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長期集中力とマルチタスキング

先日岡潔の『数学する人生』を読んでいたとき、集中力についてのこんな言及を見つけた。

この箇所を読んだとき、集中力には一般的に私たちが集中力だと認識している『短期集中力』とは別に、長く同じことを考え続ける『長期集中力』があるのかもしれない、とふと思った。

通常、集中するとか集中力が切れたというときに私たちがイメージするのは数時間、どんなに短くても24時間の中の話だ。

そして勉強や仕事の効率を上げるための数時間の集中については、すでに様々な本が出版されている。

一方で岡潔の言うような『長期集中力』は意外と語られることがない。

これは単に同じことを淡々と続ける継続力や習慣化とはやや趣の異なる話だと私は思っている。

表面的にはあれこれ異なることをやっているように見えても、根底で解決したい問いが共通している場合、その問いへの長期集中力は途切れていない。

逆に事業や習慣としては同じことを続けていても、もはや考えずにできるようになってしまったことは『集中力がある』状態とは言えないだろう。

何をしていても常にバックグラウンドで思考が動き、何かの拍子に思考がスパークする可能性を孕んでいる状態を、私は『長期集中力』と呼んでいる。

一方で、人間はあらゆる物事に飽きるようにできている生き物だ。だからこそ長期集中力を維持するためには適切に思考を切り替え、長期的にマルチタスクをこなすこともまた重要なのではないかと思っている。

まさにこのTEDトークでは、長期的なマルチタスクがいかに私たちのクリエイティビティを高めるかについて語られている(最近のトークなのでまだ日本語訳がついていないのが残念)。

ダーウィンもアインシュタインも、世界的な発見をした研究者たちはその発見までにとんでもない数の別の研究を行なっており、こうした『長期的マルチタスク』こそがクリエイティビティを高めるとトークの中では語られている。

これはスティーブ・ジョブズが提唱した『コネクティング・ドッツ』の考え方にもつながる話ではないだろうか。

そしてこの長期的マルチタスクの考え方と長期集中力は、一見相反するもののように思えるが、実は両立することで効果を発揮するものなのではないかと私は思っている。

長期的・短期的に関わらず、マルチタスクは集中力を阻害しやすい。私たちの脳は関心を切り替える際に負荷がかかるので、岡潔も言うように一度集中が切れるとそれを取り戻すには多大なコストがかかる。

しかし時に、その負荷が発想に新たな刺激を与えることがある。

岡潔は『情的にわかる』と『知的にわかる』という言葉を使うのだが、例えばある瞬間に『わかった!』と閃いても、うまく言葉にできず説明できなかった経験はないだろうか。

簡単に言えばこうした『言葉にはできないが感覚でわかっている状態』を情的にわかる、と表現している。

私が思うに、情的にわかる瞬間までは長期的マルチタスクによって思考を遊ばせておき、わかった瞬間にそれを知的に言い表そうとする瞬間に長期集中力が必要になるのかもしれない。

もちろん知的に表現する工程が数時間で済む場合もあるが、問いが大きければ大きいほど情的理解から知的理解に移行する際の負荷は大きい。

自分が主観的に確信したことを他人にも確信してもらえるように、客観的に表現するには何が必要なのか。

そのフェーズまでくると、明確なテーマに対して考え『続ける』ことが必要になるのだ。

集中力とマルチタスクは短期スパンで考えられることが多いが、問いのテーマが大きければ大きいほど実は数ヶ月、数年という長期タームで考える必要がある。

自分は今どの問いに向き合い、何を考えているのか。

日々のタスクとは別に、そのことにも自覚的でありたいと思っている。

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