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どの批判を引き受けるかということと、心の痛覚

先週、Facebookの情報漏洩に関して公聴会が開かれました。

Facebookの是非やマーク・ザッカーバーグの対応に関して賛否両論はあるものの、今回の件に関して思ったのは、影響範囲が広がるにつれて自ずと批判も増えていく、ということ。

たしかにいわゆるBIG4が個人情報を握りすぎるのは危険ですが、もはやプラットフォームになりつつあるサービスには、社会への影響力があればこその批判が多々集まるものだと思います。

さらに、プラットフォームの利用者が増えるほどそこを狙う悪者も増えるもの。

成功して規模が大きくなるほど、予期せぬところに影響がでて、創業者や経営者が責任を問われることになるのです。

つまり、全員を等しく幸せにすることは不可能で、サービスや組織の規模が大きくなるということは、あっちを立てればこっちが立たない状況にどう向き合うかを考えるということでもあるのではないかと思います。

「やる気あり美」というサイトを運営している、仲良しの太田さんが以前

『表現するということは誰かしらを傷つけることでもあるから、せめて誰を傷つけているかには自覚的でありたい』

と言っていたのがずっと印象に残っていて、これはビジネスでも同じことが言えるような気がしています。

あるサービスが誰かの力を高めたとして、それによってライバル会社の人たちは路頭に迷うこともあるかもしれない。

私は『リーガル・ハイ』というドラマが好きなのですが、作品の中で一貫して語られているのは同じように『正義は多面的である』ということでした。

もちろん本当は全員の幸福度を底上げできるのがベストなのだけど、底上げをしたつもりが思わぬところでトラブルになったり、ユーザー側が間違った使い方をしてしまうことも往々にしてあるように思います。

だからこそ、はじめから『自分達が受けるべき批判』について自覚的であることが必要なのかなと。

そしてそれは、トップのメンタルを無闇に傷つけないための防御策でもあるはずです。

自分たちの理想を追い求めた結果としてある、この批判は仕方ないから甘んじて受ける。

その覚悟こそが、トップの心の痛覚を刺激しないための保険なのではないかと思うのです。

地位が上がって、影響範囲が広がれば広がるほど、予期せぬところでトラブルがおきて『自分は人を幸せにしたかっただけなのに…』と落ち込むことも増えていきます。

そのとき、反省はしつつも人からの批判に惑わされすぎない心の強さをもつために必要なのは、単に反論して攻撃したり必要以上に無視することではなく、傷つくべきことと仕方がないことを切り分ける冷静さなのかもしれない、と思ったここ最近なのでした。

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最所あさみ

Retail Futurist / curator。「知性ある消費を作る」をミッションに掲げています。 将来は世界一の店舗メディアを作る予定。noteの有料マガジン「余談的小売文化論」とコミュニティマガジン「消費文化総研」もよろしくどうぞ!
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