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私は「愛すること」について、野球を通して学んでいるのだ

ホークスに江川智晃っていう永遠のロマン砲がいるんですけれども。
あだ名が「二軍の帝王」っていうくらいなのでホークスファンでもそんなに知らない人が多い気もするんですけれども。

私が甲子園にハマった年にホークスの1位指名だったのでそこからずーっと気にかけて応援している存在です(ちなみにダル・涌井世代)。

ファン歴でいえば福田よりも見守ってきた期間が長いですし、公示の登録選手欄に「江川智晃」の名前があるとその日の夜は小躍りしてるくらいには好きな選手です。

でもポジションがわりと福田とかぶってるので片方が上がれば片方が落とされ、嬉しさと悲しさと心強さと、みたいな複雑な気持ちになることもしばしば。

そんなともちゃんが今日一軍に上がって、今季初のホームランを打ってチームも勝利して、お立ち台でヒーローインタビュー受けちゃったもんだからこっちは涙腺崩壊です。

ここまで長かったね、苦しかったね、でもここからが勝負だね、そういう気持ちがないまぜになって、家でひっそり涙腺崩壊しました!(大事なことなので2回)

でも同時に、8回で守備固めとしてだされて打席が回ってきた福ちゃんは三振で見せ場がなく、ああああポジション争いがあああああという気持ちもあり。

交流戦でキドさんが大活躍してたときも、苦労人の爆発に嬉しいやら福ちゃんのことを思って切ないやらで複雑でしたが、やっぱりみんな大好きだから気持ちの整理が難しい。

それぞれに思い入れがあって、がんばってほしい気持ちがあって、でもポジションはひとつしかなくて。

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ともちゃんのヒロインを見てグスグスしてあれやこれや考えながら、吉行淳之介の「男と女をめぐる断章」というエッセイの中にでてくるこの一節を思い返していました。

気に入るとは、愛することとは別のことである。気に入るということは、はるかに微温的なこととだ。愛することは、この世の中に自分の分身を一つもつことだ。それは、自分自身にたいしての様々な顧慮が、倍になることでもある。

"気に入ってる"選手は12球団それぞれに両手じゃ足りないくらいいるけれど、その中で"愛する"選手はほんの一部でしかなくて、それはやっぱり彼らの喜びも苦しみも自分のことのように感じられるかなんだろうなあ、って。

よく考えたら選手たちは私のことなんて知らないし、私が嬉し泣きしようと食事がのどを通らないくらい悲しみにくれようと彼らに何の影響もないのだけど、親が何の見返りも求めずに子供のことを想うように、意味があるとかないとか関係なく感情を揺さぶられるのが愛というものなんだろうな、と思います。

そして愛しているが故に、故意であろうとなかろうと怪我させられたら鬼のように怒るし、無理な起用が続くと心配になって采配に文句のひとつも言いたくなる。

でもそれもみんな自分のチームと選手を愛しているからこそであって、自分が批判して貶している相手だって自分と同じように愛をもっているんだということを忘れがちな気がします。

Twitterで定期的に起こるファン同士の貶しあいを見ていると、愛情と憎しみは表裏一体だなあとひしひし感じる場面も。

キリストの説く「汝自身を愛するように、汝の隣人を愛せよ」という教えよろしく、野球民たるもの「贔屓チームを愛するように、対戦相手を愛せよ」を胸に、野球全体に愛を注いでいきたいものです。

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ともちゃんの1号HRに完全に頭をやられて意味不明な記事になってしまった…。

前もこんな記事↓を書いたのですが、
愛はどこからやってくるのでしょう?〜自分のホークス愛に問いかけた〜
私は野球というものを通して「愛すること」について考え、学んでいるんだなあと改めて。

アラサー女性としてそれでいいのかという話は置いておいて、人への執着が薄い私にとっては恋愛小説やドロドロした愛憎劇があまりピンとこないというか実感がともなわないことが多いので、感情の振れ幅を作ってくれる野球にはいつも感謝感謝だなーと。

今日も明日も、選手みんなが元気にいいプレイができるといい。

野球の女神たちの中の1人として、そう願い続ける日々です。

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