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「全盛期以降」を生きる

好きになった瞬間を、覚えている。
それは全盛期の残像。永遠に繰り返す甘い記憶。

「あ、似ている」と気づく。
忘れていた記憶が鮮明に蘇る瞬間の懐かしさと、もうそれは「今」ではなく「記憶」になってしまったのだと気付かされる切なさが胸をつく。
新しいスターが誕生した確かな手応えに喜びの中で、似ていることの残酷さを噛み締めていた。

CSファイナルで奥川くんの投球を久しぶりに見たとき、あまりに菅野のピッチングと似ていて驚きを隠せなかった。プロから見れば違うところはたくさんあるのだろうけど、菅野の投球に惚れた瞬間の感覚を鮮明に思い出せるほど、奥川くんの投球は私の記憶の中にある「全盛期菅野」とぴったり符合していた。

伸びやかに正確に、すうっとミットに吸い込まれていくようなピッチング。それまでにも素晴らしいピッチャーの投球を見てきたけれど、「野球って、ピッチングって、なんて美しいんだろう」と感じた投球は菅野がはじめてだった。

それからも数多のピッチャーの投球を見てきたけれど、同じ衝撃を受けたのは奥川くんが二人目だ。私が見たかった菅野、好きになったときの菅野がマウンドにいる。そう錯覚してしまうほど、奥川くんの投球は美しく力強かった。

はじめて衝撃を受けたときから、ずっと変わらず私は菅野のピッチングが好きだ。腰を痛めてからフォームも変わったし、思うようなピッチングができずマウンドで苦笑いをすることも増えたけれど、彼の誇り高い投球が好きだ。私にとってかけがえのない、唯一無二のピッチャーだ。

けれども、「好きになった瞬間」の生き写しのようなピッチングを見たら、どんなに好きでも時間は平等に流れていくのだという残酷な現実に気付かされた。
怪我や年齢からくる衰えには抗えない。それはきっと、精神論には頼らない彼自身が一番わかっているはずだ。

人生100年時代なのに、彼らの全盛期は30代に差し掛かったあたりで終わる。稀に30代から活躍したり復活を遂げる選手もいるが、若い頃に活躍した選手はどうしても過去と比べられるので後半に「全盛期」をもってくるのは難しい。本人も、よかったときを取り戻そうと躍起になってしまう。

奇遇にも、CSファイナルでは奥川くんが好投した翌日が菅野の登板日だった。必然的に、「好きになった瞬間」と「現在の姿」を連続して見ることになった。

おそらく、菅野はその日もどこかを痛めて、あまり本調子ではなかったのだと思う。そもそも今季ずっと調子が上がっていなかったうえに、中4日での登板だったので苦しい試合になることは予想していた。
それでも苦しいなりに試合を作り、要所要所はしっかり抑える菅野の投球には変わらずエースの貫禄があった。結果的に6回で崩れてしまったけれど、菅野で負けるなら仕方がないと思わせるだけのピッチングだった。

チームの勝ち負けを一身に背負い、苦しみもがきながら投げ続けるエースの背中が好きだ。どんなに調子が悪くても菅野が誇りを持って投げ続けているからこそ、私はマウンドに立つ菅野の姿を祈るようにして見守ることができる。

でも、もう彼に「全盛期」を押し付けてはいけないのだと思った。手負いの体は元通りにはならない。年齢を重ねれば筋力も体力も落ちる。その現実からはじめなければならない。
「あの頃」ではなく「これから」を、考えなければならない。

菅野の投球に魅せられたのと同じ頃、密着取材のドキュメンタリーを見た。

「投げ続けられるなら、先発にはこだわらない。フォームもサイドスローやサブマリンに変えれば投げ続けられるというならいくらでも改造する」

その頃はたしか防御率も1点台で、沢村賞をとる前後の一番脂ののっていた時期だったはずだ。まさに全盛期とも言える頃、彼はすでに「全盛期以降」のことまで考えてトレーニングをしていた。
人一倍誇り高く自分に厳しい菅野が、投げ続けるためなら先発エースとしてのプライドもこれまで積み上げてきたフォームも手放す覚悟を持っていることが衝撃だった。この人の誇りは立場や成績ではなく、「そのときの最高の球を投げ続けること」なのだと思った。
私が菅野を好きな理由は、ピッチャーとしての誇り高さにある。

「好きになった頃」はもう戻ってこない。でも、彼は「次の最高」を目指して試行錯誤を続けている。きっと先発でなくなったとしても、二軍暮らしが長くなったとしても、菅野はエースとしての誇りを失うことなくそのときの最高のピッチングで堂々と勝負していくのだろう。

そして彼が投げることを諦める日まで、私も菅野の登板のたびに球場に通い、勝った負けたと騒いでは泣き、その顛末をnoteに綴り、好きだ好きだと言い続けるのだろう。「全盛期以降」の方が、人生は長い。

投げ続けるかぎりずっと気の休まることはないだろうけれど、願わくば来季は苦しみが少しでも減りますようにと毎年思う。思わずガッツポーズをしたくなるような、小林とマウンドで抱き合いたくなるような、そんな瞬間の方が増えますように、と。

このおつかれ顔の菅野まじかわいくない!?!?隣でスタースマイルかましてるしゃかもと先輩が菅野のふてくされ顔をさらに強調していて最高なんだが!?!?!?!?

私は「あの頃」の菅野が最高に好きだ。
しなやかで無駄がなくて、寸分の狂いもなくキャッチャーが構えたところに球が吸いこまれていく様は、いまだに何時間でも見ていられる。できることなら一度あの球を受けてみたいし、もし菅野が怪我をして右腕の骨や腱が必要になったら喜んで私の右腕を差し出したいとずっと思っている(いらないだろうけど)。

だから、「あの頃」に似ているピッチャーを見ると切なく苦しい気持ちにもなる。

でも同時に、苦しみながらも誇りを失うことなく投げ続ける今の菅野も好きだ。
そしてこれから、さらに進化していく菅野のこともきっとずっと好きだと思う。
「好き」という感情は自動更新性なのかもしれない。

一番よかった記憶をひっぱりだしては愛でたくなるのは人間の性だ。美化された思い出に浸っているかぎり、傷つくことはない。
それでも私は、「全盛期以降」の物語に寄り添っていきたい。
たとえ美しいことばかりでなかったとしても、もがき苦しむ「今」の美しさを感じたい。

そしてまた、来季以降も物語は続く。
同時に「好き」を感じる瞬間も、増えていくはずだ。

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