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普通ではいられないほどの悲しみと、普通でいなければならない日常

そのニュースを見た瞬間、比喩ではなく本当に息がとまった。

私の青春の宝物が、この先何十年もあるはずだった未来に、自らの手で終止符を打ったと知って。

今この瞬間、私が生きている世界はもう彼のいない世界なのだと知って。

***

誇張ではなく、あの時期の私は本当の意味で彼らに支えられていたと思う。

今となっては当時できた友人たちと頻繁に連絡をとることもなくなってしまったけれど、遠征で大阪に行ったり、帰省のたびに福岡在住の友人に会って、ずっと「彼ら」の話をしていた。

自分の話よりも、私たちがしたいのは「彼ら」の話だった。

環境が変わって日常が忙しくなるにつれ、昔のような熱量ではなくなってしまったけれど、いつもその歌声を聞いて過ごしてきた。

彼の歌声が更新されることは、もうない。

***

訃報を受けてから数日間全然眠れなくて、泣きながら友人と連絡をとって、それでも朝はくるのだなぁ、とぼんやり思った。

私の気分とは裏腹に、太陽が世界を明るく染めていく。

他の人たちにとって、昨日と今日は何も変わらない地続きの1日だ。

でも私にとって、昨日と今日で世界は一変してしまった。

ここはもう「彼のいない世界」なのだから。

それでも、いつもの1日は始まる。

やらなければならないことがたくさんある。

私が悲しみにくれていることは周りの人には関係なくて、いつも通りの、予定通りの、当たり前の自分でありつづけなければならない。

こういうときでも案外人は普通にしていられるものなのだな、と他人事のように思う。

気持ちとしては今にも泣き崩れてしまいそうでも、いつも通り笑えるし冗談も言える。

それはまるで、別の人格として切り替えているかのように。

悲しみにくれて何も考えられない自分と、本来の予定通りの自分と、その二つを常に行き来しているような感覚に陥る。

そして、そんな自分に気づいて自己嫌悪になる。

ついさっきまでめそめそ泣いていたのに、次の瞬間には仕事のことを考えて、楽しい未来について話して、くだらない冗談で笑って、いつも通り「日常」を過ごす私は、なんて薄情な人間なんだろう、と。

悲しみのどん底にいる自分が明るく普段通りに振る舞う自分を許せなくて、でも、私が喪に服したところで失われた命が返ってくるわけでもなくて、どうしたらいいのか、どうしたいのか自分でも混乱した数日間だった。

***

正直まだ全然気持ちとして立ち直れていないし、彼らの歌を、彼がリードボーカルとして幸せそうに歌う声を聞くことは、しばらくできないと思う。
あまりに辛くて、悔しくて、どうしようもなくなるから。

笑って見送ることはできないかもしれないけど、どうか咎めないでほしい
と彼は最期の言葉としてのこしていた。

ただ「おつかれさま」と言ってくれ、と。

咎めたりはしないけれど、まだやっぱり「おつかれさま」なんて言えない。

ファンのエゴだとしても、生きていてほしかった。
歌えなくなっても、曲が作れなくなっても、幸せに生きてさえいてくれれば、それでよかった。
休止でも脱退でも解散でもいいから、未来への可能性を捨てないでいてほしかった。

きっとしばらくは普段の日常の中で、ふとした瞬間に涙が止まらなくなったり、ぼーっとしてしまったり、彼の死を悼み悲しむ時間を過ごすのだろうと思う。

この悲しみが消えることはない。
だって、悲しみ傷つき続けることが「忘れない」ということだから。

いつか、当たり前のように曲が聞けるようになるようになる日がくるかもしれない。

でもそれはきっと、ずっと先の話だ。

***

自分が悲しみを抱えながら日常を送ってみて、もしかしたら自分のまわりにも、普段通りに過ごしているように見えて、実は深い悲しみを抱えている人がいるのかもしれないと思うようになった。

別に無理に明るく振る舞っているわけではなく、普段の自分であることは間違いないのだけれど、昨日とは違う悲しみを背負っている、そんな状態。

その傷は外からは見えない。でも確実にそこにある。

傷をなおす自由も、あえてなおさずに抱えていく自由も、どちらもあると私は思う。

そんなことを考えながら「悲しみの秘儀」を開くと、若松英輔が抜粋した宮澤賢治の詩の一部が目に留まった。

もうけつしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云つたところで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲鳴とを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ

この詩を引用しながら、彼は悲しみを抱きながら生き続けることについてこう書いている。

愛しきものがそばにいる。どうしてそれを消し去る必要があるだろう。どうして乗り越える必要などあるだろう。賢治がそうだったように悲しみがあるから生きていられる。そう感じている人はいる。
出会った意味を本当に味わうのは、その人とまみえることができなくなってからなのかもしれない
(中略)
あなたに出会えてよかったと伝えることから始めてみる。相手は自分の前にいなくてもよい。ただ、心の中でそう語りかけるだけで、何かが変わり始めるのを感じるだろう。

誰でも、心の中に深い悲しみのかけらを持っている。
それでも、普段はまるで何も持っていないような顔をして、身軽さを装って生きている。

これから先きっと同じようにどうしようもなく悲しくて辛いことがあるだろうけれど、そしていつか本当に日常生活が送れないくらいの悲しみが押し寄せてくるかもしれないけれど、毎日、それでも夜は明ける。

そうやって少しずつ悲しみが日常に溶け込んでいって、いつか「愛」として昇華されて、自分の宝箱にしまわれていく。

私の今の悲しみも、きっといつか「大好きだった」という思い出に変わるはずだと信じて。

そして、天国にいるジョンには、自分を責めてまた苦しんだりしないように、「Greatest Love of All」を口ずさみながら幸せに暮らしてほしいなと思います。

Everybody's searching for a hero
誰しもが、ヒーローを探しているの
People need someone to look up to
人々には、誰か目指すべき人が必要よね
I never found anyone who fulfilled my needs
私は、自分の条件を満たす人なんて、誰も見つけたことなかったわ
A lonely place to be
孤独な居場所よ
And so I learned to depend on me
だからこそ、私は、自分を頼るようになった

I decided long ago, never to walk in anyone's shadows
昔に、私は決めたのよ
もう絶対に、誰かの真似なんかしないって
If I fail, if I succeed
失敗しても、成功しても
At least I'll live as I believe
せめて私は、自分が信じるように生きるのよ
No matter what they take from me
たとえどんな物を私から取り上げようと
They can't take away my dignity
私の尊厳までは、奪えやしない
Because the greatest love of all
Is happening to me
なぜなら、この世の中で最も素晴らしい愛は、
私の身に湧き起こってるから・・・
I found the greatest love of all
Inside of me
私はこの世の中で最も素晴らしい愛を、
私の中に見つけたのよ
The greatest love of all
Is easy to achieve
この世で最も素晴らしい愛を手に入れるのは、簡単なのよ
Learning to love yourself
It is the greatest love of all
あなた自身を、愛せるようになること。
それこそが、この世で最も素晴らしい愛なのよ

最後に遺されたジョンの家族と4人のメンバー、日韓のファンたちみんなが少しでも早く悲しみの沼から抜け出して、笑ったり楽しむことに罪悪感をもたずに過ごせる日がくるように、心から願っています。

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