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物語だけがもつ、傷を癒す力

小説や映画の好みには、おのずとその人の心の傷が反映される、と私は思っている。

それは好きな作品のあらすじが不倫だからといって不倫経験者というわけでもなく、明るいハッピーエンドの作品ばかりが好きだから順風満帆な人生を送っているというわけでもない。

設定ではなく、そこで書かれている感情の動きにどれだけ自分を重ねられる瞬間があるか。

それがあるコンテンツの好き嫌いを分けるものだと思っている。

例えば、不倫をしたことがなくても「会えなくて切ない」というシーンは、遠距離や忙しくて会う時間を作ってくれない恋人をもった経験がある人なら、その感情の動きに無意識のうちに共感してしまっているはずだ。

うだつの上がらない生活を送っていても、物語のハッピーな瞬間に、自分の数少ない幸福な体験を重ね合わせて満足感を得る人もいるだろう。

物語の意味は、そうやって自分の感情と向き合う瞬間を与えてくれるところにあるのだと思う。

そして、自分でも言語化できていないもやもやとした苦しみを癒すのは、生身の人間と話すよりも、物語に身を委ねてみることだったりする。

人は、自分の感情に輪郭が与えられると快感を得るようにできているからだ。

例えば、普段こうして記事を書いていると、「ふんわり思っていたことを言語化してもらえてすっきりしました!」という感想を一定数いただく。

これは占いが根強い人気を得ているのと同じで、すでに自分の中になんとなくある思考や感情を他者から肯定されると、そのもやもやを客観的に見た上で受け入れることができるようになる。

言語化したりビジュアライズするのは、荒れた部屋に散らばったものたちをひとつひとつ収納していくことに近い。

正しいところに正しいものをきちんと畳んで収納しておけば、感情の引き出しが溢れたり何がどこにあるか探し回ったりすることなく、いつも落ち着いた状態でいられる。

もちろんそうした掃除の過程は人に相談して進むこともあるけれど、大抵の場合は宅飲みと同じで、一緒になって部屋を散らかされることが多い。

部屋の掃除は黙々と、1人でやるのが一番はかどるのだ。

そのお供になるのが小説や映画で、いい作品であればあるほど、物語のような経験をしたことなんてないはずなのに「これは私の話だ」と思わせる力がある。

そして、人によっていい作品かどうかが変わるのはきっと、心の傷が人によって違うから。

何度も読み返す本、心に残っている映画は、一見ジャンルがバラバラに見えても、必ずその人の心の癖という共通点がある。

「自分に向き合う」というと難しく聞こえるけれど、自分が好きなもの、特に心が動かされたシーンを思い出しながらその理由を紐解いてみると、案外簡単に答えがでるものなのかもしれない。

本や映画を通して、自分の感情と向き合うこと。

一見遠回りに見えても、それこそが傷を癒す近道なのだろう、と私は思っている。

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