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あの頃、私に「努力」を教えてくれた人。

中学生の頃。当時流行していたミサンガに私は「effort」という覚えたての単語を入れて、大会の日まで大切に持ち歩いていた。

高校生の頃。何回受けても志望校の判定がBに上がらない焦燥感を抱えながら、ノートの表紙に何度も「努力するのみ」と書いた。

あの頃から私にとって、「努力」は特別な言葉だった。

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4つ下の妹が生まれるまで祖父母をはじめとする親戚一同に蝶よ花よとかわいがられて育った私は、努力なんて言葉とは無縁のわがまま生活を謳歌していた。

そんな暮らしが一変したのは、仲良しだった友人がいるからという単純な理由だけで剣の道に入ってしまったことだった。

私の地元は昔から剣道が盛んな地域で、出身校は何度も全国優勝を経験し、さらに仲良しの同級生は個人で全国1位を期待されるホープだなんてことは、入部してしばらく経つまでまったく理解していなかった。

しかも他の部活と違い、盛んな種目だけあって同級生はほとんどが小学生時代からの経験者ばかり。

今からやってもどうせ追いつけないし。子供ながらにそんな不貞腐れた気持ちもどこかにあったように思う。

そんな調子だったので大して上達もしないままに最終学年へと進級しようとしていた早春のころ、私は運命的な出会いを果たしてしまう。

「かっこいい、誰これ!」

そのページを見た瞬間に友人と大はしゃぎし、それからしばらく学校の一番後ろの壁に貼っては眺め、みんなが飽きた頃にこっそり自宅へ持ち帰った。

当時の私たちにとって、ずっとずっと上のお兄さんに見えていた彼らも、当時はまだ高校2年生だったのだなと時々懐かしい気持ちになる。

その一瞬で佇まいに魅了された私は、ルールもよくわからないのに我が家のチャンネル権を掌握し、ひたすら白球の動く様に見入っていた。

そして少しずつわかるようになってきたのは、彼らが優勝を期待される強豪校の選手たちであり、その中の一人は高卒プロがほぼ確約されたエースであること。

そして私の好きになった選手は、そのエースの女房役として不断の努力を続けているということだった。

今思い返してみれば、そもそも強豪校に入っている時点で相当な才能のある選手なのだけど、当時はついその境遇を自分と重ねあわせて応援していた。

人生には、才能という残酷な限界がある。

それでも、それをわかっていても、比べられたり、劣等感を持ったり、悔しい思いをしたとしても、優勝旗という夢を掴むために努力をし続けること。

当の本人たちがそのとき何を感じてどう考えていたかは知るよしもないけれど、私はその姿にずっとずっと励まされ続けてきた。

彼はインタビューで好きな言葉を聞かれたとき、「努力」だと答えていた。

地元のスターとして強豪校に入り、圧倒的な才能の女房役として球を受け続けて、それでも好きな言葉は「努力」だと言えること。

悔し泣きの夏を終えて少しふっくらしたインタビュー写真を見ながら、「努力は裏切らない」という言葉は、結果に関わらず自分が納得できたかどうかにおいて裏切らないという意味なのだと学んだ。

その瞬間に、「私も限界までがんばる」と決意した。

たしかに私はあの子たちのように個人で全国大会にいくことも、県大会でベスト8に入ることすら難しいかもしれない。

それでも団体戦では最低限の仕事をして、みんなで日本一になる。そして5人で同じ高校に進学するのだと。

結果的に私たちも涙の夏に終わってしまったけれど、終わったときに後悔の涙で終わらないように努力する姿勢は、高校に入っても役に立った。

朝7時から夜10時まで、あらゆる時間を惜しんで勉強した。

こちらも結局桜は咲かなかったけれど、その結果を見ても「私を落としたことを10年後に後悔するがいい」というメンタルで乗り切れたのは、当時の環境でこれ以上の努力は無理だというところまで頑張れたからだったと思う。

私はもともとまったく努力家ではないし、少し気を緩めると楽な方へと流されていくタイプの人間だ。

それでもなんとか人並みにここまでやってこれたのは、あのとき「努力とは何か」を教えてもらったからこそだと思っている。

夢はいつも叶うことばかりではない。
努力だけで才能に勝つことは難しい。

それでも振り返ってみれば、無我夢中で努力していた時期の思い出はキラキラと輝いている。

私のように何の取り柄もないただの凡人でも、努力によって思いもかけないことが実現したり、夢にも思っていなかった道が開けたりすることもある。

中学二年生の春。

笑顔でキャッチャーのポーズをとる高校球児の一枚の写真が、私の人生を大きく変えてくれた。

それから15年の間、現役生活の最後を見届けるまでずっとずっと見つめ続けてきた背中は私にとってどんな選手よりも偉大だった。

プロの選手だけが、人に夢を与えるのではない。

自分の一挙手一投足も誰かに思いがけない影響を与えることがあるかもしれないと胸に刻みながら、私は今日も「努力」という言葉を胸に生きている。

背番号「2」をつけた後ろ姿は、これまでもこれからも、永遠に私の憧れだ。

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