能見さんは「野球界の父」だと書いた。

父と呼ぶほど年齢は離れていないけれど、野球ファンとして新たな境地を切り開くきっかけとなり、理想の父親像でもある能見さんは、私にとって「野球界の父」のような存在だった

熱心に追いかける「推し」の感覚とは違って、能見さんに対しては、彼がいる空間を、当たり前の日常として穏やかに愛し続けてきた。球場に能見さんがいて、若手たちがじゃれついてくるのをニコニコいなしながら、マウンドに上がればベテランの投球をする。

その「当たり前」に、ずっとずっと支えられてきた。

能見さんがいない世界で、私は来年からどうやって生きていけばいいのだろう。
もう何年も前から、いつ「引退」の言葉が出てもいいように心の準備をしてきたはずなのに。

いざその日を目の前にするとやっぱり悲しくて、いろんなことが思い出されて、流れる涙が止められなかった。

そんな涙でびしょびしょ状態のファンとは対照的に、能見さんはあの爽やかな微笑みを、最後まで貫き通していた。

お礼の挨拶のところでは、一瞬感極まって言葉に詰まったり涙目になったようにも見えたけれど、ビデオレターも家族からの花束贈呈も、すべてにこにこ笑顔で受け止めていた。

最後のグラウンド一周の際には、もはや「清々しさ」がユニフォームを着て歩いているとすら感じた。能見さんは一片の悔いもないと言わんばかりの爽やかな笑顔で、ファンの声援に応えていた。

ああ、なんて「能見篤史」らしい締めくくり方なんだろう、と思った。

彼は、決して無理に笑顔を作っていたわけではないと思う。あれはすべてをやり切って、重圧から解き放たれた人の、何の邪念もない美しい笑顔だった。

能見さんはまだあと一年くらいはやれたはずとあちこちで言われるくらいの力はあった。でも本人のなかでは、ここがベストの区切りだったのだ。そう深く納得した瞬間だった。

例えるなら、大往生。涙ではなく微笑みで、惜しまれながらもそれ以上の感謝の声で、送り出される。まさに理想の幕引きだ。

能見さんがオリックスにいたのは、たった2シーズンだった。にもかかわらず、オリックスの若手選手たちは投手陣のみならず、野手陣も能見さんのことが大好きで、慕っているエピソードをあちこちで聞く。

阪神の若手は言わずもがなで、引退試合の日も阪神時代の同僚や後輩たちがこぞってかけつけていた。

そもそも、選手兼コーチとして移籍して、2年目に引退するとなったときにここまでしっかり引退セレモニーをやってもらえるのは、本人の実績もさることながら、やはり人徳の部分も大きいと思う。

引退試合当日は、阪神ファンやオリックスファンのみならず、他球団ファンたちもそれぞれが能見さんについて語り、引退を惜しむ声があちこちで聞かれた。

球団の枠を超えて慕われ、愛され、たくさんの人の精神的支柱となってきた能見さん。

彼の引退セレモニーは、派手さもわかりやすいお涙頂戴もなく、本人の言葉もいつも通り飄々としていて、そのすべてが「能見篤史」だった。
(話の途中で言いたいことが飛んでしまい、カンペを出してきて笑いをかっさらったところまで含めてしっかり能見節。笑)

試合中も引退セレモニーも私は結局号泣してしまったが、そこで目に焼き付けた能見さんの姿は、いつもと変わらない凛とした投球と穏やかな微笑みだった。

能見さんは今年でマウンドを降りるけれど、能見さんが育ててきたものは脈々と受け継がれてゆく。
阪神に、オリックスに、もしかすると他の球団にも、能見さんの精神はこれからも生き続ける。

だから、大丈夫。

能見さんの笑顔に、そう言われたような気がした。

引退は選手人生の終わりではあるけれど、本人の人生はこれからも続いていく。好きな選手が引退してコーチになってからの楽しみもある。

「能見さんがいつかどこかのコーチになったらぜったい春季キャンプ行って、能見コーチに絡みに行くと決めている」。

ずっと前から、何度も何度も言ってきたことだ。他にも、ピッチャーがピンチを迎えたときにマウンドに走っていって励ます姿なんかも見たい。それはそれでワクワクする。

人生の区切りには、それまで培ってきたものが如実に表れるように思う。「葬式は人生の通知表」とも言われるが、最後の区切りにどんなかたちで送ってもらえるかが、人徳というものなのかもしれない。

能見さんの引退セレモニーは、必要以上に観客の感情を揺さぶることなく、本人の晴れやかな笑顔と共に、湿っぽさのない明るい雰囲気で幕を閉じた。

たとえ心にぽっかり穴が空いても、笑顔で去っていった能見さんの姿を思い出すたび、心の穴が埋まっていく。

最後の最後まで、吹き抜ける秋風のように、しっとりと心地のいい気持ちを残していってくれた能見さん。

来年からは、コーチ・能見篤史が球界にいる。その事実が、これからの私をまた支えてゆく。

秋は涙の季節だけど、その涙はじとじとと降り続けるわけではなく、秋風が軽やかに涙も連れ去ってくれる。

私たちの別れの季節は、秋でよかった。涙を拭きながら、そう、強く思った。


能見さんへ.

18年の間、プロ野球選手でいてくれて、私たちの心の支えであり続けてくれて、本当に本当にありがとうございました。

能見投手がマウンドに上がるだけでピリッと引き締まる、あの空気感が大好きでした。能見投手の美しいワインドアップをひとめ見たさに、何度も球場に通いました。

結果がどうあれ、という言い方はプロの選手に対して失礼かもしれませんが、能見投手の登板日は勝ち負けへの期待よりも、「能見さんの投球を見ること」に重きを置いて見ていた気がします。

しんどいとき、苦しいとき、能見選手の凛とした姿を見ると、自然と私もしゃきっとしなければ、と思えた。その気持ちを味わいたくて、足繁く通っていた時期もあります。

引退はやっぱり寂しいけれど、最後まで笑顔だった能見投手の姿を見て、私もえもいわれぬ充実感、幸福感を抱きました。

プロ野球選手として、最後までやり切ってくれて本当にありがとう。
これからもずっと、私は「能見篤史」の大ファンです。

──能見選手の引退に寄せて
2022.10.2
最所あさみ

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