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私たちはきっと、バトンを渡されただけ

CMC読書会の今月の課題図書として、小林せかいさんの「未来食堂ができるまで」を読んでいます。

まだ半分くらいまでしか読めていないのですが、その中で印象に残った箇所があります。

店を持てばそんなプライドの軋轢からは解放されるかもしれませんが、自尊心を満たすために未来食堂を作るわけではないので、そこは強く自戒しているところです。
「この世の中には必ず未来食堂みたいな場所が必要で、まだない。だから私が作るんだ」
という思いがすべて
で、自分の小さな問題を解決するために本質を見誤っては本末転倒です。

この箇所を読んだ時、ふとどこかで聞いた「世の中の流れはすべて決められていて、何かを成し遂げたように見える人もその流れに乗っただけにすぎない」という話を思い出しました。

ひとりの人間にどうこうできるほど歴史の大きなうねりは簡単なものではなくて、時代を変えたように見える人物もたまたまそこにいただけに過ぎないのだと。

世の流れが予め決まっているというのは言い過ぎだとしても、おおまかな時代の筋書きがあって、そこに居合わせた人が歴史に名を残していくという話はなんとなく腑に落ちるような感覚があります。

私たちは、自分が思っている以上に時代の流れに大きく左右されている。

人というのは傲慢で、成し遂げたことは自分の手柄にし、うまくいかなかったことは時代のせいにしがちです。

でもビジネスチャンスを見つけることや、これを解決したい!と強烈に感じる原体験は、根本を辿っていけば時代に左右されていることがほとんどです。

私がポップアップショップを通じてもっと世の中を面白くしたい、と思うこともECやSNSの台頭、QRコードやAR、VR、バーチャル試着などの技術の進歩あってこそ。

起きるべくして起きている変化を、より早く、よりよい方法で実現しようとする場にたまたま自分がいるだけなんじゃないかと思うことがあります。

これがある意味"時代の波にのる"ということなのかもしれないけれど。

ただ忘れてはならないのは、冒頭の小林せかいさんの言葉にあるように
「この世の中には必ず◯◯が必要で、まだない。だから私が作るんだ」
という意識。

これがちょっとした成功体験を得て
「私がやればなんでも成功するはず」
という過信につながってしまってはいけないと改めて思いました。

自分の評価と事業の評価を結びつけず、自分の評価は親しい、大好きな人たちに任せておくこと。

そうやっていい意味で、事業と自分の間に距離を置いておくこと。

私が今この事業に携わることになったのは、先人たちがつないできてくれたバトンを「こいつになら任せてもいいかも」と託してもらえたからなのかもな、と思った読書タイムでした。

(Photo by tomoko morishige)

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