「多動力」から「不動力」への揺り戻し。

私は、世の中には「揺り戻し」と「不可逆性」の2つの性質があると思っています。

前者はある変化に対して、その逆の現象が起きること。デジタルが進むほどアナログの価値が上がっていくという変化がまさにこれに当たります。
ただ、そこで起きる揺り戻しはあくまで限定的なもので、あくまで傍流であることがほとんど。

主流となる変化は不可逆であり、二度と「不便だった頃」には戻りません。

今自分はどちらの流れに乗ろうとしているのかを見極めることが、戦略を見誤らないためのポイントだと思っています。

そんな中で最近思うのは、「多動力」ブームの揺り戻しとして、あえて自らは動かずにどっしりと構えておく「不動力」の価値が上がるのではないか、ということ。

これは自戒を込めてですが、ここ最近「多動力」という言葉が、忙しいことは善である、という風に曲解されている節があるように感じます。

本来正しい多動力の使い方はある一本の軸に対して、たくさんの種をまいておくという考え方であり、人の都合にあわせてあちこち飛び回ることではないはず。

意志を持って多くのことを「動かしている」のか、人によって「動かされている」のかは、まったく似て非なるものです。

対して、「動かない人」というのは別に何もしていないわけではなくて、いつでも「何か」が来ても受け止められるように、意識的に体をあけておける人のことです。

私自身「忙しそうですね」と言われるたびに反省するのですが、大きな話のきっかけは、余白がありそうな人にこそ舞い込んでくるものだと思います。

急に「会いたい」と言われて会いに行けるとか、「こういうことをやりたいんだけど」と相談されたことを受け止められるとか。

そのためには自分の城を持っておくことが必要不可欠だし、何を受けて何を断るかという軸をしっかり持たなければなりません。

その軸を、動きながら削ぎ落としていく人もいれば、淡々と自分の城を築き上げることでかたちにしていく人もいます。

ただ、どちらの方法をとるにせよ重要なのは自分の判断基準、言い方によっては「哲学」のようなものを持つということ。
自分の拠り所となる判断軸がなければ、あっというまに世間の遠心力によって瓦解してしまいます。

以前「多動力は使い分けるもの」という記事の中でも、多動力を意識すべきフェーズについて書きましたが、一番大切なのは自分が心地いいと思える割合を見つけることのように思うのです。

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先日、灯台もと暮らしの伊佐さんにはじめてお会いして(意外や意外、ずーっとお会いしたことがなかったのです!)、聞きしに勝る多動力のかたまりっぷりを体感し、「じゃあ、私は?」と考え始めたのがこの記事のテーマについて考えたきっかけでした。

私もわりと多動の気はあるものの、実は「家」がたくさんほしいタイプなので、彼女のように世界を放浪したいという欲求は薄いよなあと思ったり、かと言って我が両親のように自分の生まれた土地を死ぬまで守っていく勇気はないなあ、と思ったり。

自分の居場所を3つくらい持って、そのときの気分で比率を調整するのが一番私らしいあり方のような気がして、「収束」とか「不動」というキーワードに反応しがちなここ最近。

ちょっと気が早いけれど、来年の目標は「暇人になる」かなあ、と考えたりしています

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(Photo by ikepon

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最所あさみ

現場からは以上です。2nd

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