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感情の、色を探して

文章には、色がある。

それは比喩ではなくて、私は文章を読んでいると文字通り "色"を感じるのだ。

そしてその色の印象と、本人に会った時の色の印象が違ったことは今のところ、ない。
我ながらオカルトじみた話だとは思うけれど、実際にそうなのだから仕方ない。

だから私は人に会う前に、できるだけその人が書いた文章を読む。

何を書いているかはあまり関係なくて、『どう書いているか』の方がよっぽどその人を表すと思う。

文学を読むとはそういうことだ。物語の意味以上に、書き手の息遣いを感じるということ。

何を書いても、その人の姿がはっきりと浮かび上がる。
そんな強烈な筆圧を持っている人を『いい書き手』というのだろうと私は思う。

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感情には、色がある。

喜怒哀楽と言うけれど、それぞれに何千、何万種類の異なる色を纏って、この世に放たれている。

私の『悲しい』とあなたの『悲しい』は違う色だし、あの時感じた眩しいほどの『喜び』と、今の私の根底に絶えず流れる『喜び』もまた異なる色彩を放っている。

もし小さい時に本よりも絵に興味を持っていたら、この感情の色の違いを、絵の具を使って表現できたのかもしれないと思う。

残念ながら私の美術の成績はずっと2に近い3で、自分の世界をキャンバスに表現する機会には恵まれなかったけれど。

私は色を色として可視化はできないけれど、文章を読めば感情の色が見える。

大抵の場合、文学と呼ばれるものの根底に流れているのは『悲しみ』か『怒り』で、同じ作家でも作品ごとに色は違うし、濃淡も違う。

『じゃあこれは何色?』と聞かれても、色を言葉で説明するのは私の語彙力では足りなすぎて、ちょっと難しいのだけど。

私たち人間が識別できる色の数は、おおよそ200万種類程度で、普段の生活で使っているのはだいたい3,000種類くらいなのだという。

もしかしたら感情も同じで、私たちは大半の感情に対して認識せずに通り過ぎてしまっているだけなのかもしれない。

嬉しい、楽しい、悲しい、寂しい…

言葉にすればたった数文字の感情を、より精緻な "色"として書き出したのが文学だとするならば、私たちはそれらを読むことによって新たな "色"を獲得することができるのだろう。

文章には、色がある。

その人の生き様の数だけ、書いた数だけ、きっとその色は増えていく。

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