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あの夏の後悔は、きっと、一生

野球界では88世代(1988年生まれ)最強説が一般的だが、私は86世代が一番好きだ。

それはきっと私が甲子園を見始めるきっかけになった世代だからで、今でも87世代以下は後輩のような気持ちになってしまう。そのくらい私にとって86世代は大きな意味のある世代だ。

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あれから甲子園でたくさんの勝負を目にしてきたけれど、十数年経った今もダルビッシュの最後の打席が忘れられない。

最後の打席で三振したとき、彼は泣かなかった。

ただベンチに向かって笑って「全部終わったんだな」という顔をしていた。

あの表情にはきっと、たくさんの意味がある。

成長痛で思ったように練習できなかったもどかしさ。そのために部員みんなから誤解されて衝突がおきたこと。そしてみんなで話し合って、誤解がとけていく過程。

18歳らしからぬ苦悩が、彼と彼らを大きく成長させていた。

もともと東北高校を応援し始めたのは、彼の球を受けていたキャッチャーがかっこよかったからという単純な理由だった。

しかし、野球やチームに対する苦悩を知ってから、自分の体験に重ね合わせてどんどん感情移入していった。

いまだに、彼らの最後の試合は涙なしには見られない。

結末はわかっているのに、「振れ、ダルビッシュ」と祈ってしまう。

終わる、夏が。彼らの夏が。

何度見ても「あっけない」と感じてしまうその終わり方は、自分の最後の夏と重なって、言葉にならない感情を呼び覚ます。

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人は、後悔なんてするなと言う。

後ろを振り返っても意味はない、と。

でも、本当に後悔のない人生なんてあるんだろうか。

あのとき、ああしていれば。もし、あれがなかったら。

幸せな日常の中で、過去を振り返った時にふと胸を刺す仮定の言葉たちは、ある意味自分の生きた勲章でもあるんじゃないかと思う。

青春時代の後悔は、大人になってからどれだけ成功しても、幸せな生活を手に入れても、ふとしたときに感情を揺さぶってくる。

人が本気で何かに取り組むとき、絶対的な「やりきった」なんてない。

どんなに努力したつもりでも、負ければいつも自分の中の「足りなかった」部分に目がいく。

10代の夏の後悔は、きっと一生心に残る。

記憶が少しずつ薄れていくほど、感情だけがくっきりと輪郭をもつようになって、ピリッとした痛みを伴うようになる。

夏がくるたびに思い出す、そんな感情としての後悔をもつことは、青春時代の特権だ。

今年もきっと、たくさんの後悔が涙と共に生まれている。

いつかその後悔が「思い出」に昇華されることを願いながら、私は今年も夏の勝負を見つめている。

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inspired by
マカべッシュが語るダルビッシュ。東北高校野球部が1つになる日。

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