自分にできないからこそ、うらやましいこと。
一週間の四国滞在を経て、改めて感じたこと。
それは「私は、やっぱりまだ東京の雑多な暮らしを愛している」ということだ。
地方都市での生活は、東京に比べて「ていねいな暮らし」を実現しやすいと思う。
ほどよいサイズ感、のんびりした雰囲気、人のあたたかさ。
東京に住んでいて憧れる「ていねいな暮らしに必要なもの」が、ここにはすべて揃っている。
▲大街道にある松山三越内観。吹き抜けかわいいよ、吹き抜け。
私がいつも理想の暮らしにあげるのは、「きのう何食べた?」というよしながふみ大先生の漫画である。
毎話、しろさんの手際のよい料理シーンにため息が出る。
アラフィフ男性の2人暮らしなので派手さはないけれど、いつもきちんとした夜ご飯を作り、一緒に食べて、その日に起きたちょっとした出来事を淡々と話す。
そんな生活にずっと憧れを持ってきた。
▲今回の滞在で唯一観光っぽいことをしに行った伊丹十三記念館。相変わらずいいおじさん!
では実際の自分の生活はどうかというと、そんな理想からは程遠い。
まず夜ご飯を家で食べることが奇跡に近いし、今の家に引っ越してからはキッチンの使い勝手の悪さもあってほとんど自炊しなくなった。
家は帰って寝るだけの場所、という感覚は一人暮らしをはじめてこのかた、ずっと変わっていない気がする。
「ていねいな暮らし」なんて程遠い、雑多で、ものすごい勢いで過ぎていく日々。
でもそれが「東京に暮らす」ということなのだろうと思う。
▲気だるい雰囲気も含めて、純喫茶の極みのようなお店だった「坊っちゃん珈琲」。
世の中には、「自分にもできそうだから羨ましい」ことと、「できないからこそ羨ましい」ことの2つがある。
例えば100mを10秒台で走るとか、150km/hのボールを投げるとか、パリコレのランウェイを歩くとか。
できないからこそ、一度やってみたいと憧れるものはたくさんある。
一度、魔法にかけられてみたい、と。
でも、それはあくまで「魔法」頼りの願望なのであって、自分の努力でなんとしても成し遂げたいと思う類の「やりたい」ではない。
何かを「やりたい」「羨ましい」と思うとき、この2つの願望のどちらをもっているのかを見極めないと、自分が苦しみ続けるだけなのではないかと思う。
▲行きたいと思いつつ行きそびれたフライング・スコッツマン。電車みたいなかたちになっていてかわいい!
私にとって「ていねいな暮らし」は自分ができないからこそ憧れるものなのだ。
いつか、それこそしろさんたちのように50歳近くなってきたら、毎日好きなものを自分の手で作ってゆっくり食す生活もいいなと思う。
ただ、今ここでその「幸せ」に満足してしまうと、自分がそこから進めなくなってしまうような気がする。
「幸せってなに?ならなきゃいけないの?」という記事の中でも書いた通り、「幸せ」という状態は、停滞と表裏一体だ。
その場に留まろうとする力学に抵抗するということは、「ささやかな幸せ」のようなものをある程度手放す必要がある。
▲こういうクラシックな建物が好きすぎる!
愛媛・松山は、1週間過ごしてみて改めてすごくいいまちだったなと思う。
商店街も元気だし、路面電車もかわいいし、田舎出身の私とってはちょうどいいサイズ感。道後温泉もあるし、おしゃれなカフェもあるし、ここなら住めるかも、と思った。
でもこの「幸福感」は私にはまだ早すぎる。
東京に愛があるかというと、10年も住んでおいて愛は薄いけれど、私の「焦り」はすべて東京にある。
▲内子のゲストハウス「内子晴れ」のみなさんと。日本家屋のよさを生かしつつ、今っぽいスタイリッシュさもあってすごくいいところでした!
住む場所も、一緒にいる人も、「安穏」という言葉が似合うものに憧れるけれど、それは「自分がなれないからこその憧れ」であって、手に入れた瞬間に自分に飽きがくるのもわかっている。
一番安穏としていられる「地元」を、まわり全員の反対にあってでも飛び出したかった高校生の頃から、その気質はあまり変わっていないと思う。
世の中には、安定した「ていねいな暮らし」を実現できる人と、それに憧れるしかできない人というのがいる。
私は完全に後者の人間だ、と思う。
▲素人目に見てもグッとくるお花が飾ってあるのは、いい場所の証しだと思う@内子晴れ
私の「暮らし」が理想のかたちに整うことは、しばらく先になるだろう。
自分が心地よく暮らすことを追求するには、私は他にやりたいことがありすぎる。
その土地に根を張って、そこできちんと「暮らし」ている人がうらやましくなることもある。
でも、ないものねだりしたってしかたない。
狭苦しい部屋と雑多な街こそが、今の私の「暮らし」なのだから。
▲「いよてつ高島屋」は名前からしてもうかわいい
とはいえ、ときどきこうして「ていねいな暮らし」に触れてみる。
こんな環境にあってすらも、きちっと生きられない自分に辟易する。
そして、世の中で「いい」とされている価値観を理想としすぎていたのかもしれない、と気づく。
私は夜中のコンビニも好きだし、好きなだけ布団にくるまってゴロゴロするのも好きだ。
朝6時にはせっせと掃き掃除をはじめるおばあちゃんや、毎朝きちっと洗濯物を干してでかけるお母さんと、本当に私は血が繋がっているのだろうか。はなはだ疑問である。
▲女子ウケ抜群の雑貨カフェenowa。ハンバーグ美味しかったー!
1週間の松山滞在を終えて、来週は1週間まるっと地元・佐賀へ。
東京のせわしない日常へ帰るまでには、まだまだ時間がある。
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