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「君は何によって憶えられたいかね」への答え

「君は何によって憶えられたいかね」と言えば、ドラッガー大先生の名著にも出てくる素晴らしい問いかけです。

人から何によって憶えられたいか?それはすなわち、人からどう評価されたいかにつながる質問でもあります。

ただこの質問について考えるときは"誰に"の部分まで意識する必要があるのではないか、私は最近そう考えています。

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「何によって憶えられたいか」という問いかけに対して、ほとんどの人が意識するのは顔も見えない"世間"ではないでしょうか。

例えばエジソンが電球を発明したように、ジョブズがiPhoneを創り出したように。

いつにまにか「何によって憶えられたいか」という質問が「何によって有名になりたいか」にすり替わっていることが多々あるように思います。

ベンチャー界隈の人たちにとって「世界を変える」というのは合言葉のようなものですが、みんながみんな世界を変えて有名になろうとする必要はないはず。

そこで重要なのが"誰に"という発想です。

会社の中でどんな人として認識されたいか、家庭の中でどんな存在でありたいか。

そういう顔が見える範囲の人に、「何によって憶えられたいか」を考える方が地に足のついたセルフイメージを持てるのではないかと思うのです。

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宇宙やこれまでの地球の歴史に思いを馳せてみると、"個体"に何の意味もないことに気づきます。

ティラノサウルスは最強の恐竜として認知されていますが、その中に今でも知られているような最強の"個体"がいるか?答えはノーです。

もちろんこれは極端な例ですが、歴史に名を残すということは半永久的なようでいて、長い歴史を考えると必ずしもそうではないと思います。

むしろ今後SNSの投稿やブログはもちろん、IoTを通したライフログが記録されることで、一人一人が生きた証は確実に残っていく。

そう考えると、顔も見たことがない"世間"や未来に憶えてもらうために今を犠牲にするよりも、今自分の周りにいる人たちを意識する方が有意義な人生を送れるような気もしてきます。

自分が日々接する人たちにとって、自分はどういう存在でありたいのだろう。

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私個人としては、何歳になっても自分の身近な人たちから応援してもらえる人でありたいなと思っています。

そのためには、かけてもらう期待のひとつひとつに真摯に丁寧にこたえていくこと。

もらった応援を無駄にしないためにも、日々鍛錬だなあと改めて思うここ最近です。

歴史を変えるような目標をもたなくても、「君は"周りの人から"何によって憶えられたいかね」という問いを自分の中にもつことは、自分の生き方を見直すいいきっかけになるのではないでしょうか。

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